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助動詞関連
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助詞関連(13)
のびすけ
日 本
130
外国の友人に聞かれて、よくわからなくなりました。
「昨日、映画やってたよねぇ。見た?」 という場合の
「映画」のあとに省略されているのは、「を」のような気がするのですが、
最近 「が」をつけた話言葉を良く聞くような気がします。
「映画がやってた」 などと。
「が」はなんだかしっくりこないのですが、 やはり間違いなのでしょうか。
若者言葉等で『が』を使う人もあるかもしれませんが、 『を』です。
特に日本語を学んでおられる外国の方には
しっかり『を』と覚えてほしいと思います。

井 上
日 本
129
「私にできること」と「私ができること」について、
どちらも日本語として正しいと 思いますが、
小学校の総合学習の成果の文集に載せるのですが、
文法上の違いを教え てください。
全体の文を挙げていただけると分かりやすのですが、
取り敢えず、例えば、次のような文で考えてみます。
(1):「私にできることは、AとBです。
(2):「私ができることは、AとBです。
(1)は『に』を使うことによって、謙遜というか控え目な雰囲気がでます。
(2)の『が』は、単に主語と述語の関係を示していますが、
場合によっては、やや自己主張が強いように聞こえるかもしれません。

とはいえ、文の前後関係も考慮しないと何とも言えません。

m_yamaguchi
日 本
128
接続助詞「も」の使い方について、教えてください。

先日、あるニュースサイトで、
「イラン大統領、安保理付託も、核開発継続を表明」
というタイトルがありました。
最近新聞でもTVでも名詞のあとに「も」が付くのをよく見かけるのですが、
私には違和感があります。

逆接の仮定条件(たとえ・・・・であったとしても)を表す接続助詞「も」は
多くは活用語の連体形につくということですが、
名詞に付く用法もあるのでしょうか。

現代語では有名書籍での用例・先例があるのでしょうか。
古文でも用例はあるのでしょうか。
私が辞書で見たところでは、名詞につく例は見当たりませんでした。
私が調べたところでは、名詞につく例は今のところ見つかっていません。
古文の用例ですが、
調べたことがないので分かりかねますが、多分ないと思います。

お尋ねの件は、ニュースサイトのタイトルということで
特殊な例ではないかと思うのです。

タイトルは、なるべく短く、しかもインパクトを与えるものでなくてはなりません。
『イラン大統領、安保理付託をしたとしても、核開発継続を表明』となると
意味は分かりやすいのですが、タイトルとしては冗長になります。
タイトルを作る人は、『意味が分かりやすく、しかもシンプル』という
ぎりぎりのところを見切っているのだと思います。
そのためには、緊急避難的に文法の無視もある程度はOKだと思うのですが、
このタイトルは、ちょっとやりすぎて、分かりにくくなっているという気がします。

私もあまり上手なタイトルだとは思いません。

真理子
日 本
127
現在アルバイトで日本語を教えているのですが、
教科書に『どうかしたんですか。顔色が悪いですね。』
というフレーズが出てきました。

この場合『どうしたんですか。』と質問することも
可能だと思ったのですが、
『どうした』と『どうかした』のはっきりした違いが説明できません。
どういった違いがあるのか教えてください。
「どうしたんですか。」の場合は、
相手に何か問題が発生していると確信して聞いています。
「どうかしたんですか。」の場合は、
相手に問題が発生しているかどうか、いまいち確信がない
というニュアンスが入ります。
相手に問題が発生している確信があっても
こういう聞き方をすれば少し婉曲的になります。

阿 部
日 本
126
「ながら」の用法について、
以下の説明部分がどうしてもうまく説明できません。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「〜ている」をつけると状態を表す動詞は「ながら」と一緒に使えない。
×疲れたので、座りながら(○座って)花火を見た。
×電車に乗りながら(○乗って)新聞を読みます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
口語ではどちらも使っているように思うのですが、
文法上はなぜ間違いなのでしょうか?
『「〜ている」をつけると状態を表す動詞』という部分がよくわかりません。

また、たとえば、
「椅子に座りながら新聞を読んでいる。」が、間違いなのに
「歩きながら物を食べてはいけません。」は、正しい。
これらの「ながら」の違いがどこにあるのでしょうか?
『ながら』に違いがあるのではなくて、動詞に違いがあるのです。
動詞の分類に、『瞬間動詞』『継続動詞』というのがあります。
この違いは、『読んで字のごとし』なのですが、
はっきり区別できるとは限らない場合もあって、
突っ込まれると返事に困ることもあります。
何が『瞬間』で、何が『継続』か、考えると分からなくなる一面もあるのです。
でも、取り敢えず、便利なことは便利です。

『〜ている』をつけることによって、瞬間動詞が継続動詞になる、
あるいは、継続動詞の継続性がよりはっきりするなどあります。

『座る』は瞬間動詞で、『花火を見る』は継続動詞です。
一瞬で終わる動作と継続する動作を、同時には行えないから、NGとなります。
「椅子に座りながら新聞を読んでいる。」
がNGである理由も同じです。

ところが、『歩く』も『食べる』も、両方とも継続動詞ですから、
「歩きながら物を食べてはいけません。」
は、OKとなります。

mika
在日韓国人
(日本語native
125
現在アルバイトで韓国人に日本語を教えています。

先日、韓国語を日本語に訳す問題で
生徒さんが「これは甘いしおいしいリンゴです。」と訳したのを
「これは甘くておいしいリンゴです。」の方が
自然な日本語だと直したのですが、
それはなぜかと理由を聞かれるときちんと答えることができませんでした。
文法的に間違っているのか、
文法的には合っているけどただ私が聞き慣れていないだけなのか、
いろいろと考えてみたのですが、よくわかりません。

とりあえず、「並列・対比」を表す接続助詞「〜て」と「〜し」を使って
例文を作ってみたのですが、
何度も読み返すうちに、最初は不自然に感じていた例文まで
自然な文章のような気がしてきて、
訳がわからなくなってしまいました…
例) 1. これは甘くておいしいリンゴです。
これは甘いしおいしいリンゴです。
2. 貧しくてかわいそうな人。
貧しいしかわいそうな人。
3. 蒸し暑くて、風もなくて、まったく参ったよ。
蒸し暑いし、風もないし、まったく参ったよ。
4. しゃべっている人もいなくて、横を向いている人もいない。
しゃべっている人もいないし、横を向いている人もいない。
とりあえず、訳がわからなくなりながらも思ったのが、
1や2の例文のように文末に名詞が来るとき「〜し」を使うと
なんか不自然な感じがするなぁということです。

それとは逆に、3、4の例文は「〜し」を使った方が
自然な感じを受けるのですが...
3の「〜し」は原因・理由を表す「〜し」に当たりますか?
おっしゃる通り、名詞述語文では、『〜し』を使わないという説明でよいかと思います。
次のような言い方だとOKです。
これは甘いしおいしいし、プレゼントにぴったりのリンゴです。
このリンゴは、甘いしおいしいです。
接続助詞『〜し』の本来の用法は、『類似の言葉を並べる』です。
『原因・理由を表す』という用法は、比較的最近出てきたもののように思います。

3.の『〜し』は『原因・理由を表す』とも取れるし、『類似の言葉を並べる』とも
取れると思えるのですが、どうでしょうか。

ら ら
日 本
124
先日、仕事で「H17年12月26日まで公表しないで下さい。」
と文書に書いたところ、
26日の0時00分から公表して良いのかと言われました。

自分としては、27日の0時00分から、
つまり26日中は公表しないで下さいとの意味で書いたのですが、
使い方としてはどちらが正しいのでしょうか?

「26日までとします。」であれば、26日中となると思うのですが、
なにか差があるのでしょうか?
また、このような場合、
間違われないような書き方があれば教えて頂きたいのですが?
助詞関連Q101に、『まで』についてのご質問に回答しています。
このときの回答は、私の日本語母語話者としての直感で書いたものです。
そして、日本語調査109で皆さまのご意見を伺いました。

今回のご質問に対する私の母語話者としての直感は、Q101回答と矛盾しています。
「12月26日まで公表しないで下さい。」と言われたら、
『26日の0時00分から公表して良い』という気がします。

なぜなのだろうかと考えてみました。
「2月10日まで水道が止ります。」
「2月10日まで水道が出ません。」
のように、肯定文の場合と否定文の場合とで違いがあるということなのか
という気がしています。
しかし、正直に申しまして、考えていると分からなくなります。

この『まで』についてですが、100%意見が一致するということはないように思います。
仮に少数であっても意見を異にする人があれば、
ららさんがお考えより1日早く情報が公開されるようなことになってしまいます。

完璧を期すためには、
「H17年12月26日まで公表しないで下さい。
27日になれば公表しても構いません。」
といったふうに、誰にも誤解がないように書いたほうが良いかと思います。

日本語調査結果(135)]もご覧下さい。

SHIHO
日 本
123
どちらかといえば否定的なイメージが連想されることを
連続的に行うさまを表すときに、
「〜は、〜は」という表現が使われます。
例) 彼女の悪いうわさが出るは、出るは・・・。
泣くは、わめくはの大騒ぎ
私は「は」で正しいと思うのですが、
字面をみた感じがなんとなくしっくりきません。

これは「は」で正しいのでしょうか。それとも、
 出るわ出るわ、泣くわわめくわ
であるのか、あるいは、
 出るわ出るは、泣くはわめくわ
なのでしょうか。
この場合の『わ』は、詠嘆を表す『終助詞』で、
「出るわ、出るわ。」「泣くわ、わめくわ。」だと思います。

あ や
日 本
122
週に2回、中国人スタッフに日本語を教えている者です。
今日は一つご質問させて頂きたく、メールさせてもらいました。
例えば
@ A:
B:
土曜日と日曜日とどちらが都合がいいですか。
どちらでもいいです。
A A:
B:
あなたはスポーツをするのと見るのとどちらが好きですか。
どちらも好きです。
の場合、Bの答えは両方とも
@
A
どちら「でも」いいです。
どちら「も」好きです。
であって、
@
A
どちら「も」いいです。
どちら「でも」好きです。
ではおかしいと思います。
それで、なぜ@では「でも」でAでは「も」でないとおかしいのかを
中国人スタッフに説明したいのですが、
納得させられる説明が思いつかないのです。
@
A
「土曜日」も「日曜日」も両方とも都合がよい。
「スポーツをする」のと「スポーツを見る」こと両方とも好きである。
と結局は「すべてのものにあてはまる意」である点は
共通しているかと思います。
しかし、ここから先が進まなくなってしまいましたので
ぜひとも教えて頂ければと存じます。
説明の仕方を二通り考えてみました。

説明の仕方(1)
続く言葉、この場合『いいです』『好きです』によって、
『でも』か『も』か決まってくる、と説明する。

説明の仕方(2)
@の場合
副助詞『でも』の用法に
『〜でもいい』『〜でも構わない』というのがあって(熟語といえると思います)
『でも』を使うことによって、譲歩の意味が含まれます。
(この例文の場合、「あなたの都合に合わせますよ。」)
Aの場合
副助詞『も』は、『すべてのものにあてはまる意』を表しています。

ツバサ
日 本
121
助詞のことで疑問に思ったことがあるので、投稿させていただきました。
「崖の上を歩くと危ないよ」
「崖の上を歩いては危ないよ」
OK
OK
「崖の上を歩くと気分がいいよ」 
「崖の上を歩いては気分がいいよ」
OK
NG
文によって「と」は使えるのに「ては」が使えないものがありますよね。
その違いは後に続く言葉に左右されるのですか?
「と」は動作を伴って、後のことが起きる、
「ては」は過去に何回もその動作をしているなど、
2つの助詞の捉え方が異なるのは分かるのですが・・・。
また、この場合の「と」は接続助詞、
「ては」は接続助詞「て」+係助詞「は」ですか?
『ては』は、後件に否定的な事柄(望ましくない事柄)が成立するときに使います。
今のところ後件に望ましい事柄がきている文例を見たことがありません。

『と』と『ては』の品詞については、
『は』を副助詞だという人もあれば、『ては』は連語だと言う人もあり、諸説あります。
ツバサさんがおっしゃるのも1説だと思います。



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