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 文の構成(3)
sugimoto
日 本
30
日本の格システムは後置詞タイプに限られるという原則がありますが、
これに反する言葉があります。例えば、「自大阪至東京」です。
この「自」と「至」は英語の”from”と”to”のように次の名詞が述語と
持つ意味関係を形の上で表しています。
すなわち、これは前置詞と呼べるのではないでしょうか。
質問ですが、日本語で、他にこういった振る舞いをする単語はありますか?
又、これは本当に前置詞と呼べるのでしょうか?
是非意見をお伺いしたいです。
日本語文法は、諸説あると思うのですが、 『前置詞』を設定している日本語文法を知りません。

『自大阪至東京』という表現は、漢文の表現が日本語となったものです。
漢文は詳しくないのですが、『自大阪』の『自』は起点を表す助字、
『至東京』の『至』は動詞だと私は考えています。

日本語には、中国語から入って来た言葉がたくさんあります。
『失恋』など、『至東京』と似た振る舞いかと思うのですが、
ご質問は、こういうことではないのですよね。すみません。よく分かりません。

『自』の方は前置詞と言えるのかもしれませんが、
中国語が全く分からないので、なんとも言えません。
私は今のところ、日本語に前置詞はないという考えでいます。

Miho
日 本
29
今年9月から、イタリア人に頼まれ、日本語を教えています。

さて、わたしが知りたいことは、「述語」の教え方です。
日本人が当たり前に知っている「主語+述語」という文型は、
外国人でも理解できるのでしょうか。
主語に対して、「どうする(動詞)。」「どんなだ(形容詞・形容動詞)。」
「なんだ(名詞)。」「ある/いる(動詞)。」という言葉が述語になるという
主述の関係だけをまず教えたいのですが。

日本語を独学で学んできた彼は、be動詞を「です」だと思っています。
例えば、I am a boy.の場合、
「I=わたしは」「am=です」「a boy=少年」のような訳し方をしています。
イタリア人が書いた日本語会話テキストにも、
「be動詞=DESU」と書いてありました。
イタリア語も英語と同じように、
必ず動詞を入れて文を完成させる文法なのです。

わたしは、「主語+動詞」から切り離して、
日本語は「主語+述語」だと教えようと思いました。
しかし、樹さんのQ&Aに、
形容動詞を形容詞の一部として教えるとありました。
「述語」も、外国人向けに
もっと分かりやすい説明方法があるのでしょうか。
日本語の教科書の多くは、
『名詞述語文』『形容詞述語文』『動詞述語文』
通称『名詞文』『形容詞文』『動詞文』の順序で学習するようにできています。
国文法の『形容詞』をイ形容詞、『形容動詞』をナ形容詞と呼んでいます。
このパターンをしっかり覚えてもらえば、ご質問いただいた件は解決すると思います。

日本語文法は諸説あって、統一されてはいないのですが、
言えることは、学校文法とは似て非なるものだということです。
日本語学習者さんの負担を軽くして、いかに速く日本語を習得させるか
という点に重点を置いたものであり、多くの先輩が積み上げてきた知恵の結集です。

日本から日本語だけで書いてある日本語の教科書を取り寄せて、使ってみるのが良いように思います。
併せて、文法書を何冊か読んでみるのも良いでしょう。
外国語で書いてある日本語教科書は、時として日本語の本質を
間違えているというか、その外国語文法に日本語文法を、時には無理に当てはめて説明しているように思います。

はなこ
アルゼンチン
日本語歴:30年
28
このケーキはさと子さんが作りました。
検査は機械が行います。
そこにあったはさみは私が使っています。
これらの例文は目的語(ケーキを、検査を、はさみを)を前に出して
強調(?、とり たて?)しているので、「は」になるのでしょうか。
それともこれが「はが構文」な のですか?
助詞関連のQ37にあった、
さんまは秋が旬です、
10月は台風がたくさん発生する
とは違うと思うのですが。
例えば、ゾウは鼻が長い、中国は人口が多い、というものも、
はが構文になるのですか?
そもそも『はが構文』という文法用語がなぜ生まれたのでしょうか。

三上章(1903ー1971)という有名な日本語学者がいました。
三上は「象は鼻が長い。」という文章で『象は』と『鼻が』の二つが主語だと思える
不思議を、『象は』は『題目』とか『提題』とか『トピック』とか呼び、
『鼻が』は『主語』であると説明し問題解決した人です。
『はが構文』は『主語』が二つある不思議を説明するために生まれた構文です。
日本人が学校で学ぶ文法には出てきません。

『は』を使って取り立て・強調した場合、それがその文の『主題』になります。
考え方はいろいろあり、統一見解というものはないように思いますが、
私は『は』と『が』が同時に含まれる文は、全て『はが構文』だとして指導しています。
『はが構文』にいろいろあるとしても、それを分類することに意味を感じません。

Jay
日 本
27
「〜さえ…ば」の文型について、わからないことが あります。
[例]インスタントラーメンはお湯を入れさえすれば、食べられる。
[例]インスタントラーメンはお湯さえ入れれば、食べられる。
以上、2つとも間違いではないと思います。
「辞書形さえすれば…」「名詞さえ条件形」の2つの形を
とることができるようです。
でも、次の文はどうでしょうか。
[例]家族が健康でありさえすれば、他に何もいりません。
[例]家族さえ健康なら、他に何もいりません。
わたしは後者「名詞さえ条件形」の方は なんかおかしい気がします。
「家族さえ健康なら」と「家族が健康でありさえすれば」は
意味が違うと思ったのですが…。考え過ぎでしょうか。
前者は「家族だけ健康なら」の意味になって、
なんだか他の人はどうでもいいのか、という感じが しますが、
後者なら「家族が健康だという条件のときだけ」 なので、
家族の健康を思っている様子が表れていると 思ったのですが…。
1行だけの文では本当のところよく分からないですね。

でも、『他の人』はどうでも良いという場合は、
「私の家族さえ健康なら〜。」と『私』が入ると思うのです。
「家族さえ健康なら〜。」という状況を考えてみると、
例えば妻が、自分の夫や子供を思いやって話している、という場面が浮かぶのですがーーー。

うーーん。やはり1行だけではなんともいえませんね。

しかし、授業の場合は、「家族さえ健康なら、他に何もいりません。」の意味は、
家族が自分の家族のことを思いやっているとしても良いように思います。

南 田
中 国
日本語歴:5年半
26
「お便りをお待ちしております」と「お便りをお待ちしま す」
この二つの文はどう違うのでしょうか
前の文はよく聞き ますが、
でも、後ろの文って参考書にも書いてあります
「お便りをお待ちしております。」の方がよく使われるように思います。
でも、「お便りをお待ちします。」もおかしくはないですね。
『お待ちしている』という言い方は、 いつも気にして待っている感じがあるのに対して、
『お待ちします』は、もっとサラッとした感じがあるように思いますが、
違いを気にするほどのことはないような気がします。

南 田
中 国
日本語歴:5年半
25
「聞くところによると、王さんは来週アメリカへ行くそう です」と
「聞いたところによると、王さんは来週アメリカへ行 くそうです」
この二つの文はどう違うのでしょうか。
個人的な考えなんですが、
後ろの文は間違ったじゃないかと 思いますが。
「聞いたところによると、−−−。」とは言いません。
「聞いた話によると、−−−。」とは言うのですが。
『聞くところによると』は、慣用的用法だとお考え下さい。

フランス・パンさんからご指摘をいただきました。
「聞いたところによると」を googleで検索すると数多くのページがヒットします。
この言い方が正しい・正しくないはとりあえずおいといて、
『「聞いたところによると、−−−。」とは言いません。』 と回答されると、
質問者も混乱するのではないかと思うのですが、 いかがでしょうか。
ちなみに私自身は「聞いたところによると」という言い方は 違和感ありません。
『「聞いたところによると、−−−。」とは言いません。』 は無人称の文であり、
個人や特定の集団の感想・感覚・判断等は含みませんから、
こういうものは意見とは呼べないと思います。

大変失礼いたしました。
もう何年か前、新聞だったか雑誌だったかで、
『嘆かわしい日本語』という内容の記事を読んだことがあるのですが、
その中に『聞いたところによると』が挙げてありました。
私と同じ考えだったので、ついこういう書き方をしてしまいました。

はなこ
アルゼンチン
日本語歴:30年
24
「今度会うとき」と、「今度会ったとき」に違いがよくわかりません。
未来においての動作の完了というイメージがよくわからないのですが。
「会うとき」は具体的に会うことが決まっていなくて、
「会ったとき」は具体的に会 うことが決まっているということでしょうか。
『会うとき』と『会ったとき』の違いをはっきりさせるためには、
『今度』を使わないで具体的は日取りで考えたらどうでしょうか
そうすると、どちらも具体的に会うことが決まっていることがはっきりします。
「今度、会いましょう。」と日本人が言っても、 具体的な予定がないこともありますから。
8月20日に会うとき、借りている本を持っていきます。
8月20日に会ったとき、借りている本を持っていきます。
8月20日に会ったとき、借りている本を返します。

8月20日に会うとき、相談したいことがあります。
8月20日に会ったとき、相談したいことがあります。

×


×
『会うとき』は、『会う』前の動作に視点があり、
『会ったとき』は、『会った』後の動作に視点があります。

未来においての動作の完了というイメージがよくわからないとのことですが、
明日の朝起きたら、電話してください。
という文で考えてみてください。

kin jin
日 本
23
首都圏にある病院に勤めている私の友人は、患者さんに対して、
ある検査を始める前に 『この検査、やったことありますか?』 などと、
検査経験の有無をいつも尋ねるそうなのです。

しかしある日、その会話を聞いていた友人の上司に、
『標準語では【この検査、やった時ありますか?】が正しいだろっ!
【やったことありますか?】は標準語では使わないよ。』 と
厳しく言われたそうです。
私も友人も『やったことある』も『やった時あ る』も特に違和感はないですし、
意味が通じればいいじゃないかと思うのですが、
『やった時ある』という表現の方が正しいと言い切るその上司の言い分は
本当に正しいのでしょうか?
「この検査、やったことありますか?」は、
私も習慣的に使いますが、おかしいと言えばおかしいと思います。
『やる』という動詞は、『〜をやる』となります。
つまり「あなたは、この検査をやったことありますか?」
これでは、『あなた』が『検査する人』みたいです。
「この検査、受けたことがありますか。」と聞けば、誤解がないように思います。

正しい日本語って、そもそも何なのかということになりますが、『標準語』というのも、なんなんでしょうね。
私は、「この検査、やった時ありますか?」には、とても違和感を覚えます。
私の意見をまとめると、次のようになります。
「この検査、やった時ありますか?」
「この検査、やったことありますか?」
「この検査、受けたことありますか?」
×


ゆ う
日 本
22
疑問文を作る時に
〔ます形〕の後に「か」をつけて「食べますか?」としますが、
〔辞書形〕の後は「食べるの?」というように、
「の」が「か」の代わりをすると考 えていいのでしょうか?
自分でそうだと判断して、実際生徒たちにもそう教えていた のですが、
最近「食べるの?」と言った場合、
「(本当に)食べるの?」と驚きの気持 ちが入ることがあるので、
「か」と「の」では働きが違うのかなと思うようになりま した。
むしろ〔辞書形〕のあとは、
「食べる?」と助詞なしの方がいいのかなと思うよ うになったのですが、
樹さんはどのようにお考えですか?
疑問の『の』は、『のか』の省略形だという人もあります。
「食べるの?」の『の』は、女性言葉だという人もあります。
『の』は、確認だという人もあります。
私の身近な人で、「食べるか?」(「食うか?」)という人もあります。

それやこれやで、煩雑になるので、「食べる?」と助詞なしにするのが良いように思います。

ゆ う
日 本
21
夕食は食べたんですか? というような、
「の」の名詞化で強調された文は「名詞文」ですか?「動詞文」のままですか?
私は、『名詞文』だとしています。
諸説あるとは思いますがーー。



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