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表記関連


助詞関連(14)
mirai
日 本
140
私はボランティアで日本語を教えています。
先日、学習者からの質問に答えられなかったので
意見をお伺いしたいのです。

質問は「お祝いにお金をもらいました」は、
なぜ「お祝いで」じゃないのか、というものです。
「原因、理由」の意味で「で」を使うなら理解できるというのです。
この場合、「に」は「〜として」という意味だと思うのですが、
いい例や説明がなかなか思いつきません。
一応、この場合の「に」についても「理由」だとこたえるつもりです。
また、「結婚のお祝いでもらいました」については
彼女のいうとおり、「原因」であると答えるつもりなんですが…。
『に』は、用法が多くて本当にやっかいです。

「お祝いにお金をもらいました。」の『に』は、
私は、『名目』だとしています。
おっしゃるとおり『〜として』という意味です。
例:海外旅行のお土産にチョコレートを貰いました。
  お礼にお茶をご馳走します。

「結婚のお祝いでもらいました。」っていう人、確かにいますね。
私は違和感を覚えるので、NGにします。

なおこ
日 本
139
私は今年の4月からNAFL日本語教師養成講座を受講している者です。
ひとつ質問があってメールしました。
 
助詞の定義とは何ですか?
格助詞、とりたて助詞、終助詞などの
助詞個々の機能や使い方についての
説明はあるのですが、
ひとまとめにして助詞といったときの定義がいまいち
はっきりしないのです。

私自身は、次のように考えます。
助詞は単独では意味を成さないが、
他の品詞に接続することによって、
様々な意味、用法を持つ品詞で、
日本語の文を構成するのに必要不可欠な要素である。
なおこさん案で、良いんじゃないでしょうか。
『助詞は付属語であり活用しない』とかいうのを加えたり、
『他の品詞』を『自立語』とかにすると『定義』っぽくなるように思います。

タナカ
日 本
138
「なのに」と「だけど」の違いはどこでしょうか?
そもそも別のも のでしょうか?
日本語のできる友人(スウェーデン人)から
「梅雨は大変なのに家族に会えるのはいいね!」 とメールをもらいました。
「梅雨は大変だけど家族に会えるのはいいね!」
とするべきだと思うのですが、理由がうまく説明できません。
「のに」は少々非難的なニュアンス が入るような気もしていますが
(梅雨は大変なのにどうして今帰るの?等)。
後に必ずnegativeな事柄が来る、というわけでもないですよね・・・
ギブアップ です。
『けど』の方が『のに』より用法が多いけれど、
接続助詞としては似たような用法を持っている場合があるように思います。

「梅雨は大変なのに家族に会えるのはいいね!」に違和感があって、
「梅雨は大変だけど家族に会えるのはいいね!」に違和感がないのはどうしてか、
ということでしょうか。

『のに』を使った文の後件は、前件の内容と関連ある逆説が来ます。
春なのに、寒い。
女の子なのに、男の子の服を着ている。
梅雨なのに、彼女は旅行に行った。
(春は当然暖かい。)
(女の子は、女の子の服を着るはず。)
(梅雨は、旅行の季節ではない。)

『けど』を使った文の後件は、 前件と関連がある逆説でも、関連がない逆接でもOK。
春だけど、寒い。
女の子だけど、男の子の服を着ている。
梅雨だけど、彼女は旅行に行った。
梅雨はたいへんだけど、家族に会えるのはいいね。
(梅雨がたいへんなことと、家族に会えることとは、因果関係がない。)

春なのに、寒い。
春だけど、寒い。
を比較してみると、『のに』を使う方が意外感が強いように思います。
タナカさんのおっしゃる『非難的なニュアンス』というのも 当たっていると思います。

はしもと せり
日 本
137
接続助詞「なら」と「ば」について
自分で考えていて分からなくなってしまいました。

「動詞の連体形」+なら
「動詞の仮定形」+ば
例:彼が行くなら私も行きます。
   彼が行けば私も行きます)

「形容詞の連体形」+なら
「形容詞の仮定形」+ば
例:都合が悪いなら参加しなくていいです。
  都合が悪ければ参加しなくていいです。

上記に関して二つ考えたのですが、いかがでしょうか?
1、 「動詞、形容詞の連体形」+なら は、もともとは
間違った文法だった。だから特に意味に差異はない。
わたしが韓国で買った韓日辞典の用言活用表には、
「動詞、形容詞の連体形」+なら の部分に
三角マークがついていたので。
ただ具体的な説明はなく、この三角が何を意味するのか??です。
2、 「ば」…後ろの文が成立する「条件」をあらわす。
「なら」…その事柄が実現したと「仮定」する。
文法的には違うが、文章が表す意味に差異はない。
また「なら」が、「ならば」から「ば」を省略したと考えると、
結局意味はまったく同じである。

また「なら」を「ば」に入れ替えると、おかしい例はありますでしょうか。
1、 よく分かりません。間違いとかではないように思いますがーーーー。
2、 お示しいただいた例文では、私も意味に差異はないと思います。
日本語を学ぶ方々の負担を軽減するためにも、
面倒な説明は省いて「同じです。」とするのが良いと思います。

『なら』は、『ならば』の『ば』が取れたものだと読んだことがあります。
『ならば』は、『なら』に『ば』ば付いたものだという方が、
私はすっきりするのですが、どうなんでしょう。

『なら』を『ば』に書きかえるとおかしい1例を下に書きます。
部屋を出るなら、明かりを消してください。OK
部屋を出れば、明かりを消してください。 NG
明かりを消す→部屋を出る
という動作順序でも『なら』は使えるということです。

satou
日 本
136
ドイツの大学でアルバイトで日本語を教えている娘からの質問です。
歓迎の言葉の 「○○に、ようこそ」 「○○へ、ようこそ」 の
違いについて教えてください。

助詞の回答例(Q11)には
「○○に、いく」「○○へ、いく」 の説明がありましたが、
行く場合と、迎える場合では 少し、違うようなきがしますので。

娘は「○○へ、ようこそ」のほうが
語感的にぴったりすると書いてきているので、
どうも「○○へ、ようこそ」の表現のほうが
「○○に、ようこそ」より正しいと考えているのではないかと思います。

私は、文章としては両方あると思います。
ただ、語感的には「○○へ、ようこそ」のほうが
より歓迎の気持ちが強いように思い、
両方を無意識のうちに、使い分けているようなきがします。
助詞関連(Q11)に、「○○に、いく。」「○○へ、いく。」は、両方ともOKだ
と書きましたが、それに対する反対意見もあります。
事実、私の知り合いの日本語教師の方は、
「○○に、いく。」「○○へ、いく。」を区別して指導しています。

日本語を学習する人への負担の軽減を考えると、
どちらもOKだとするのはよい判断だと、私は思っていますが、
区別するという考え方も、それはそれで納得がいくものです。

「○○へ、ようこそ。」 は、ある意味慣用的といいますか、
かつては、こちらの方が一般的だったものが、
近年の『へ』と『に』が混用されるようになって、
「○○に、ようこそ。」という言い方も
使われるようになってきたのではないかと思います。
ですから、私自身は、特に使い分けはしていないのですが、
いただいたご意見にたいして、ナルホド!と思いました。

日本語の骨格に関する部分には、十分拘らなければなりませんが、
枝葉の部分は、教える人の感性で教えてよいのではないかと思います。

中久保
日 本
135
「私たちにいただいたチケットを・・・」という表現に関し、
妻と意見が割れています。
「私たちにいただいたチケット」というのは、
妻が書いた文の一部なのですが、
私は「私たちにいただいたチケットを・・・」はおかしいと思い、
「私たちがいただいたチケットを・・・」
「私たちがAさんからいただいたチケットを・・・」もしくは、
「私たちに」を使うなら「Aさんが私たちにくださったチケットを・・・」
の方が正しいと思います。

思うだけで文法的に説明する能力が私にはなく、
お手数ですが、ご回答いただければ幸いです。
『に』は、助詞の中でも用法が一番多くて、とても難しいです。

「私たちはAさんにチケットをいただきました。」が基本構文です。
この場合の『に』の用法を『出どころ』と言います。
  注:「私たちはAさんからチケットをいただきました。」もOKです。

「Aさんは私たちにチケットをくださいました。」も、もう一つの基本構文なのですが、
この場合の『に』の用法は『着点』と言います。

『出どころ』『着点』といった用語は、使う人は使うという程度のものだとお考え下さい。
私は、便利なので使っています。

「私たちにいただいたチケットを・・・。」は、
『出どころ』の『に』と『着点』の『に』が混同されていますね。
ですから文法としては、
「私たちがAさんに(から)いただいたチケットを・・・。」
「Aさんが私たちにくださったチケットを・・・。」等がOKとなります。
  注:『私たち』『Aさん』の両方を書く必要はありませんね。
    どちらかを省略しても大丈夫です。
    お互い意味が通じれば、両方省略することも可能です。

章子ウッズ
日 本
134
以下の文章の違いについて教えていただけますか?
(1) レストランに行ってキリンビールを注文したら、キリンがなく、
ウエイトレスにアサヒはいかがですかと言われ、
じゃ、アサヒ”で”いいですと答える。
(2) ウエイトレスにすみません、キリンはありませんと言われ
じゃ、アサヒは?との質問に
すみません、アサヒもありません。サッポロでもいいですか?と言われ
ウーン、じゃ、サッポロ”でも”いいです。
”でも”は譲歩の意味だと思いますが、
それだけの違いだけなのでしょうか?
「サッポロでいいです。」と「サッポロでもいいです。」を比較した場合、
両方とも似た感じですが、「サッポロでもいいです。」の方が
譲歩の気持ちが強いように思います。

REGINNA
香 港
日本語歴:9年
133
名詞と形容詞の間に「の」と「が」が入った場合、
それぞれの意味が違うでしょうか?
例えば: 背の高い人 背が高い人
自信のない人 自信がない人
連体修飾節では、『の』『が』両方が使われます。どちらでも意味に違いはありません。
日本語の文法で、名詞、代名詞を『体言』と言います。
連帯修飾節とは、体言を修飾する節(主語+述語)ということです。

『名詞と形容詞の間』に限らず、次のような言い方もあります。
例えば: 加藤さんがくれた本 加藤さんのくれた本
妹が嫌いな食べ物 妹の嫌いな食べ物
私は、「自信がない人が、〜。」とか「自信のない人の〜。」 のように
『が』『の』が重ならないように、
「自信のない人が、〜。」「自信がない人の〜。」とはしています。

でも、『が』が重なっても、『の』が重なっても、間違いということではありません。。

り ぶ
日 本
132
最近、子供たちの「し」の使い方が変化して
接続助詞から終助詞に使われることが多いようですが
時と場合によって不和感があるのです
日系ブラジル人のお友達も幼稚園に通い始めたら
「し」を連発するようになったようです

1.「もうゲームを止めなさい」「もう止めてるし」
2.「宿題やりなさいよ」「嫌だし」

他にも多々あり、何にでも「し」をつけて「言い捨てる」ような感じです
掲示板などでご意見をいただくと
「口答えに対する不快感であり文法的には間違えていないのでは」
というものが多いようです
文法は時代と共に変化していくので
子供たちが乱用していても気にしない方が良いのでしょうか
おっしゃるとおり、理由を述べたり、言い訳するときに『し』を使うのは、
最近出てきた用法のようですね。

『し』は、更に使用範囲が広がってきているようで、
最近身近な人が、次のような『し』の使い方をしているのに気がつきました。
冷蔵庫の中のもの自由に食べてもいいよ。
あれ、もう食べてるし。
親愛の情をこめた言い方で、決して非難の感じはありませんでした。
こんなふうに『し』を使うのかと、ちょっと新鮮な感じがして、
『よ』の代わりかな?と思いました。

私は、こういった新しい用法が日本語として定着するかどうか、
まだ分からないと思っています。

既成の文法を無視した表現は、ある意味新鮮だったり、人によっては
眉をしかめるものだったりしますが、生き残るかどうか?
もし、生き残ったとしたら、そのときは、
多くの人が違和感を覚えなくなっているんでしょうね。

問題は、子供たちがこういう『し』の使い方をしていたら、
注意するか、しないかということですね。
うーーん。難しい!
とりあえず、理由・言い訳の『し』の用法が一般的な日本人の言葉として
定着するかしないか、見極めたらどうでしょうか。
そのうち使わなくなるかもしれません。
または、多くの人が使う言葉として定着するかもしれません。

ラッキー
日 本
131
教師:どうして そのシャツを二枚かいますか。
生徒:やすいですから。 と生徒は答えました。

この時、私は「やすいからです。」とも 答えると思いました。
後者の場合は、からで理由を強調しているかんじがしますが、
はっきりとした違いはありますか。
「どうしてそのシャツを二枚かいますか?」
「やすいからです。」
という問答の方が基本形だという気がします。

『ですから』は、接続詞『だから』の丁寧形です。
本来の言い方としては、「やすいです。ですから買います。」となるのではないかと思いますが、
「安いですから。」という言い方もよく聞きます。

原因・理由の『から』は、強い響きを持っています。
一般に文の中で、前に来れば来るほど言葉のインパクトは強くなります。
おっしゃる通り、「やすいからです。」の方が理由が強調されているように、私も感じます。



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