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 助動詞関連(3)
モモ
日 本
30
日本語教師の資格を今年取得し、今年3月から中国の大学で
日本語教師採用となりました。現在、作文指導を行っています。

【生徒の作文】
「誕生日の日はとても暑かったです。天気予報によると、大雨が降るそうでした。」
・・・ここで私は「降るそうでした。」に違和感を感じます。
(伝聞)「〜そう」を、↑のように過去の出来事に使うこともありますか?
どのように考えたらよいか、生徒にどんなアドバイスをしたらいよいか、
助言をお願いします。
伝聞の『〜そうだ』ですが、過去の出来事には使わない、と言って良いと思います。
『〜とのことでした』『〜ということでした』だと違和感がありませんね。
『天気予報が、雨が降ると伝えていました』も良いでしょう。
例を挙げて示すのが良いのではないでしょうか。

M & R
日 本
29
『続きそう』というのは、言い方としておかしくないですか。
もし、『続きそう』がおかしくないとして、否定形はどうなりますか。
『続きそう』ではなくて『続けられそう』だと自然な言い方だと思いますが・・・・・。
『続きそう』は、おかしくないと思います。否定形は、『続かなさそう』になります。
『続きそう』と『続けられそう』は、ニュアンスが違うように思いますので、下記のように纏めてみました。

(1)続く(自動詞)→続かない

   続きそう:努力しなくても楽に続く。
   否定形→続かなさそう

(2)続ける(他動詞)→続けない

    続けそう
   例文:この歌は長く愛され続けそうです。(複合動詞として)
      彼は今後も現役を続けそうです。
      彼は現役を続けなさそうな雰囲気がありました。

   注:『続けそう』は上記のような例文では使われる。
   否定形『続けなさそう』は使用可能だけれど、余り使われない。
   肯定形、否定形ともに、『主語』を選ぶ。

 (3)続けられる(可能形)→続けられない

    続けられそう:多少の困難や努力は伴うが続く。

   注:否定形『続けられなさそう』は使用可能だけれど、余り使われない。


魏麗琴
中 国
日本語歴:10年
28
使役の「せる、させる」の使い方について、
教えていただけないでしょうか。
自動詞の場合、使役の対象は「を」(強制)、「に」(許可」というふうに
テキストでの説明がありますが、
「社長は社員に一日に7時間働かせます。」
と言う文の「社員に」は許可を表しているんですか。
それから、他動詞の使役対象は普通は「に」で表しますが、
「お客さんを待たせます」と言う文には「を」を使います。
これは正しいでしょうか。「に」も使えますか。
自動詞の使役形では、動作主体を『〜に』または『〜を』で表します。
『〜に』と『〜を』とでは、どう違うかという問題ですが、
次の例文を考えてください。
@その映画監督は、女優を笑わせた。・・・・放任(自然とそうなる)
 (監督が冗談を言ったので、女優が自然に笑った。)
Aその映画監督は、女優に笑わせた。・・・・強制
 (映画監督が演技指導したので、女優が笑った。)
一般に、『〜に』の方が『〜を』を使うより強制の感が強まります。
 
文脈が分からないのですが、ご質問の1文だけだと
「社長は社員に一日に7時間働かせます。」は、
『許可』ではなく、『強制』のように感じます。
 
他動詞の使役形では、動作主体は『〜に』で表します。
これは、他動詞は元々『を格』を取るので、
「母親は、子供を人参を食べさせる。」となって、
『〜を』がダブるのを避けるため『〜に』しか使わないということです。

中 国
日本語歴:3年
27
この間、「そうだ」と「ようだ」を勉強しているとき、
私の先生が「雨が降るようです」はあまり使わないと言いましたが、
それは本当ですか。
では、どんな状況で「雨が降るようです」 を使えますか。
そのとき、「雨が降るようです」と「雨が降り そうです」はどう違うか、
教えていただけませんか。
「雨が降るようです。」より「雨のようです。」の方が多いかもしれません。
でも、「雨が降るようです。」も使わないわけではありません。

例えば、
空が曇っていて、湿度が高い。
こういうときは、雨が降ると経験として知っている人が、
「明日は雨が降るようです。」 「明日は雨のようです。」

例えば、
あるお天気キャスターの天気予報がよく当たるなぁ、 と思っている人が、
そのキャスターが「明日は雨が降るでしょう。」 と言うのを聞いて、
「明日は雨が降るようです。」 「明日は雨のようです。」

「雨が降るようです。」は、経験、知覚などからくる不確かな推測とか断定、
「雨が降りそうです。」は、今そのときが切迫しているという状況です。

鈴 木
日 本
26
日本語教師でもなく、目指してるわけでもないのですが、
日本語を勉強している外国人に質問され
答えられなかっ たのでメールしています。

「幼い子供の見ている前で、夫婦げんかを___。」
A. しないべきだ  B. するべきではない

私はBだと思いますが、
どうしてAではいけないのか違いが説明できないのです。
どうぞよろしくお願い致します。
『べき』は、文語の助動詞『べし』の残存形で、 常に動詞の終止形に接続します。
日本語を学んでおられる方には、簡単に、
『べき』の前には、動詞の『辞書形』が来るきまりがあると 教えてあげて下さい。

因みに、日本語を学習している外国人は、
『終止形』のことを『辞書形』として学んでいる場合が多いようです。

竹 内
日 本
25
最近私の周りで、
「〜のようだ」の表現を「〜みたく」と表現するのは適切なのか、
そうでないのかという小さな論争が起こりました。

「〜みたく」の表現が、どのように変化してきたのかもよくわからないので、
自分なりに調べたのですが、
静岡地方の方言にもあったり、東北のほうでは普通に使っている、
10代から20代の若者は日常会話として使っている、
というぐらいしかわかりませんでした。

そこで、私の見解としましては、「〜のようだ」から「〜みたいな」のように、
「〜みたいだ」が変化してきている途中の表現と思うので、
しゃべり言葉のようにくだけた表現として使うなら問題はないとは思うのです。

そこで、樹さんならどのようにお考えになりますでしょうか?
ぜひご意見を伺わせていただければ幸いに存じます。
日本語を教えるときは、一応間違いだとしています。
おっしゃるように『〜みたいだ』が変化したものだと思います。
『みたいだ』は形容動詞型の助動詞ですが、『みたい』と『い』で終わると、
私たちは、形容詞であるかのように錯覚してしまいます。

『美しい』→「美しく着飾る。」 『厚い』→「厚くバターを塗ったパンを食べた。」のように、
形容詞が副詞的に使われるときは『く』を使います。
この規則が過剰に使われて、『〜みたいに』が『〜みたく』になったのはないでしょうか。

人間は、少しでも楽ができるような動きをしがちです。
『〜みたいに』と言うより『〜みたく』の方が楽ですから、
どんどん広まっていっているんでしょうね。

『〜みたく』を使う人が多くなると、それが正しい日本語として
国語審議会などで認知されるようになるかもしれません。
しかし、今のところ、私は『〜みたく』は使っていません。
でも、将来は、どうなるかわかりません。

使われている地方もあるようですし、
どうでなければならないという程のことではないと思っています。

金ジョンイン
韓 国
日本語歴:3年
24
文章のなかで、
'効果的な政府を構築すべく電子政府計画を構築する'が出たんですが、
ここで'すべく'はどういう意味ですか?
『べく』は、文語の助動詞『べし』の連用形です。
『べし』は、いろいろな意味があるのですが、
この場合は、『意志』だとしても良いし、『実現させるために』としてもよいでしょう。
『効果的な政府を構築するように電子政府計画を構築する』
『効果的な政府を構築するために電子政府計画を構築する』
といった意味になると思います。

Dmitry
ロシア
日本語歴:2年
23
今回の質問は「やがる」と言う助動詞についてです。
この言葉はちょっと乱暴だからなのか、教科書には一言もないです。
よく本や映画に出ている単語なのに。
辞書に情報があまり少ないですからお尋ねします。
実は時々問題なくわかるときもありますが、
ときには不思議でわかりません。

もしよろしければ使いかたと礼儀の問題について
教えて下さいませんか。
『ちょっと乱暴だから』と書いてありますので、お分かりだと思います。

『やがる』という助動詞は、
相手をさげすんだり、ののしったりするときに使います。
とても乱暴な言葉ですから、普通の会話では使わない方が良いと思います。

使用例: 勝手にしやがれ。(命令形)
馬鹿なことを言いやがる。

にわとり
日 本
22
東京都に住む中学生です。 実は先日学校で
「大テントの見上げるように高いところを」(「ブランコ乗りのキキ」より)
という表現は比喩か例示か、という事について話し合ったのですが、
結論は「見上げる」と「高いところ」がイコールで結ばれれば例示であり、
結ばれなければ比喩である、ということになりました。
しかし私はなかなか納得できません。
どう思われますか?
反対意見でも賛成意見でも構わないので
是非意見を聞かせてください。
比喩(比況)と例示の違いを、
一度自分の言葉でまとめようと思いながら、長く先送りになっていました。
日本語教師養成校時代の講義の内容を思い出しながら
とりあえず、整理してみようと思います。
比喩(比況)
似たものを提示して、類推の手助けにする。
『まるで』をつけても不自然にならないことが多い。
代表的な文型は次の通り。
[名詞]のような[名詞] 氷のような微笑
[名詞]のように[用言] 火のように熱い。 / ゴムのように伸びる。
[動詞]ように[動詞] 人生が終わったように思った。
[動詞]ようだ まるで生きているようだ。
[名詞]のようだ



彼女は天使のようだ。

[動詞]ようなものだ もう勝ったようなものだ。
注:[用言][動詞]は活用しますが、ここでは単に[用言][動詞]とします。
例示
具体的な例を提示する。
『例えば』をつけても不自然にならないことが多い。
代表的な文型は次の通り。
[名詞]のような[名詞] 君のような幸せ者は他にない。
[名詞]のような[用言]+[名詞] 人参のような赤い野菜は健康によい。
[名詞]のように[用言]+[名詞] 人参のように赤い野菜は健康によい。
注:[用言]は活用しますが、ここでは単に[用言]とします。

私の考えでは、次のようになります。
「彼はアントニオ猪木のように強い。」 比喩
「彼はアントニオ猪木のような強い人です。」 例示

質問にありました『見上げるように高いところ』ですが、私は比喩だと思います。
『見上げる』=『高いところ』とはなりませんね。

romi
日 本
21
お聞きしたいのは、「〜たい」に関してです。
これは助動詞になるのでしょうか?
動詞について希望表現などを作ると覚えていたのですが.....
読む→読みたい、食べる→食べたいetc

しかし、つい最近ある人が「出来たい」と言っていて、違和感を覚えました。
間違いだと思うのですが、上手く説明出来ませんでした。
相手が日本人だと、とても難しいんです、こういうことを伝えるのは。
『〜たい』は助動詞だと思います。

日本語教師養成講座に通っているとき、
「動詞は、意思動詞と無意思動詞に分けられる。」と習いました。
学校文法の中では、学んだ覚えがない考え方だったので、
「どういう必要性があって、動詞を意思動詞と無意思動詞に分けるのだろうか?」
と不思議に思ったものです。
「自動詞と他動詞の分類だけで十分だ。」とも思いました。

しかし、考えたら自動詞の中にも意思動詞があるのです。
例えば、『山に登る』の『登る』は自動詞ですが、明らかに意思動詞です。
やはり、意思動詞と無意思動詞の分類は必要なのかと納得しました。

『出来る』は、自動詞であり、無意思動詞です。
意思のない動詞に、『希望表現』をつくる『〜たい』はつかない、
という説明ではどうでしょうか。

また、『出来る』は、『する』の可能形でもあります。
例:「案内します。」→『案内出来ます。」
動詞の可能形にも『〜たい』は接続しません。



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