谷川士清のをご紹介しましょう。
士清が生きたのは、1709-1776、将軍は吉宗、家重、家治の時代です。
京都で医学の修行をし、津に戻って医事に勤める傍ら、国学に励みました。
代表的業績は、『日本書紀通証』と『和訓の栞』。
『大和(日本)魂』という言葉を使った和歌が残っていますが、近年の戦時にこの言葉が使われ
戦争の忌まわしい記憶と結びつくと、士清にあまり快い感情を持たない人もあるかもしれません。
士清にとっては、迷惑なことではないでしょうか。
宣長は、息子の春庭も国学者として有名です。
春庭は失明してしまい、宣長がなんとか失明させないよう温泉に連れていったりしたという
父親として愛情あふれるエピソードが残っています。
士清の息子は、国学者として力がなかったのかというとそうではなくて、
息子の士逸(はやなり)も国学者として研究に従事していたのですが、
追放されるという憂き目にあって、お墓は、旧宅近くにある士清のお墓の側にはありません。 |