指導法Q&A
みゅー
日 本
4
私は今、週に1度公民館で外国人に日本語を教えている者です。
先日、韓国人の中級(初級が終了したばかり)の方に 「他の人、別の人、
他人、別人」は同じ言葉ですか?」と質問されました。
そのときはすべて少しずつニュアンスが違うと説明しました。
他(外)の人 話題になっている人or自分以外の人(1〜複数)
別の人 「他の人」と同じ意味もあるが、違う人というニュアンスが
こちらのほうが強い気が…。(1〜複数)
他人 何の関係もない人(1人)
別人 その人ではない人(1人) と、思ったのですが、
家に帰って辞書を調べると
「他の人」は上の通りだったのですが、
その他はすべて「ほかの人」と 書いてありました。
みなさん、どう思われますか?        
ふみさんにご回答頂きました。

まず、「他」と「別」の意味の違いを考えてから、
「他の人」「別の人」「他人」 「別人」について考えます。
そしてその後、日本語学習者に実際に教える際、私ならどういう説明をするかを考え てみました。
1. 「他」と「別」のちがい 基本的なイメージとしては、
「他」…「外」という漢字も当てはめるように、
「ウチ」に対する「ソト」。つま り、基準になるものを除いた、残り。
図にすると(描けませんが 、ドーナツの真ん中が「ウチ(=基準になるも の)」、
周りにぐるっと「他(=ソト)」があるような感じです。
「別」…ある基準があって、それと比べて「ちがう」と認められること。
この「ある 基準」をAとして図にすると、   [A]←→[別] こんな感じでしょうか。
そして、 「他」:「個(ウチ)」対「多(ソト=他)」、 「別」:「個」対「個」、 という対立関係が
あるような気がします。
ただ、これはあくまで基本的なイメージ で、
個々のケースを見ると必ずしも全部が当てはまるわけではないかもしれません。
2. 「他の人」「他人」「別の人」「別人」のちがい
「他の人」 基準になる人(以下「A」)以外の人。不特定多数になることも多い。
上の考えでいくと、「A」=「ウチ側の人」になります。
ですから、特に指示がな い場合には、「A」は話し手自身や聞き手など、
「自分に近い人」になることが多い と思います。
「もっと他の人のことをよく考えないと。」
「他の人は口を出さないでください。」
また「他の人」が不特定多数の場合は、
「別の人」では置き換えられませんね。
「他人」 (1)「他の人」と同じ。
(2)親族・親類ではない人。
(3)自分と何の関係もない人。   辞書(『新明解国語辞典』三省堂)より
  これは、(2)(3)は、 「ウチ」と「ソト」の意識が強く出た意味だと思います。
「別の人」 Aとはちがう人。
「他の人」との違いは、「別の人」は不特定多数の場合には使えないこと、
Aが「自 分」以外の人の場合が多いこと、あと、「別の人」と言った場合は、
一人をイメージ することが多いように思います。
もちろん、「別の人」=一人、ではなくて、
例えば 「よくわからないから、別の人にも聞いてみて」などでは、
一人とは限りませんよ ね。
こういう場合は、対立する線がいくつも出ているのではないか、と思います。
つまり図にすると、 [別]
[別] [A] [別] というような感じでしょうか。
「別人」 「別の人」と基本的には同じ意味ですが、「別人」は
ある特定の二人を比べているように思います。
つまり、「AさんとBさんを比べて見ると、BさんはAさんとはちがう人だ」
という ような感じです。
ですから、比べる相手が特定されない場合は使えませんよね。
「誰でもいいから、(○別の人/×別人)に頼んでください。」
3. 日本語学習者への指導 あくまでも、もし私ならどうするか、と考えたことを少し。
まず、「だいたいは同じ意味で、入れ替えできる文が多い」ということを伝えます。
それから、「でも、イメージ的にはこういう違いがあります」という感じで、
図を描 いて大体のイメージを伝えます。
そして、「他人」については、(2)や(3)の意味もあるので
注意するよう促し て、例文を挙げます。
自分では使わない方がいい、と言ってもいいかもしれません。
「別人」については、使い方がある程度限られるので、
「あの人を後ろから見て、Aさんかと思ったら別人でした。」など例文を挙げて、
覚 えてもらったらいいのではないかと思います。
「他の人」と「別の人」については(これが一番厄介だと思うのですが)、
比較的 ハッキリした「ちがい」としては、 「別の人」は不特定多数には使わない、
ということくらいだと思うので、入れ替えの できない例文を示して、理解してもらいます。
ほとんどは入れ替えができると思うのですが、やはり基本的なイメージの違いは、
図を描いてつかんでもらった方がわかりやすいのではないでしょうか。
                      

momoko
日 本
3 助数詞に関しての質問なんですが
「ひとつ」と「一個」の教え方について迷っています。
ひとつ、ふたつは一般的な物の数え方であるとテキストには載っています。
そうすると、一個、二個はどんな物の時に 使うんでしょうか。
私は、「かたまり」のような物にだったら、 一個、二個を使う気がしますが、
ひとつ、ふたつでもいい気がします。
同時に教えなくてもいいのですが、質問された時のために自分の中で
整理しておきたいと考えています。
助数詞について、今まで手薄になっていました。
今後質問を受けたときのため、整理しておきたいと私も思います。
それで、『一つ、二つ』『一個、二個』『その他固有の助数詞』に関し、
ふみさん、momokoさんの助言を頂いて、3人の間で考えてみました。
その結果は、こちらをご覧下さい。

この表作成作業の中で、感じたことを書きます。
ふみさん、momokoさんのご意見も入っています。
助数詞の使い方で、自分の中で揺れがあるものもあります。
自分の出した答も、後でやり直せば違う結果がでることもあるような気がします。
「『一つ、二つ』は、助数詞の上位概念である。」という考えを指導するのは、
学習者が日本人の場合は取捨選択できるのでOKですが、
外国人に対しては、誤解を生む結果になりやすいので避けた方がよいと思われます。
『一つ、二つ』は、必ずしも全ての助数詞の上位概念にはなるとは限りません。
助数詞の指導に関して、次の段階を踏んで指導してきましたが、
これで良かったかと思います。
(1) 固有の助数詞を持つものものをまず教える。
このとき、『一個、二個』は、助数詞の一つとして教える。
(2) 『一つ、二つ、三つ』は、『1、2、3』の別表現だと教える。
(3) 固有の助数詞を持たないものは、『一つ、二つ』で数えると教える。
(4) 固有の助数詞を持つものでも、
『一つ、二つ』で数えられるものがたくさんあると教える。
学習が進んだ段階では、次の2点について話しておこうと思います。
(1) 固有の助数詞でも、『一つ、二つ』でも数えられるものがあるが、
改まった席では、固有の助数詞を使った方がよい。
(2) 和語は女性に、漢語は男性により似合うという考えがあるが、
そう言う意味では、『一つ、二つ』は和語である。
『一個、二個』で数えられるものは、ほとんど『一つ、二つ』でもOKのようですね。
『一個、二個』で数えられるものは、かたまり状の具体物で、
且つあまり大きくないもの、ではないでしょうか。

ウサコ
日 本
2
「できる」の教え方かたがわかりません。〜からできる・〜でできる。
例文 シルクはまゆからできる 目玉焼きは卵で、できる。
この場合のできるを理解させるために なにかいい体現はありますか。
授業展開はどうしたらいいですか。 教えてください。 困ってます・・・。
上記のご質問を頂きました。
ウサコさんと何度か掲示板で書き込みを交換した内容を、こちらにまとめておきます。
ウサコさんから、良いアイディアを頂きました。
(1)初級前半ぐらいの場合。
『できる』は材料・原料を示す文型として導入するのはどうでしょうか。
絵カードを何枚か用意し、絵カードを見ながら文型練習をさせます。
(実物が準備できるときは、それにこしたことはありません。)
『〜からできる』(原料)、『〜でできる』(材料)の区別がつくよう絵カードを工夫します。

『から』を使うときは、材料の質が変わる場合。
まゆ→シルク 石油→プラスチック 木→紙 ミルク→バター 水→氷 麦→ビール
『で』を使うときは、材料の質が変わらない場合。
卵→目玉焼き シルク→スカーフ 毛糸→セーター 木→割り箸 紙→本
新鮮な魚→刺身

木→紙→本 まゆ→シルク→スカーフ
を使うと、『〜から』と『〜で』の違いが分かりやすいかもしれません。
『〜から』、『〜で』で色分けしてスクリーンに残すと定着が早いように思います。
                                      (ウサコさんの体験)
(2)自動詞と他動詞が学習済みの場合。
(1)に加えて、次の様に導入します。
『つくる』は他動詞ですが、これに対応する自動詞はありません。
しかし、意味上の対応する自動詞が『できる』です。

(3)受身が学習済みの場合。
(1)(2)に加えて、次の様に導入します。
他動詞が受身になると自動詞になります。
『つくる』の受身形『つくられる』と『できる』は、意味が同じです。


エプロン
日 本
1
私は外国人の方に「書くときに、すいません、は間違いです。」
と教えてしまいました。でも、間違いとはいいきれないようですね。
変化しつつある言葉として、訂正しなくては。
(でも外国人の方が使うと「間違えてる」と思われる可能性は大、だと
思うんだけどなあ。ま、それも含めて教えてあげるのがいいのでしょうか?)
私は、古い考えなんです。「日本人で『すいません。』という人は多いですけど、
正しくは『すみません。』です。話し言葉では『すいません。』」になることはありますが。」
と言いたいです。元々、「これくらいの感謝ではすみません。」からきた「すみません。」ですから。

矛盾する言い方ですが、私は正しい日本語なんて存在しないと基本的には思っています。
つまり、言語は日々刻々変化していくものであって、
どこまで遡れば正しいと言えるか分からないからです。
国語審議会が決めたもの、あるいは文部科学省が決めているものが正しいという
考えはありますが、私自身は、なるべく日本語の伝統を残し伝えたいとは思うのです。

色々言いましたが、教える側がある程度はっきりと「こうです。」と言わないと、
学習者さんは不安に感じるものです。
初級の段階では、はっきり言い切っておいて、
学習が進んだ段階で、色々あると説明を加えてはどうでしょうか。

何を正しいとするかは、教える側が熟慮して決めるべきことで、
どのように教えたからといって、それが間違いだとも言えないと思うのです。
間違っているんじゃないかと、必要以上に心配することはないのではないでしょうか。
日本語教師は、よく学び自分の考えをよくまとめておく必要があると思います。
そう思いながら、私自身学ばず日々が過ぎていきますけど。

ただ言えることは、よく知っているはずの日本語でも分かっていないことが多くて、
実に奥が深いものだということです。



番外Q&AコーナーTOP

トップぺージへ!