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 助動詞関連(2)
Masahito
日 本
20
ら抜き言葉、例えば「食べれる」は、数十年以上継続的に使われていて、
かつ、原則としてその用法から抽象される法則に矛盾します。
そして、圧倒的多数からの正しい用法であるとの確信を持って
支持されているとはいえません。

だから正しい日本語だとは言えないと思いますが、
このサイトの日本語調査ではどのような結果が出るか、
調査をお願い致します。
了解しました。
そう言えば『ら抜き言葉』に関して、まだ調査がしてありませんでしたね。
調査してどのような結果が出るか、私も楽しみです。

『正しい用法』とはそもそもどういうことか?という疑問がありますが、
ここでは、あえて『正しい用法』という言葉を使って調査しようと思います。

日本語調査結果(122)]をご覧下さい。

和 泉
日 本
19
「私にそう言われても困ります。」という文で、
『私に何かを言う人』が目上の人の場合、
尊敬と受身を合わせて表現するにはどうしたらよいのでしょうか。
『言う』の尊敬語は、『言われる』『おっしゃる』の二つです。
これを受身にした形『言われられる』『おっしゃられる』は存在しないように思います。

では、『申される』は、どうかと言いますと、
『申す』は本来謙譲語ですので、私は、やや違和感を感じます。
しかし、この『申す』を『言う』の丁寧語だとしてOKだという意見もあるようです。
現実に私の周辺にも『申される』を使う人がいます。
『申す』を『言う』の丁寧語として使う場合があることそれ自体は私もOKなのですが、
この場合はなぜかややひっかかります。
そして、仮に『申される』をOKだとしても、 この場合の『れる』は、
尊敬であって受身ではないように思います。

それで、私の結論なのですが、例えば
(1)「先生はそうおっしゃいましたが、そう言われても私は困ります。」
(2)「先生はそう言われましたが、そう言われても私は困ります。」
というのが、適当だと思いますが、どうでしょうか。
前半は尊敬で、後半は受身です。

(2)は『言われる』を繰り返えしていて、意味の誤解を招く心配がありますので、
(1)の方が無難だと思います。

黒 崎
日 本
18
「中華料理を食べられるホテル」
「中華料理が食べられるホテル」
・・・
・・・
(A)
(B)
(A)と(B)では、どちらが正しいのでしょうか?  
(A)の場合は「られる」が可能、
(B)の場合は「られる」が受身になっていると思うのですが、どうでしょうか?
私は、(B)の『られる』は受身形ではなく、(A)と(B)両方とも『可能』だと思います。
「下に可能形を伴う文の場合、可能である内容を『が』で表す。」
というのが、『が』の用法にあります。
(B)の場合、これにあたると思います。

ひらりん
日 本
17
グループメールをしている友人から届いた問いかけに、
回答していただきたいと思います。

> 研修のレポートで感想の記述の語尾に「思われます」を使った
> 今年の新人に、「そんな表現をするのなら今後研修に行かせない」
> という反応をした人がいます。
> 「思われ」ってのはどういう意味なのでしょうか?
文全体を書いていただけると、はっきりするのですがーーー。
『思われます』は、受身、尊敬、自発のどれかです。
『自発』は、自然とそうなる、という意味です。
他の例としては、『偲ばれます』『思い出されます』等です。

千賀子
日 本
16
先日ある表現について、方言ではないかという指摘があり、
調べましたが解かりません お教え下さい
「あなたがそれをしようがしまいが私には関係ない」
このしまいという部分です
行こうが行くまいがとなると・・・
終止形に助詞が付いたものと考えるのでしょうか
まいというのは、たとえばするまいの前に「けして〜するまい」のように
意思を示してい るように思います
しかし、しようがしまいがというのは、してもしなくてもといった意味でしょう
指摘した人は、いこうがいかざろうがというのが正しいといいました。
文語的にはいいかもしれませんが口語的といえないと思います
『まい』は、助詞ではなく助動詞ですね。
サ変動詞と助動詞『まい』の接続についてですが、
サ変動詞の未然形あるいは終止形に『まい』がつきます。
ですから、『しまい』あるいは『するまい』の両方がありますね。

『いこうがいかざろうが』でも良いように思いますが、
『いこうがいくまいが』は慣用的表現になっていますから、
こちらを使った方が無難だという気がします。
『いかざろうが』というのは、聞いたことがないので 違和感があります。

『しようがしまいが』という言い方が方言かどうかですが、
私の考えでは、方言ではないように思います。
でも、方言から始まって全国区になったのかもしれません。
そこのところは不確かです。

吉 武
日 本
15
今、日本語能力試験3級の対策の授業をしているのですが、
”ようだ”の用法のところで、
答えが”死んだように寝ている ”という問題があったのですが、
生徒から”どうして 死ぬよ うに ではいけないのですか?”と質問されました。
どう考えてもうまく説明ができません。
”ようだ”はル形とタ形に接続すると言われますが、
ただ単 に、”未来と過去の話題について使える”では
この文は説明で きないように思うのですが、、、、
辞書形は、動作が完了していないことを表します。
『死ぬように』は、まだ死んでいないことになります。
死にかかっている人って、ほとんど苦しんでいますよね。
死んだように眠っているというのは、ピクリとも動かない ということですね。

辞書形は、動作が完了していないことを、
た形は、動作が完了したことを表すと説明すると、分かって貰えるかと思います。

Jay
日 本
14
(例1)涼しいうちに、宿題を済ませよう。
の、「済ませる」は「済ます」の使役動詞だとおもうのですが、
もともと、「済む」(自動詞)「済ます」(他動詞) だと思うので、
(例2)涼しいうちに、宿題を済まそう。
になるはずだ、と生徒からつっこまれそうな気がしています。
もちろん例2も正しい文ですが、わたしとしては 例1で言うような気がします。
で、「済ませよう」を分解すると
「済ます」→「済ませる」(使役)→「済ませよう」(意向形) ですよね?
となると、生徒からどうしてわざわざ使役に するのか?とつっこまれそうです。
ある文法書に「その自動詞に対応する他動詞がない場合
その他動詞の代わりに使役を使うことがある」
みたいなことを 読んだ記憶があります。
では、対応する他動詞があるにもかかわらず、
使役を使うということはどういうことなのでしょうか?
『済ます』も『済ませる』も『済む』の使役形です。
『す』は、使役の助動詞の文語形で、『せる/させる』は使役の助動詞の口語形です。
『済ます』も『済ませる』も、現在では他動詞として認知されているように思います。

ayamin
日 本
13
私は、とある教育関連のセミナーを開いている会社に勤めております。
受講生から毎日のように質問を頂いたりしております。
ご相談を受けることもございます。

その際、私はよく、「何かご不明な点などございましたら、
ご連絡くださいませ」といったように、「ませ」を使います。
私は女性ですし、お客様相手の商売ですので、
できるだけ丁寧にと考えており、また、受講生からしてみると
私は「チューター」や「アドバイザー」といったように見られていますので、
「気軽にご相談いただけるように」と考え、「ませ」を使っております。

ところが、先日、私から受講生(お客様)へのメール文書をみた上司から、
「ませ」を使うのはおかしいんじゃない?と言われました。
私は先程申し上げたような考えの上、適していると信じて
「ご相談下さいませ」といった言葉をメールで使っていたのですが、
おかしいのでしょうか?
書かれている内容を考えると、受講生の方々よりayaminさんが立場が上で
いらっしゃるようですね。(ちょっとひっかかる言い方になりましたがーーー。)
だとすると、「気軽にご相談ください。」の方がキリッとしていて、私は好きかもしれません。

ただ、『受講生』は『お客様』でもあるわけで、そうなると『ませ』を使いたくなります。

ここらあたりになると、個人の好みであって、
おかしいとかおかしくないとかの問題ではないように思います。

日本語調査結果(94)]もご覧下さい。

Jay
日 本
12
「新日本語の中級」にある問題です。
1.初めまして。私は中国の李です。上海から参りました。
2.現在世界で最も人口が多い国は中国です。
  次にインド、アメリカ と続きます。
問題 上の中から「〜です」の代わりに「〜である」を使ってもいいものを
    ひとつ選んで書き換えてください。

答えはもちろん2の「中国です」を「中国である」にすれば○です。
で、私の質問は、どうして1は「である」にできないのか?という ことです。
他にも
この機械を使う時には十分気をつけてください。間違えると危険です。

この「危険です」も「危険である」はできません。
それで、いろいろ探した所、
日本人が文章を書く時「です」を「だ」 にしたり「である」にしたり、しています。
どんな時に「だ」でどんな時に「である」が好まれるのでしょうか?
ご存じでしたら教えていただけませんか。
『である』は、『だ』の改まった言い方です。
1.で、『である』を使ってみると、
初めまして。私は中国の李であります。上海から参りました。
  となって、昔の軍隊調になってしまいます。日常会話に『である』は、似合いません。
  でもご年配の方では、こういう言い方をなさる方もあるかもしれませんね。
  『我輩は猫である』は、明治の作品です。
2.で、『である』を使ってみると、
現在世界で最も人口が多い国は中国である。
次にインド、アメリカ と続く。
  となって、文章の中ではしっくり馴染みます。

の場合ですが、仰るとおり『である』は不似合いです。
  でも次の様にするとどうでしょうか。
この機械を使う時には十分気をつけるべし。間違えると危険である。
  明治・大正時代の文献にはありそうですが、現代は見かけません。

『である』は、現代では会話文、くだけた文では使わないということですね。
アジ演説では使うこともあるように思いますがーーー。

Jay
日 本
11
うちの生徒の誤用です。
わたしは先生になりたいでございます。
「でございます」は店員などの接客などのときに
よく 使われると思うのですが、場所を示す時もよく使われます。
何か、制限があるのでしょうか?
『でございます』は、名詞、ナ形容詞につきます。
また、『ございます』は、イ形容詞のウ音便につきます。
「わたしは先生になりとうございます。」はOKです。
丁寧過ぎる感があって、あまり使わない言い方ではありますがーーー。



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