2003/09/20 
 日本語調査の意味
たそがれ
このサイトで行っている日本語調査は、正しいか正しくないかを
多数決で決めようというものでは
ありません。
というか、正しいか正しくないかなど決められるものではありません。
少数意見の中にキラリと光るご意見を見ることは多々あります。

以前、「日本語調査の質問が、管理人(つまり私)の考えに誘導する
ように作られている。」という内容のご意見をいただいたことがあります。
えっ、そんな風に見えるのかと少しメゲました。
そういうつもりはなかったのですが、無意識にそういう気持ちが働いていたのかもしれません。

日本語調査を実施している目的は、私が独断と偏見で回答しているのを軌道修正するためと、
私自身日本語を教えている中で、なるべ独断と偏見を少なくしたいためです。
既に学習者さんに話したことが、調査の結果かなり少数意見だとわかったりすると、
これはマズイ!汗!という感じにはなりますが、それでもホッとする面はあります。
内容にもよりますが、 次回からは、もう少し違った形で日本語指導できますから。
もっとも、いかに私の考えが少数意見だという結果が出ても、意見を変えないこともあります。

日本語指導という立場から離れれば、意見は人それぞれ。
同じ日本語教師養成校で学んだ友人とでも議論すれば、意見はかなり割れるのですから、
個性的な意見をむしろ「カッコいい!」と思ったりします。
人の意見に耳を傾ける余裕を持ち、なおかつ自分の意見は意見で良いのではないでしょうか。

質問を作るとき、無意識のうちに私の意見に誘導してしまうかもしれませんが、
それはある程度仕方がないことだと、大目に見ていただきたいと思うのです。
できるだけ、調査したい項目が調査できるように注意したいと思いながら、
反面、気楽に行こう!とも思っています。

皆さまも私も少数意見に入ったらから、自分は間違っていたとは思わないようにしたいですね。
ただ、私の場合待遇表現は文句なく多数意見に従います。
というか、例えば「不愉快に思う。」といった意見が30%でもあれば、その言葉は使わないようにします。


2003/08/29 
 日本語調査の質問の作り方
プレイボーイ
日本語調査の質問の作り方が実に難しいと思います。
この調査を始めて、回答して下さった方々からいろいろ助言いただいて
改善はして来たものの、いつもいつも問題があり結構悩んでいます。

最近、はっとしたことは、54番の『〜したいです』という文型に
違和感を感じるかどうかを調べたかったとき。
「旅行に行きたいです。」という『行』がダブった文を使ってしまいました。
『旅行に行きたい』は、私にとっては全然問題のない言い方、
というか何も考えず使っている言い方です。
しかし、『行』がダブった文であると回答者の方からご注意を受けました。
『旅行に行きたい』は、多くの人に使われていて、それほど問題はないにしても
調査の例文にわざわざ選ぶことはありません。
本当に調査したい点が浮き彫りになる例を出さなければと思い、努力しているのですが、

なかなかうまく行かないとつくづく感じました。

更にいくつかも考えなければと思うことがあるのですが、その中で、
57番の「彼は金持ちながら、惨めな人生を送った。」についてですがーーー。
名詞・形容詞・形容動詞に直接逆説の助詞『ながら』がついた場合について 調査したいと考えました。

いつも考えるのですが、例文はなるべく短くしたい!
長くなると、調査項目の焦点がぼけるので、長くなるのは避けたい!
回答して下さる方の中には、長々した文を読むのは面倒だから単刀直入にしてほしいと
お考えの方もあるでしょう。

知人にも相談しました。
「彼は東大出ながら、出世しなかった。」
       ーーーこの文を書いた人の心の根底には学歴コンプレックスがあるんですね。
「彼は健康ながら、幸せに気付いていない。」
       ーーー健康であることの幸せを意識していない人って、ほとんどじゃないの?
「彼女は美人ながら、恋人ができない。」
       ーーー人間の価値は、外観ではなく心ですよ!
「彼は成績優秀ながら、受験に失敗した。」
       ーーー合格するには、成績だけじゃなくプラスアルファが必要なのよ。

今思えば、「彼は成績優秀ながら、受験に失敗した。」の方がよかったかと思うのですが、
そのときは、多くの人が心の中に持っているかもしれない欲望のようなことを取り上げた方が、
分かりよいだろうと、ついふらふらしてしまいました。

「この文を書いた人(つまり私)は『お金持ちであれば、人間幸せ!』という考え方だ。」
と思われるかもしれないし、そう思われたら嫌だなという気がしたのですが、
「お金さえあれば幸せだ。」と考える人はむしろごく僅かの人。
いえ、皆無かもしれないから、そこのところは分かって貰えるでしょう!
と考えて、結果「彼は金持ちながら、惨めな人生を送った。」にしたのですが、
やはり拙かったなぁと、今は反省しています。

例文の意味内容というよりは、
構文の使い方に重点を置いて回答して頂けたらと甘えたことを願っています。



2003/06/07 
 『正しい日本語』とは何か?
ブロッサム・タイム
『正しい日本語』とは何か?とよく考えます。
中学生か高校生だったとき、国語の試験で、
例えば「次ぎの文のタイトルを付けるとすれば、どれがよいですか。
次ぎの四つの中から選びなさい。」といった問題がありました。
私はよく×になったものです。そしていつも思いました。
「なぜ、私が選んだ答が間違いなのだろう。」

そう思いながらも、だんだん○が貰えそうな答を選ぶようになりました。
そうこうしているうちに、いわゆる学生時代、
いつも試験で×か○かのどちらかだと骨身に沁みて、
物事特に教科関連のことには×か○かしかないと思いこんできたのだと、最近つくづく思います。

○は正しくて、×は正しくない。でも、本当にそうなんでしょうか。
物事が正しいか正しくないかの判断は、判断の基準があってのことです。
人間のモラルの基準も、時代と共に変わります。
江戸時代、女性には『3従の徳』とかあったようです。
『幼いときは親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従う』
今の時代、こんなの笑っちゃいますね。     話が脱線したかも知れません。

私達が使う言語、つまり日本語に『正しい日本語』って、あるのでしょうか。
ある基準に当てはめれば、『正しい日本語』は存在するかもしれません。
その基準の最たるものは、『学校文法』でしょう。
学校教育の中では、○か×か決めなければなりません。
『学校文法』に問題があると言われながらも、ある意味簡便は文法は必要なのでしょう。

私もよく分からないのですが、国語審議会というものがあって、そこで時代の変化とともに
『正しい日本語』を変更したりしていて、その結果が内閣告示とか内閣訓令となっているようです。
あっ、そのあたり知識が不十分です。
でも、例えば、『重複』は、『ちょうふく』と読むのが正しいとされていたのが、
間違えて『じゅうふく』と読む人が増えたので、『じゅうふく』も正しいと認定されたとか。

ここには、正しい日本語の規範があるにはあるのですが、
でもそれほど細部に渡ったものではありません。
辞書を作るとき、改定するとき、内閣告示、内閣訓令は重視されると思うのですが、
それほど、細部に渡っていないので、同じ内閣告示、内閣訓令を重視して作った辞書でも
辞書によってかなり違った内容になったりします。
だから辞書に書いてあることは、ある意味著者の考え方であって、絶対正しいとは言えないでしょう。
慎重な人は、いくつかの辞書を読み比べてみたりしていると思います。

外国人が学習する日本語は、また別の規範があります。
いうならば、日本語を学習する負担を軽減したもの、日本語能力試験で正解となるもの。
学校文法とは、またひと味違ったものです。

初級あるいは中級の日本語を学習しておられる外国人の方には、
質問に対して○か×で答えることが親切だと思います。
別の人に聞いたら別の答が返ってくる可能性が十分にあってもです。
しかし、生まれた時から日本語を使って来た人に、○×でお答えすることはとても難しいことです。
「私の意見としては、その表現に違和感を感じます。」
「私は、こう思います。」ぐらいしか答えられません。
正しいか正しくないかなんて、とても言えません。
当サイトの日本語調査を見て頂いてもお分かりのように、意見は様々に分かれますしーー。
『正しい日本語』と言ってしまうと、「何を基準にして?」ということになります。

文法書を見ても、一本化されてはいません。
学者の数だけ学説があるというのは、本当だという気がします。

ただ日本語教師としては、自分の意見は持ちたいと思っています。
その意見は、柔軟性のあるものでありたいーーー。
そして、誰かが他の人と違った意見を述べるとき、
それは他の人の意見を否定しているのではないと私は思っています。
同じ景色でも、見る場所が違えば、違って見えるものなのです。

などと書きましたが、私も『正しい』『正しくない』を連発していますね。



2003/04/03 
 アメリカ版・100人に聞きました 
ゴールド・ウイングス
もうかなり以前のこと。
テレビで『英語版100人に聞きました』という内容の番組をやっていました。
詳しくは忘れたのですが、例えば『had better』 『should』では
どちらがより強制的か、といった内容で
アメリカでネイティブの人100人に
意見を聞いていました。
当時、私が高校で教わった英語の先生は、
『should』の方が強制的だと
言っていたので、私はそう思いこんでいたのですが、
意外なことに、意見が分かれたのです。
『どちらとも言えない』という人が結構多くて、でも
『had better』がより強制的だと
答えた人が一番多かったように記憶しています。
高校で英語には○か×かしかないと教えられてきた私には、非常に意外な感がありました。
そのことを覚えていたというより、ここで日本語調査を始めて、思い出したというべきでしょうか。

日本語でも英語でも他のどの言語でも、もちろん大方の意見が一致することもあるでしょうが、
意見がばらけることも多いのですね。

誰かの文章にあったのですが、言霊という言葉があるように、言葉はある意味自分の分身だったりして、
自分の使い慣れたものに対して人間非常に頑固になったりします。

でも、自分の意見は意見として、それで良いのではないかと思います。
ただ、外国の方に日本語を教える場合は、
なるべく自分の思い込みを減らして、普遍的でありたいとは思うのです。



2003/03/28 
 私が尋ねる側だった時 
もうかなり以前のこと。
アメリカ人の友人に幾つかの英短文を書いて見せて、 「この文は正しいですか。」
と聞いたことがありました。

簡単に、「これは間違い、これは正しい。」と教えてくれるのかと思ったら大間違い。
彼女、考え込んでしまいました。それも結構長い時間でした。

私は英語を専攻したわけでもなく、簡単な文章だったので、
なぜ、彼女がこんなに悩むのかわかりませんでした。
ディスコ・ダンサー

しばらくしてやっと、色々な条件設定をして、このときならOK。このときならNG。

と細々と話してくれました。そして、とても疲れたというのです。

私は、そのときシンプルに答えて欲しいと思い、彼女の詳しい説明を失礼にも、 むしろ迷惑だと感じたものです。
中学・高校の英語教育では、○か×かしかなかったので、彼女の態度は実に意外で
それだけに新鮮でもありました。

今、私は皆さまの日本語についてのご質問にお答えしようと思っていますが、
実に難しく、このアメリカ人の友人のことをいつも思い出します。
もちろん、一番の問題は私の力不足なのですが、質問して下さった方々の姿が見えないのがとても困るのです。
つまりニーズが見えないのです。

質問なさっている方が、 日本語にとても造詣が深い方(後でヴェテランの日本語教師の方だと
分かったケースもありました。)なのか、
ただ日常生活で疑問をお持ちの方(後で日本の中学生だと分かったケースもありました。)なのか、

外国の方で、簡単に整理した答を望んでおられるのか、それとも、深い議論をお望みなのか、
日本語教師をしておられて、授業の中で生まれた疑問なのか。
日本語を学び初めて日が浅い方か、私よりずーっと深い知識をお持ちの方なのか。
さっきお話したアメリカ人の友人は、かなり長いつきあいで、私のことはよくご存じだったのですが、
それでも、あんなに悩んでいました。

簡単でいいですから、自己紹介をしてから、質問していただけると良いなと思うのです。

日本語教師の仲間にこのホームページについて話したとき、暴挙だと言われました。
「すぐギブアップするよ。」とも言われました。
でも時々いただく暖かいお言葉に励まされて続いています。

因みに、別のアメリカ人の友人に同じような質問をしたとき、簡単にパッパと答えてくれました。
その内容は、私でもアレレと思う点があったのですが、それ以上質問することはしませんでした。
簡単にNG、OKと答えて貰えることのほうが、そのときは良かったのでーーー。


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