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名詞関連(6)
金ジョンイン
韓 国
日本語歴:3年
60
'サテライト構築などの研修を行う'という文のなかで、
サテライトはどのような意味ですか。
人工衛星の意味だとは思われないんですが・・・
ラジオ・テレビの本局から離れた地点に設けられた
中継放送用の小さなスタジオのことです。
衛星のようなので、『サテライト・スタジオ』あるいは『サテライト』と言います。
金ジョンイン
韓 国
日本語歴:3年
59
日本人の名前を読む時にはいつも迷いますが、
こういう時、助けられるサイトなどはありませんか。
何個かあるのはあったんですが、 あまり役に立たないものだったので・・・
役に立つサイトがあるかどうか、分からないのですが、
日本人の名前は、日本人も迷うし分からないことがあります。
分からない理由は二つあります。
(1)読み方が分かりにくい。
例:
温大ー
能活ー
聖陽ー
はると
よしかつ
まさあき
(2)読み方が複数ある。
例:
敬子ー
紀子ー
孝治ー
けいこ、たかこ、よしこ、としこ
のりこ、きこ、としこ、いとこ
たかはる、こうじ
本人に直接聞いてみるのが一番です。
読みにくい苗字もあります。
例:
御手洗ー
木葉ーー
出頭ーー
みたらい
きば、こば
しっとう
読みにくい地名もあります。
例:
宿毛ーー
鬼無里ー
大角豆ー
すくも
きなさ
ささぎ
日本人も苦労しています。
永 田
日 本
58
私は事務職なので電話対応するのですが、
「ことづけをお願いします。」と言う方と
「ことづてをお願いします。」と言う方がいらっしゃいます。
どちらが正しい言い方なのでしょうか?
それと漢字にするとどう書くのでしょうか?
ことづけ=言付け ことづて=言伝 と書きます。
どちらも伝言という意味で、どちらを使っても問題ないと思います。
や ぎ
日 本
57
韓国の方とランゲージエクスチェンジをしているのですが
先日「佇まい」の意味を質問されました。
辞書を調べますと
1
立っているようす。また、そこにあるもののありさま。
そのもののかもし出す雰囲気。「家並みの―」「庭園の落ちついた―」
2
身を置くところ。暮らし方。また、なりわい。
と書かれてます。
意味としては、なんとなくわかってもらえたのですが
「雰囲気」と「佇まい」の違いといいますか、
例えば、「庭園の落ちついた佇まい」と「庭園の落ち着いた雰囲気」とは
どう違うのか?
使い分けはどのように説明したらよいかわからず困ってしまいました。
ちなみに人に対して「落ち着いた佇まい」のような使い方は
いたしますでしょうか?
こちらも教えていただければ助かります。
『佇まい』は、建物にたいして使う言葉であって、
庭園に使うのはおかしい、庭園には『雰囲気』を使うべきだという意見もあります。
私は、本来は建物にたいして使う言葉ではあるけれど、
『庭園』は、『建物』に付属しているものなので、OKにしてもいいかな?と思っています。
『庭園の落ちついた佇まい』と『庭園の落ち着いた雰囲気』は、
意味は同じだと言って良いように思います。
もし、敢えて違いを言うとすれば、
『佇まい』は『雰囲気』より、情緒がある言葉だ感じます。
『佇まい』より『雰囲気』の方が意味が広いように思います。
説明なさるときは、『佇まい』と『雰囲気』が置き換え可能な例と
『雰囲気』は使えても『佇まい」は使えない例を示されるのが良いのではないでしょうか。
置き換えできない1例:
「二人の間に気まずい雰囲気が流れた。」○
「二人の間に気まずい佇まいが流れた。」×
動詞『佇む』は、文字通り『しばらく立ち止まる』という意味で、
もちろん『人』に対して使う言葉です。
『落ち着いた佇まいの女性』とかも、使うことがあるように思います。
しかし、この場合の『佇まい』は、『立っている様子』というよりは、
『そのもののかもし出す雰囲気』という意味で使われていると思います。
福 原
日 本
56
「玄関」と「入り口」について、どのような違いがあるのかよく分かりません。
「玄関」は辞書的に言えば、 「建物の正面にある入り口」 であり、
一方「入り口」は、 「出たり入ったりする場所」 ですから、
建物ではなくても、「信仰への入り口」「サイトの入り口」「迷路の入り口」等‥
かなり抽象的なものでも使うことが出来ます。
しかし、「旅の玄関口」 などとも言います。
しかし、「旅の入り口」「旅の玄関」とは言いません。
では「玄関口」と「入り口」の違いは??
かといって「玄関」「玄関口」が、それほど自由に使える訳でもありません。
一体どの様な使い分けがあるのでしょうか?
わかりそうで、半分くらいもう分かっているのかもしれませんが、
何となくよく分かりません。 よろしくお願い致します。
『玄関』と『入り口』の違いはおっしゃるとおりだと思います。
ですが、『玄関口』と『玄関』『入り口』の使い分けのルールなんてないと思います。
『玄関』と『入り口』は、世間に認知されている言葉ですが、
『玄関口』は、単に個人の好みで使っている言葉だと思います。
これは全くの私見なのですがーーー。
私は『玄関口』という言葉にあまり馴染みがありません。と言うか使いません。
『勝手口』『玄関先』は、日常的に使います。
丁 志龍
中 国
日本語歴:5年
55
つい最近気がついたことですが、
日本語の数字「0」は幾通りの読み方があって、
またそれぞれ通用しない場合が多いのですね。
たとえば、部屋の番号の場合は「0」は普通「まる」と読みますが、
電話番号の「0」は”れい”の発音が多いでしょう。
また、ときには”ゼロ”とも読みます。
では、その使い分けはなんでしょう。 ご意見を聞かせてもらえませんか。
『ゼロ』は外来語、『まる』は俗語です。
『まる』は、部屋の番号や電話番号の場合使いますが、
その他では、あまり見かけません。
『れい』『まる』『ゼロ』のうち、
どれを使うという決まりはなくて、それぞれの好みで使っていると思います。
しかし、どれを使うか決まっていることもあります。
例えば『零戦』と書いて、『ゼロセン』と読みます。
『れいせん』と読むと『冷戦』に聞こえてしまうからかと思います。
「試験はれい点だった。」と言いますが、『ゼロ点』も『まる点』も言いません。
『何もないとき』は、『ゼロ』を使います。
例えば、「彼に対する愛情はゼロです。」 この場合、『れい』『まる』は使いません。
『れい』は長音なので、なんとなく間延びした感じがあって、
私は、「1対0で試合に負けた。」という場合 『いち対ゼロ』の方が『いち対れい』より好きです。
ケ イ
日 本
54
『人一倍』という言葉。
辞書によると、[普通の人以上であること。]とあるのですが、
人の1倍であるなら普通の人と変わらないのでは・・?と思ってしまいました。
「倍」であるならば×2になりますが、「一倍」では×1にしかなりません。
これに疑問をもったのは小学生の頃で、
以来、親をはじめ、何人かの国語の先生にも質問をしてみましたが
答えてくれる(答えられる?)先生はいませんでした。
納得されて終わってしまったり、流されたり・・・。
樹さんはどう思われますか?
昔は、『倍』の意味が現代とは違っていました。
つまり、『1倍』とは現代でいう2倍のことだったのです。
ですから『人一倍』というのは、『普通の人以上』という意味になります。
H.N.AKI
日 本
53
先日、友人との会話の中で、
「焼付け刃(やきつけやいば)(やきつけば)」という言葉が出てきて
「焼付け刃」って日本語としてあっているのかな?
「付け焼刃」じゃないの?と疑問 に思うことがありました。
その日家に帰って辞書でしらべたところ、
付け焼刃(つけやきば)
1
切れない刀にはがねの焼き刀をつけたしたもの。
見た目は切れそうに見えるが、実際はもろくて切れない。
2
その場をしのぐために、
知識や技術などを一時の間に合わせ習い覚えること。 にわかじこみ。
「〜の勉強」 ・・・・・・
「大辞泉」より と書いてありました。
ちなみに「焼付け刃」では見つかりませんでした。
またYAHOO!!の検索システムで、
「付け焼刃」を検索してみると約259000件ヒット
「焼付け刃」を検索してみると約90件ヒットでした。
明らかに「付け焼刃」が正しいと思うのですが、
「焼付け刃」でヒットした90件のなかでも
同じような意味で使われていたので、
実際はどちらも日本語として正しいのではないか?とも思ってしまいました。
実際、「付け焼刃」、「焼付け刃」どちらが正しい日本語なのか?
「焼付け刃」は現在日本語として正しいのか? 教えてください。
1の意味でしたら、『付け焼刃』が正しいと思います。
慣用句と言えるものですから、他の言い方はNGでしょう。
本当に刀について話しているときだとすると、
ひょっとすると『焼き付け刃』という言葉も使われるかもしれません。
『焼き付けた刃』という意味でーーー。
公 子
日 本
52
天気予報
で、よく次のような言い方をします。
「台風16号は正午過ぎに伊豆半島に接近するもようです。」
これでは、いつ台風が来るのか曖昧でよく分かりません。
後で言質を取られないために、こういう言い方をするのでしょうか。
なんだかイライラします。
以前、日本語学習者さんから
『正午過ぎ』とは、午後12時から何時ぐらいまでのことかと聞かれたことがあります。
私は、午後12時から12時半、場合によっては1時ぐらいまでだろうと答えたのですが、
でも、これも場合によります。
『台風が来る』だったら、午後12時から2時ぐらい、
『(時間を守る)友人が来る』だったら、午後12時から12時15分ぐらい、
『(時間にとてもルーズな)友人が来る』だったら、午後12時から1時ぐらいを考えます。
その学習者さんは、午後12時から夕方ぐらいまでの長い時間だと思っていたようです。
この『何時過ぎ』という言い方は、人によって受け取り方が違うのですね。
同じ日本語を使っていても、共通理解があるとは限らないとつくづく思います。
[
日本語調査結果(125)
]もご覧下さい。
山 梨
日 本
51
「百姓」
という言葉について友人と議論になりました。
私は、使い方によっては「百姓」という言葉に
多少蔑みのような感じが出ることもあると思うのですが、
私の友人は、単に職業を表しているだけだと言います。
結局、結論は出ていませんが、ご意見を聞かせていただければ幸いです。
私も、使い方によっては問題ありの言葉だと思うので、あまり使いません。
もし、使うとすれば、例えば
「あの人は、『お百姓さん』です。」といった言い方をすると思います。
でも、やはり『農業』『農家』という言葉を使うことが多いという気がします。
「定年後、国に帰って百姓をするつもりです。」と聞けば、
「すごい!かなり大規模農業になるんだな。」と感じます。
要は使い方の問題だと思うのですが、
やはり多少の蔑みの雰囲気がある場合もあるように思います。
[
日本語調査結果(126)
]もご覧下さい。
桜井さんからコメントをいただきました。
昔 低農有機栽培の農家を支援する会にはいり、
自分でも農地を借りて野菜作りをしていました。
野菜作りには豊富な知恵と経験が必要です。
その頃知りましたが、百姓という言葉は、
もともとは百種類もの作物を作ることができる野菜作りのプロに対する尊称だったそうです。
それがいつの間にかいろいろ余計な言葉がくっついて、
蔑称に近いものになったのは残念なことです。
農業をなりわいとする方が、本来の意味を理解してくださっっていたら、
私は親しみと尊敬を込めて個人的には お百姓さんと呼びたいのですが、
職業としては農業のほうが分かりやすいのかもしれません。