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助詞関連(4)
めぐみ
日 本
40
先日外国人に
「数学に弱い」はどうして「が」ではなくて「に」を使うのですかと聞かれました。
その時はうまく答えられなかったのですが、その後私なりに考えてみました。

「〜が弱い」「〜に弱い」の〜を、もう少し広い範囲の分野として見るとき
「に」では言えるけれども「が」では言えないものもあると思います。
「私は機械に弱い」や「私は道に弱い」などでは
「が」はあまり使わない気がします。
また「〜が大好きだ」の意味の「〜に弱い」(例えば甘いものに弱い等)では
「が」は使えませんよね。
この「〜が弱い」と「〜に弱い」の意味の違いについて教えてください。
私は「数学が弱い。」もOKにしているんですけどねぇ。どうかなぁ。
「私は機械が弱い。」は、ぎりぎりOKにできるかなぁ。難しいところです。
「機械が弱い。」とだけ言うと、機械の性能が悪いことになるかも知れませんね。
「私は道に弱い。」は「道を探す状況に弱い。」ということですね。
「私は道が弱い。」とは言いません。
「甘いものに弱い。」ー甘いものが大好きだ。 甘いものが苦手だ。
反対の意味があるので要注意です。

『〜が弱い』と『〜に弱い』の違いについて聞かれると ちょっぴり「嫌だなぁ。」と思います。
OKだと思うかどうかに、個人差があると思っているからです。
でも聞かれた場合は、次のように答えています。

『が』を使うとき
(1)
(2)
(3)
(4)
人間が持つ物理的な力が小さいとき
勝負するときの力が弱いとき
身体の一部や健康状態をいうとき
その他




力が弱くて持ち上げられない。
柔道が弱い。囲碁が弱い。
胃腸が弱い。肌が弱い。身体が弱い。
頭が弱い。押しが弱い。暖房が弱い。
音声が弱い。気が弱い。日差しが弱い。等
『に』も『が』も使うとき(『に』を使うのが本来なのだが、『が』も使う。)
ある分野に弱いとき(苦手だ、嫌いだという気持ち)
「私は数学に弱い。」と「私は数学が苦手だ。」の2文が混乱したんだと思います。
ここを、「『が』はNG。『に』でなければならない。」 と言い切る指導法もあります。
お酒に弱い。数学に弱い。パソコンに弱い。
お酒が弱い。数学が弱い。パソコンが弱い。
『に』を使うとき
ある状況に弱いとき(苦手だ、嫌いだという気持ち)
誘惑に弱い。ウイルスに弱い。寒さに弱い。地震に弱い。
女に弱い。熱に弱い。雪に弱い。暖房に弱い。

「暖房が弱い。」ー温度が上がらない。 「暖房に弱い。」ー温度の高い部屋が嫌いだ。
意味の違いがありますね。

日本語調査結果(74)]もご覧下さい。

新 米
日 本
39
「父と母とので会い」と「父と母の出会い」の違いは何でしょうか?
この「と」の説明が自分の中で出来ません。
そのほか「英語との出会い」なんて言う文も見つけました。
辞典などを見て、この「と」は、強調を表し ているのかな・・・
などと思いましたが、はっきり分からないままです。
手元の参考 書では、そういった解説はなかったので、
質問をさせていただきました。
『の』については問題ないと思います。問題は『と』ですね。
格助詞『と』の用法は、大きく分けると『並立関係』と『共同動作』があります。
(この用語は決まったものではありません。)

並立関係の例:私は毎朝、パンとコーヒーの食事をとります。
共同動作の例:私は駅前で、山田さんと出会いました。

『父と母との出会い』と『父と母の出会い』の違いの件ですが、
これはいろいろなケースが考えられると思います。
例えば、『父と母との出会い』では、出会った人は『父』と『母』という場合もあるでしょうし、
『私』が『父と母』と出会ったという場合もあるでしょう。
ですから、ふたつの句の違いを説明するのではなく、
混乱が起きないいろいろな場面の例文を提示して、理解してもらうのが良いのではないでしょうか。
要は、『並立関係』と『共同動作』の違いを理解してもらうことです。
『英語との出会い』も例文に使えるのではないでしょうか。

韓 国
日本語歴:6年
38
’だけ’と’ばかり’のちがいはなんですか。
”ある目標のために勉強ばかり・だけした。”
というときはどちらが良いですか。
「私はビビンバばかり食べます。」
「私はビビンバだけ食べます。」
(ビビンバを食べることが多い。他のものも食べる。)
(ビビンバしか食べない。他のものは食べない。)
違いは上記のようになります。

「ある目標のために勉強ばかりしていました。」が良いと思います。 

鳩派植留
日 本
37
「双頭主語」とは、「は」と「が」が両方入っている文の主語のことらしく、
文章全体が不安定になり、私自身、避けてきました。
ただし、はっきりとした説明を聞いたことがありませんので、
ここ に質問します。昔から、どのように扱われてきたのでしょうか。
助詞「が」「は」の使い方の問題ですね。
例えば、



「さんまは秋が旬です。」
「夏はビールがおいしい。」
「私は、生まれは(が)札幌です。」
「10月は台風がたくさん発生する。」
「漱石は明治が生んだ文豪です。」
どうしても、話し言葉としては「○○は」と切り出したくなるもの ですが、
書き言葉としては、気になってしまいます。
双頭主語という言葉は、初めて知りました。
私はこの構文を『はが構文』と呼んでいます。
この件に関しては、『文の構成(1)』Q4にちょこっと書いてあります。
そちらを参照なさって下さい。

SATO
日 本
36
海外で生活する3人の子供の母親です。
今まで助詞「に」と「へ」に使い方に関して
低学年のときは 「へ」は行き先や方向をいうときに使う、
「に」は名前のことばにつく と
家庭教育において3人の子供全てに教えてきました。
高学年になってからは再度確認のために
「へ」は方向、「に」は着点 の視点で考えるように話してまいりました。
先日、小学校3年生の子供が先生に「に」と「へ」の使い方について
質問したところ、どちらでも良いとの回答をもらいました。
当ホームページにあります『助詞関連(2)』Q11にあります
回答でも、日本語を教える時はどちらを使ってもOKとなっていますが、
作文においては学習指導要領の見解はどのようになっているのでしょうか。
まずお断りしておきたいのですが、日本語教育の現場と文部省の学習指導要領とは
物差しが違うとでも言いますか、別個のものであるとお考え下さい。
日本語学習者が、小・中学生、高校生の場合は、
指導要領を考慮する必要もあるでしょうけれど。

学習指導要領というもの、一度も目にしたことがありません。
それで、私もご指導いただいている教育委員会の関係者の方に伺ってみました。
「『に』と『へ』の使い分けは小学校の教育現場ではどうなっていますか?」
「あらら、どうなっているんでしょうね。調べておきます。」
ということで、お調べいただいた結果、
「指導要領には、特に述べてない。」とのことでした。
小学校の先生方も意識しておられず、各自の考えに任されているようですね。

因みに日本語教師養成校では、
「『に』と『へ』の用法は、現在では区別しない。」と習いました。
学習者さんの負担を軽減するには、区別しないのが良いだろうと、私は納得しています。

日本語調査結果(69)]もご覧下さい。

たかひろ
日 本
35
商品のラベル表示を審査しているものです。
清酒のラベルに、以下の注意表示があります。

「生酒ですので、光・温度により品質に影響を受けやすいため、
冷暗所で保存してください。」
その中である人から「品質に」の「に」はおかしくて
「が」にしなければいけないのではないかと指摘を受けました。
「が」のほうが対象がはっきりしてわかりやすいとは思いますが、
「に」は本当に間違った使い方なのでしょうか?
ラベル表示の審査といっても、 言葉使いを審査している仕事ではないので、
どのように説明したらいいか教えてください。
格助詞『に』は、いろいろ用法があるのですが、 その一つに『着点』というのがあります。
『着点』もいろいろあるのですが、その1例です。
  この花は 山田さんから 妹に もらったものです。

『この清酒は 品質が 影響を受けやすい』
『この清酒は 光・温度により 品質に 影響を受けやすい』
となり、どちらもOKだと思います。

ということで、私は『品質に影響を受けやすい』に違和感はないのですが、
でも、人様々ですからね。

山 ア
日 本
34
「涙ながらに〜。」の『ながら』は逆説ではありませんね。
涙ながらに、のようなのは、他になにかありますか。
「いつもながら、素晴らしい!」「昔ながらの味を守っている。」などがそうだと思います。
この『ながら』は、『〜のままの状態で/変わらず』といった意味でしょう。
一応接続助詞としましたが、接尾語だとしている文法書もあると思います。

ゆーこん
日 本
33
なぜ 「ニューヨークは 今 何時ですか?」 の「は」は
「は」になるのかわからない、と質問されました。
どのように説明をしたらよいのでしょうか。
というのは「ニューヨークは…」の一文は英語やスペイン語ですと
”in new york”になったりするので「は」となることがとらえづらいようなのです。
とても基本的なことと思われますが、教えていただけないでしょうか。
助詞『は』の用法については、Q32をご覧下さい。
”in new york”に『は』がつくことが理解できないと言われた場合は、
「ニューヨーク(の時間)は 今 何時ですか?」で、
『の時間』が省力されているけれど、『AはBです』の形であると説明した方が
とりあえず分かりよいですね。

ロ コ
日 本
32
ねこがいぬをたたいている絵を見せて
「ねこ( )いぬ( )たたく」 の( )に助詞を書き入れる問題についてですが、
わたしだったら やっぱり「が」を入れます。
どうして「は」はだめですかと聞かれたら、どう答えようかと考えています。

どこかの論文で 「は」を使うときは
@前に出てきた者や人について再び言及するとき
「むかしおじいさんとおばあさんがいました。
「おばあさんは山へしばかりに…」
初出は「が」、2度目は「は」になっています
Aほかでもないその人や物だと、強調する意味を持たせたいとき
B真理や事実を記述するとき
「地球は丸い」
「私は学生です」
うろ覚えを再生したので言葉は違うかもしれませんが
もし聞き手に質問されたら この三つの用法で説明するつもりですが、
ご意見をお聞かせ頂ければ幸いです。
『は』と『が』の使い分けですが、助詞関連Q8に、例えば、次のような説明をしました。

「私は学生です。」と、『は』を使うときは、大切なのは『学生です』で、
「私が学生です。」と、『が』を使うときは、大切なのは『私』 です。

『は』は、主語・述語という関係がなくても、後に続く広い範囲に、
『が』は、主語・述語関係の述語にだけ影響を及ぼすという違いがあります。

これは、日本語教師の草分け的な先生の講義を受けたとき、
「『は』と『が』の使い分けなんて少しも難しくないですよ。」と
先生から教えていただいたことです。
これを機会に、思い出しながら纏めてみます。

ロコさんが書かれたことを少し解説してみますね。
@ ロコさんのおっしゃる『初出』『2度目』ですが、
『新情報』『旧情報』と言ったり、『未知』『既知』(大野 晋)と言ったりします。
昔々あるところにお爺さんとお婆さんがいました。
      (このとき大切なのは、『お爺さんとお婆さん』で新情報)
お爺さんは山へ柴刈りにーーー。
      (このとき大切なのは、『山へ柴刈りにーーー』で『お爺さんとお婆さん』は旧情報)
A 『とりたて』とか『対比による強調』とか言われるものですが、
「林檎は好きです。」 (大切なのは『好きです』)
「林檎が好きです。」 (大切なのは『林檎』)

「バナナは好きですが、アボガドは嫌いです。」○
「バナナが好きですが、アボガドが嫌いです。」×
  『が』を使うと『バナナ』と『アボガド』が目立ち過ぎて、
  本来言いたい『好き』『嫌い』が霞んでしまいます。

B 「地球は丸い。」○(大切なことは『丸い』)
「地球が丸い。」×(普段丸くない地球がなぜか丸い!どうして!)

例外はありますが、『は』ではなく『が』になると覚えておくと便利なこと。
疑問詞の後は、必ず『が』で、『は』は使われません。
「誰が来るんですか?」  (大切なのは『誰』)
「加藤さんが来るんです。」(大切なのは『加藤さん』)
連体修飾の中では、『が』になります。
「これは、私が買った本です。」○
「これは、私は買った本です。」×
        (『買った』という述語だけに影響を及ぼすのは『が』
        大切なのは本を買った『私』ですね。)

話を元に戻して、「ねこ( )いぬ( )たたく」ですが、特に状況設定されていない場合は、
「ねこ(は)いぬ(を)たたく。」となると、大切なのは、『犬をたたく』になって、
犬をたたくのは、どの猫にも共通の習性になってしまいます。
「ねこ(が)いぬ(を)たたく。」となると、その猫だけの行動になります。
「ねこ(が)いぬ(を)たたく。」が良いでしょう。

これを先生が読まれたら、「分かっていない。」とお怒りになるかもしれません。
よく分かっていない部分もありますので、今後考え続け補足・訂正して行きます。


夏 郎
日 本
31
友人と話していて不思議に思ったのですが、
小学校の時、という表現はおかしいですよね?
例えば「私は小学校のとき身長が低かった」等です。
言葉の意味を考えると、 『小学校』は小学校の建物やその制度、
『小学生』は小学校で学んでいる人、という意味のような気がするので、
「私は小学生のとき身長が低かった」 の方が正しいと思うのですが…
話をしていると、大勢の方が使っているように思いますが、
ただ言葉の雰囲気だけで使っているのだと思い、気にしていませんでした。
しかし先日ある小説を読んでいて、
主人公が話している言葉に「小学校の時」という表現が使われていました。
どちらが正しいのでしょうか?どちらでもいいのでしょうか?
口語だけの表現なのでしょうか?
岐阜に住んでいるのですが、もしかして方言なのでしょうか?
ガーン!という感じです。
恥ずかしながら、私も何の疑問も持たずに、
「小学校のとき、体育が嫌いでした。」とか使ってきたように思います。
この件について今まで考えたこともありませんでした。
『うなぎ文』ってご存知ですか。
食堂に入って、「何が食べたいですか。」と聞かれて、「僕はうなぎだ。」と答える不思議。
小学校の学芸会ならいざ知らず、人間がうなぎであるはずがありません。
でもこれは、「僕が食べたいものは、うなぎです。」という意味。

『小学校のとき』は、他に『小学生のとき』という何の問題もない言い方があるのですからね。
誤用が定着したものと考えるのが妥当なのか、あるいは助詞『の』の奥深さなのか。

方言かどうかなのですが、私の両親は岐阜県出身なので、
もしかして、岐阜の方言なのかも知れないとも思いますし、
言語というもの、文法的にあっているか間違っているかよりも 使いなれていて、
多くの人が違和感を感じなければ問題ないものだとも思います。

日本語調査結果(63)]もご覧下さい。



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