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動詞関連(3)
日本語教育では、五段活用動詞をTグループ、一段活用動詞をUグループ、
『くる』『する』をVグループと呼ぶことがあります。
知 恵
韓 国
日本語歴:4年
30
1)もしあの時たばこの消していたら、火事にならなかっただろう。
2)もしあの時たばこの消したら、火事にならなかっただろう
3)もしあの時勉強したら合格しただろう
4)もしあの時勉強していたら合格しただろう  
この四つの文章の意味はどうちがいますか。
文章は全部成立できるんでしょうか。
1)2)は、『たばこの』の『の』が間違っていますね。 『を』を使うのがよいと思います。

『消していたら』は、『結果の存続』でしょう。
『消す』という動作があって、『消した状態』が続いています。
『消したら』は、単に『消した』動作だけを述べています。
『消す』を瞬間動詞と呼ぶ人もあるようです。

『勉強する』は継続を表す動詞ですね。
『勉強したら』は、短期の勉強、 『勉強していたら』は、長期の勉強という感じで
ニュアンスが違います。
もちろん、詳しくは前後の文をみなければ、なんとも言えないのですがーーー。
どの文も間違いではないでしょうが、 『消していたら』『勉強していたら』の方が
より自然な感じがします。
状況によって違ってきますがーーー。

あろま
日 本
29
れる・られるの用法はよく問題になっていると思いますが、
自分でも 変だと感じる場合と、普通に感じる場合とあるのです。
以前、人から「何を飲まれますか?」と聞かれ、変な敬語だと思いました。
これは「お飲みになりますか?」が正しいのでしょうか。
仕事で、職場の他の者に知らせる為にメールの文中で
「会議に入られます。」と いう表現を目にするのですが、
あまりこれには私自身は違和感は なかったのですが、
「会議にお入りになります。」の方が正しいのでしょうか?
動詞の尊敬語のついてのご質問ですね。
動詞の尊敬語は3種類あります。
(1) れる/られる がつく。
これは受身形と同じ形になるので、違和感を感じられるかもしれませんが、
尊敬語で問題ありません。(一段動詞の可能形も同じ形になります。)
飲まれます、入られます は尊敬語でOKです。
(2) お○○になります。(公式のようなものだとご理解下さい。)
お飲みになります お入りになります は、尊敬語となります。
(3) 飲む/食べる→召し上がる
行く/来る/居る→いらっしゃる 等の特殊形
(入る には特殊形はありません。)

(3)(2)(1)の順番で(3)が一番敬意が高いという説があります。

Naomi
日 本
28
次の文についての質問です。
「お母さんと同じ目をしていなさる」
(い)る ? 「なさる」は「する」の尊敬語で、
「いる」は「いらっしゃる」と言いますが・・・・。
「て形」プラス「〜いなさる」というふうに考えれば良いのでしょうか?
これは文法上どのように、説明したら良いのでしょうか?

あれからネットで「て形」を調べていましたら 動詞て形+います(状態)
というのをみつけました。
「同じ目をしていなさる」というのは、「状態の尊敬表現」なのですね?
状態を表している時には、「食べていなさる」にすればいいわけですね。
これで、よくわかりました。
『なさる』は『する』『なる』の尊敬語ですが、
動詞の連用形(マス形)について 尊敬を表すという用法があります。
『いる』という動詞の連用形(マス形)に『なさる』をつけて
尊敬を表現しているんだと思います。
『食べなさる』『行きなさる』といった尊敬表現もありますね。
亡き祖母が使っていた記憶があります。
現代では『食べていなさる』『行っていなさる』の方を使うかもしれません。

不明
日 本
27
日本語調査54について
「旅行に行く」という日本語は無い。
「頭痛が痛い」とか「登山を登る」と言いますか?

[日本語調査結果(56)]もご覧下さい。おっしゃる通りです。
54は、『〜たいです』に違和感を感じるかどうかの調査ですので、
これは、非常にまずかったと反省しています。
ご指摘ありがとうございます。

ただ言語というもの、文法的におかしかったりしても、
多くの人が使うようになれば、言葉として存在するようになります。
『頭痛が痛い』とか『登山を登る』とは、現在では言いませんけれど、将来は分かりません。
『旅行に行く』は、もう認知されていると思っていますが、
私の思い込みかもしれません。

時々、こういうハッとするご指摘をいただいて、
このホームページを持っていてよかったとつくづく思います。

日本語調査結果(62)]もご覧下さい。

しゃむ
日 本
26
最近見かけるうちで、どうしても気になるのは
「センスにあふれた雑貨」というような表現です。
これが「センスあふれる雑貨」なら、まだ違和感は感じないのですが…。
いえ、「そもそも『センス』って溢れるのか?」という疑問はかなり残りますが、
それは多目に見たとしても、です。

いろいろ考えてみたところ、どうも
  「○○あふれる」だけで充分伝わるのに、
  なんで「○○にあふれた」とまで言わなきゃいけないの?
という、二重敬語に対するのと似た過剰感を感じているようです、自分。
果たしてこれが妥当な疑問であるのかどうか、
教えていただけると助かります。
『センスにあふれた雑貨』の『あふれた』は、もちろん過去形でなくて、
『結果の継続』と言われるものではないでしょうか。
『あふれる』という動作があって、しかもあふれた状態が継続しているーーー。
『尖った鉛筆』『帽子を被った人』などがその例です。

私は『あふれた』の部分に違和感はないのですが、
助詞『に』にかすかに違和感を感じます。
「廊下に水があるれた。」のように『に』はあふれる場所をさすように思えます。
(あふれた先、『着点』と言ったほうが良いかもしれません。)
『センスがあふれた雑貨』ならOKなんですけどーー。
とは言え、『センスがあふれた雑貨』と『センスあふれる雑貨』と
どちらを使うかと聞かれたら、『センスあふれる雑貨』を使うと答えます。

『〜に満ちた』という表現の影響で『〜にあふれた』が出てきたのではと思うのですが、
『〜に満ちた』の『に』は、『場所/着点』ではなくて、
『存在のあり方が問題にされる内容物や付属物を表す』 。
例として、『養分に富む』『やる気に満ちあふれる』『責任感に欠ける』 等が、
『明鏡』という国語辞典に出ていました。
少し分かりにくいですけどーーー。

正しいか、正しくないかが多数決で決まるとも思っていませんし、
そもそも正しいとはなんなのだと考え込んでしまいます。

日本語調査結果(61)]もご覧下さい。

レイチェル
オーストラリア
日本語歴:8年
25
『する』という意味で、『やる』を使うことがありますが、
『する』と『やる』とでは、どう違いますか。
『やる』は、もし漢字で書くなら『遣る』と書きます。
元々は、『人に命令して行かせる』という意味でした。
次第に多くの意味に使われるようになって、『する』の意味にも使われるようになりました。
しかし、『する』よりは俗語的な言い方です。
最近は、『する』も『やる』も違いがないと考えられるようになって来ていると思います。
でも、少しニュアンスの違いはあるのでしょうか。
「テニスをやりますか。」−テニスができるかどうか聞いている可能性がやや大。
「テニスをしますか。」−−これからテニスをしようとしているかどうかを
                聞いている可能性がやや大。  かな?
いずれにしても、違いは微妙なところでしょうね。

日本語調査結果(58)]もご覧下さい。

韓 国
日本語歴:不明
24
日本語を勉強している学生ですが、質問させていただきます。
動詞の分類のことですが、5段動詞の場合は、5段にわたって、
活用(変化)することが、語幹、語尾の説明ともあてはまりますね。
が、1段動詞の場合は、5段動詞のように活用のことが
うまく行かない気がします。
たとえば、食べるの場合を見ても、語幹がたべまでではないでしょうか。
どうして、語幹が ”た”で、べが語尾に入るのか、どうしてもわからなくて。。
1段動詞のわけを教えてください。
一段活用動詞の語幹は、例えば『食べる』では、『tab-』までです。
活用は全て、e e e e e となるので、一段活用と言うのです。
『起きる』では、『ok-』でi i i i i となります。 一段活用は、この2種類です。
5段活用動詞の語幹は、例えば『歩く』では、『aruk-』です。 そして a i u e o と活用します。

加東 弥生
日 本
23
私は、看護学校で看護学の教員をしています。
最近、学生の書く記録で表現が不適切ではないか
と思うことが度々あり悩んでいました。
患者さんの発言に対して、言葉が見られた。言葉が聞かれた。
という表現で書きます。
私は、患者が〜と言った。でよいのではなかと 思います。
何事に対しても第三者的な言い回しで書くのですが、
これは正解なのでしょうか。
正解か不正解かは、なんとも言えないのですが、
日本語は、第三者的な言い回しが好まれる言語だとは思います。
というか日本人の国民性だと思います。
自分で決めた結婚でも、「結婚することになりました。」
電車の車掌さんが、ドアを閉めるとき、「ドアが閉まります。」
「結婚することにしました。」も「ドアを閉めます。」も もちろんOKですが、
どちらの方が違和感がないかは、個人差によるんでしょうね。
これに関しては、以前に書きました

それと、何と言ったらいいんでしょうか、責任を回避したい気分ってあるんでしょうね。
「ーーー。」と言った。と断言する場合、 その言葉の裏にあるもの、微妙な感情を
切り捨ててしまうという心配があると、学生さんはお考えなんじゃないでしょうか。

ですが、看護記録というものに要求されるものが何であるか、
私にはよく分からないので、一般論的なことを私見でお答えしています。

知 恵
韓 国
日本語歴:4年
22
どこかの新聞で見た文章です。
一人もなかったは正しいか 教えてください。
私は<いなかった>の方があっているような気かするんですが。

李容疑者に金を振り込んだ女性教師は1人もなかったという
『いなかった』を使うほうが正しいでしょうね。
初中級の日本語学習者さんが、この使い方をしたら、
『いる』『ある』の使いわけに混乱がないかどうかチェックします。

ただ、この文は必ずしも不自然とは言えない部分があります。
『いなかった』と使うべきところ、『なかった』と使ってしまった誤用で、
その誤用が定着してしまったのか、
あるいは、『李容疑者に金を振り込んだ』という事柄に重点がおかれて、
『ある』『ない』になってしまったのかーーー。

私もどういう結果がでるか調査結果に興味があります。

日本語調査結果(51)]もご覧下さい。

知 恵
韓 国
日本語歴:4年
21
た形についてすこし教えていただきたいんです。
 @ 今度の冬休みに国へ帰った時、友達に会うつもりです
この文章で、帰った時におけるた形は過去じゃなくて、完了だと思いますが、
この場合、た形は時制とは関係ないと考えてもいいんでしょうか。
質問の内容がすこしわかりづらいかもしれませんが、
よろしくお願いします。
完了という動作は、未来においても、現在においても、過去においても 起こります。
表現を変えると、時制に関係ないとも言えるでしょう。
現在において完了している動作を過去形と言います。

うーーん、これも分かりづらい説明になってしまいましたね。

英語の時制が、現在、過去、未来なので、
私たち日本人は、つい英語の文法で日本語を考えてしまいます。
英語の時制の考え方と日本語の時制の考え方は、 切り離して考えなければといつも思います。



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