名詞関連助詞関連】【形容詞関連】【発音関連】【接辞関連】【動詞関連】【待遇表現副詞関連文の構成リスト
助動詞関連いろいろ(1)】【いろいろ(2)】【いろいろ(3)表記関連

 文の構成(5)
モ カ
日 本
50
先日、「〜か、〜かどうか」の授業で、こんな質問がでました。
<(  )内に適切なことばを入れる、という問題で>
・酔っていたので、(   )へいったか、全然覚えていないんです。
正解は(どこ)です。
ある学生は(どこか)を入れました。
酔っていたから、どこへ行ったかわからない、(どこか)はどうしてだめですか。
@酔っていたので、(どこ)へ行ったか、全然覚えていないんです。
A酔っていたので、(どこか)へ行ったかどうか、全然覚えていないんです。
同じクラスを担当している先生に聞いたとき、
Aは、「か」が二つあるから、だめです、と言われたんですが、
それは自分では納得がいかなかったんです。
「どこか」の「か」と、「行ったか」の「か」は、
同一の意味を持たないじゃないかと思って・・・。
「どこか」の「か」は不特定な場所を表すけど、「疑問」の意味じゃない、
と考えていたんですが、この考えはどうでしょうか。
『どこ』と『どこか』の使い分けは、次のようになります。
「どこへ行きましたか。」
「アメリカへ行きました。」
のように、『はい』『いいえ』で答えない場合は、『〜か』

「どこかへ行きましたか。」
「はい、行きました。」
「いいえ、行きませんでした。」
のように、『はい』『いいえ』で答える場合は、『〜かどうか』

Aは、『か』が二つあるから駄目かどうかについてモカさんのご意見に賛成です。

前 田
日 本
49
小学校1年生の娘の宿題に
主語と述語を答えるという問題がありました。
「流れ星を最初に見つけたのは、妹のみよちゃんです」
さて、この文章の主語と述語は??
娘は、主語は「見つけたのは」と答えの欄に書いています。
どうして、そう思うのかと聞くと、
主語は、「は」や「が」が ついている言葉だからと言うのです。
7歳の娘にどう説明すればよいのか、さっぱり判りません。

上記の問題は、私は「みよちゃん」が主語ではないかと思うのですが、
間違っているでしょうか?
「みよちゃん」が「見つけた」という意味を表現するのに、
「みよちゃん」を強調するために、あのような記述になっているので あって、
基本的には、「みよちゃん」(主語)が「見つけた」(述語) と
考えてしまったのですが。
外国人に日本語を教えるときに使う文法と義務教育で習う文法は同じではありません。
こういう文法を義務教育では習わないのですが、
日本語の基本文型の中に名詞述語文、動詞述語文があります。

簡単に説明すると、
名詞述語文は、【A は/が Bです。】となり、 AもBも名詞になります。
「流れ星を最初に見つけたのは、妹のみよちゃんです。」
A:流れ星を最初に見つけたの(この『の』は人)
B:妹のみよちゃん
動詞述語文は、【A は/が V。】となり、 Vは動詞です。
「妹のみよちゃんが、最初に流れ星を見つけました。」
A:妹のみよちゃん
V:見つけました

以上、お父さんに納得していただくための説明です。

『は』と『が』がついている言葉全てが主語ではないのですが、
小学校1年生の問題です。
とりあえずは、お嬢さんがおっしゃる通りでよいと思います。

市 川
日 本
48
最近「する」と「するようにする」がどのように違うのか考えていました。
例えば、「勉強をする」と「勉強をするようにする」というのでは、
意味はどう変わってくるのでしょうか?
わたしは、後者に違和感を持っているのですが、文法としては
後者も正しいものなのでしょうか?
「私は、明日から勉強します。」
  ---断固とした決意です。
「私は、明日から勉強するようにします。」
  ---「努力してみます。」というちょっと曖昧な言い方です。
    私は、この言い方を『努力目標』とよんでいます。

親や教師は、子供たちから
「私は、明日から勉強します。」と言ってもらったほうが安心できますね。
「私は、明日から勉強するようにします。」では、本当に勉強する気になってくれたのかどうか、分かりません。

河 村
日 本
47
友達の家、玄関前

友達

今度、来るときは、写真を持ってきます。
今度、来るときは、写真を持ってきてね。
正文
正文
学校にて

友達

今度、行くときは、写真を持ってきます。
今度、来るときは、写真を持ってきてね。
正文
正文
基本的に、私が行く、あなたが来るで筋を通そうと思ったのですが、
玄関前の例文で、私が「来るとき」と言っている点を
どのように説明するかで詰まってしまいました。

また、友達の家玄関前で 私:今度、行くときは、写真を持ってきます。は、
どこで話をしても、私が行くとい う観点から、
私の語感ではOKにしたいのですが・・・。
アドバイスをいただければ幸いです。    
『友達の家』が目的地の場合、
『私』が今現在『目的地』にいれば『来る』、『目的地』にいなければ『行く』となり、
『友達』は、どこにいても『(私が)来る』になるということだと思います。

私:「今度、行くときは、写真を持ってきます。」ですが、
「今度行くときは、写真を持って行きます。」とした方が良いのではないでしょうか。

静か
中 国
日本語歴:7年
46
日本語能力試験3級を受けた時、このような文章が出た。

「AさんとBさんは、茶碗を包む仕事とそれを箱に入れる仕事を
しなければなりません。」 
A: 「Bさん、どっちの仕事がいいですか。 
私は、____ほうがいいんですけど。」
B: 「じゃ、私は箱に入れます。」
   @包む   A包んだ   B包みたい  C包まない

正解は@です。どうしてAではないですか。    
人に助言するとき、
『〜したほうがいいですよ』という文型を学ばれたと思います。
例:熱があるなら、病院へ行ったほうがいいですよ。
  煙草は健康に悪いから、やめたほうがいいですよ。
人に助言するときは、ある動作が完了したときを想定して話します。
だから、『包んだ』『行った』『やめた』のように『た形』を使います。

この問題は、助言しているのではありません。
「私は、包む(仕事の)ほうがしたい。」ということなのです。

中 国
日本語歴:5年
45
「社長が辞職するようでは、社員も落ちつくまい」の「では」は、
どう解釈したらよろしいでしょうか。
私は『では』を連語だとしています。『ようです』を『は』で取り立てています。

HAZEL
台 湾
日本語歴:11年
44
最近家庭教師として日本語を教え始めました。

新日本語の基礎T、第11課に
みかんを 5つ 買いました。
90円の切手を 2枚 ください。
この会社に 外国人が 二人が います。
などの文型があります。
私は数量を示す名詞は助詞の後に置くと教えていますが、
次のような文型では
私は 国で 5週間 日本語を勉強しました。
なぜ5週間は「日本語を」の後ではないのか説明に困りました。
もちろん、
私は 国で 日本語を 5週間 勉強しました。
と言っても間違いではないと思いますが、
「5つ」や「2枚」、「二人」などが数量で、「5週間」や「1年」は期間ということで
置く場所に違うのではないかと思いますが、樹さんのご意見はどうでしょうか。
日本語は、語順の決まりが緩やかな部分と比較的厳しい部分があります。
結局のところ目立たせたい部分というか、「ここが大切!」という部分が前に来るということです。

日本語に限ったことではないと思いますが、特に会話では
まず言いたいことを発話してしまうので、語順は大きく狂うこともあります。
勉強しましたよ。私は 国で 日本語を 5週間。
ということだってありえるのです。

PATA
日 本
43
「私に対して日本語能力を高めるのは一番重要なことです」
と言う文がありました。
「私にとって日本語能力を高めるのは一番重要なことです」
が正しいと思いますが、説明としては
「〜に対して」は、「〜」の後に何らかの働きかけがある文が来る
「〜にとって」は、「にとって」の後が「〜」の中で
どれだけの比重を占めているかでいいのでしょうか。

「対して」は辞書では行動を起こしたり、心構えをする対象を表す
「とって」は(とっての前の部分が)〜を中心にして考えるとありました。
私なりに噛み砕いて、こう説明したらいいのかなと考えたのですが、どうでしょうか。
良いように思います。
『〜に対して』の『〜』は働きかける対象 、
『〜にとって』の『〜』は、価値判断が発生する『人、もの、動植物』と付け加えてはどうでしょうか。

い ち
中 国
日本語歴:3年
42
今回、初めて大学で「ニューアプローチ」を使うことに なりまして
教材研究しています。
ニューアプローチの「完成編」第2課で
「〜かと思う(けど...)」があるのですが、
「〜かと思う系」で辞書にのっているのは
「〜かと思うと/〜かと思うほど/〜かと思えば 〜かと思ったら」です。
意味、用法とも「〜かと思うけど」 とは違いますよね。
「〜かと思う(けど...)」
例: 前に一度話したかと思うけど、ここにゴミを捨てないでくださいね。
自分で考えた限りでは「〜かと思う(けど...)」は 推定表現、
しかしはっきり断定はできないか、
曖昧に 相手に自分の考えを伝える・・・という感じでしょうか?
『〜かと思うけど』は、
『〜かと思う+けれども』で、接続助詞『けれども』→『けれど』→『けど』となったものです。
例文の『けど』(けれども)は、『補足的説明』を表します。

》 自分で考えた限りでは「〜かと思う(けど...)」は
》 推定表現、しかしはっきり断定はできないか、
》 曖昧に相手に自分の考えを伝える・・・という感じでしょうか?

『〜かと思う』については、おっしゃる通りだと思います。

接続助詞『けれども』の用法と 『〜かと思う』の意味と
それぞれ分けて考えると、分かりやすいかと思います。

ケイケイ
日 本
41
前から気になっていました。この言葉の意味が全く分かりません。
「立ち話もなんですから」、の「なんですから」って
どういう意味なんでしょうか。
「なんですから」ってなんですかって聞きたくなります。
他の場合にも使われているようですが。
あと、この場合の「も」は、どのような「も」なんでしょうか。

立ち話ってなんかいけないことなんでしょうか。
それとも立って話をしていると疲れるから座りましょうとか、
落ち着かないから屋内で座ってお茶でも飲みながらゆっくりお話しましょう
とか言いたいのでしょうか。
言うべきことがあるなら言ったほうが分かりやすいと思うのですが。

いずれにしても、やっぱり意味が分かりません。
こういう言葉ってなんかもやもやしてきちゃいます。よろしくお願いします。
『立ち話もなんですから』の『なんですから』は、
日本語独特の言い回しで、直接的に言うのを避けて遠まわしに言うときの表現ですね。
この場合の『も』ですが、
副助詞『も』の用法に『さりげなくとりたてて文意をやわらげる』 というのがあります。
これにあたると思います。

『立ち話もなんですから』の用法は、私もケイケイさんと同じ意見です。
はっきり言わないのが伝統的日本人の奥ゆかしさだったんですね。
昔は家庭の主婦が何かを断るときに、「主人に相談してみます。」

でもそんなのは外国人には通じません。
本当に夫に相談して返事が来ると思うのは当然です。
獅子文六の『娘と私』に、
外国人にがんがん言われて、困った妻が「主人に相談してみます。」 といって逃げてきた。
夫はそれを聞いて、妻を可愛く思ったという描写があったように思います。
今はそんなこと言う人いませんけれどね。

日本人も段々はっきりものを言うようになってきました。
それはそれで良いことかもしれませんが、 日本人が欧米化されて
それとともに良くも悪くも伝統が失われていくようで、
ほんの少し寂しい気がする部分もあります。



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