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動詞関連(15)
日本語教育では、五段活用動詞をTグループ、一段活用動詞をUグループ、
『くる』『する』をVグループと呼ぶことがあります。
日 本
150
過日の鳩山首相退任劇で、
「鳩山首相は、小沢幹事長と刺し違えた。」という一文を読んで
あれれっと思いました。
刺し違えるとは、刺し間違えるという意味ではないかと・・・。
なんか変ですよね。
そうですね、ちょっと見たところ変ですね。
でも、『違える』を使って複合語を作った場合、
『違える』は、両方からお互い〜するという意味になることもあるようです。
他に例はないかと探したところ、「紅白のひもを打ち違えて組む。」というのがありました。

『鍵を取り違える』は『間違える』の意味で、上記の例には当てはまりません。

バンボウゼコム裕美
日 本
149
動詞の見分け方についての質問です。
動詞の辞書形をみて種類を見分ける方法はよく見かけるのですが、
ます形のままでもある程度、五段動詞か一段動詞かの見分けがつく
とある参考書に書いてありました。

これは、私が作った例ですが、
例えば、「時間がないので、いそぎましょう。」 という文があったとします。
生徒は「いそぎます」の意味がわからないから
辞書型になおして調べたいとします。
いそぎましょう→いそぎます いそぎます→この辞書形はなにか?
この動詞が五段か一段かがわかっていない場合、
生徒はまちがって「いそぎる」が辞書形だ
と思ってしまうことがあるのではないかと思います。
「いそぎます」の形だけを見て
五段か一段かを判別する方法はなんですか?
「食べます」なら「ます」の前がエ音で終わっているから、
一段と予測がついて、
「ます」をとって「る」をつけたのが辞書形とわかるけど、
「飲みます」の場合は、「ます」の前がイ音で終わっていて、
ほとんどの場合はそれは五段だと予測はできるものの、
一段動詞のなかにも、
  あびます  かります  おります  わかります おきます など
「ます」の前がイ音でおわるものがあります。
だから、それらはもう覚えてしまうしかないのか、
それとも見分ける方法があるのか?というのが疑問なのです。

自分なりにした考察は以下のようです。
五段の動詞は
よみます かきます かいます たちます およぎます
とびます よみます しにます いきます などで、
「ます」の前がイ音で終わる。

一段だと
たべます おしえます うまれます しらべます
あけます ならべます つとめます つけます で、
「ます」の前がエの音になるものと
ます います 着ます で、
「ます」の前が一音のものの2種類が考えられる。

しかし、説明が出来ないのは以下のものたち。
「ます」の前がイでおわって
五段とどうやって区別をすればいいのかわからないのです。
あびます かります おります わかります おきます

これらは、例外として生徒に覚えさせるしかないのでしょうか?
それともなんらかの形で「ます」の前がイ音でおわるものを
五段か一段か見分ける方法があるのでしょうか?
辞書型からの区別はどの本にも載っていますが、

ます型からの区別は私が持っている参考書では
みつけられませんでした。ご指導よろしくお願いいたします。
質問内容を、分かりやすく説明していただいて、ありがとうございます。
おっしゃっている見分ける方法はないと思います。
学習者さんには覚えてもらうしかありません。

日 本
148
風が強いときや台風が近づくと「うねりが『入る』」という
言い方は気象用語にはある(?)らしいのですが、
「うねり」って入る?ではなく現象が出てくる、というイメージで、
「うねりが出てくる」が心地よいのですが(笑)、
読んで(聞いて)みて、どう思われますか?

回答よろしくお願いします。
私の感覚では、『うねりが出る』なのですが、
サーフィンをやる知人に聞いたら『うねりが入る』だと言っていました。
うーーーん、よく分かりません。
業界用語なのかもしれません。


た け
日 本
147
「名詞+する」の動詞についての質問です。

鏡は光を反射する。ガラスは光を透過する。
の使い方はおかしいと言う人がいるのですが、ご意見をお聞かせ下さい。。

変だとされた理由は、辞書によると、
「透過」と「反射」に、「透くこと」とか、「はね返ること」の意味はあるが、
「透かすこと」とか「はね返すこと」の意味はない。
したがって「+する」でもそのような意味はない。 とのことらしいです。
一般的には、「透過する」は、「透く」「透かす」、
「反射する」は、「はね返 る」「はね返す」
いずれの意味でも使われているように思います。

鏡は光を反射させる。ガラスは光を透過させる。
私は机を隣の部屋に移動させた。
は、ニ格(人に)がないのですが、使役形と言うのでしょうか?
前半のご質問ですが、お示しの例文に、私は違和感がありません。
辞書に書いてあることは、参考にしても
あまりそれに縛られることはないと思うんですけれど・・・。
自分の日本語の母語話者としての直感みたいなものが、
信じるに足るものだと思うこともあります。
(自分の母語話者としての直感がぐらつくこともありますけれど。)

後半のご質問ですが、使役形には『を使役』と『に使役』があって、
お示しの例文は、全て『を使役』です。
使役形と言うと思います。

バンボウゼコム裕美
日 本
146
ニュージーランドで地域のセンターにて
初心者向け大人コースを教え始めたところです。

以前に現地高校の日本語授業を見学に行ったたときに、
「います」と「あります」を復習していました。
生徒の1人が、「dead body(死体)だとどうなるのか?」と尋ねました。
その後、「死んだハエならどうか?」とも。
面白い質問だと思いました。
教えていた教師は、
「テクニカルになりすぎている」と説明しませんでしたが。。。

死体がある。 死んだ人がいる。 死んだハエがいる。
「死んだハエ」という単語がもしあれば、
その場合は「ある」になるのだろうか?と考えました。
生きていた時の姿を頭に浮かべて言っているのかとも思いましたが、
それでは、死体と死んだ人との区別がつきません。

私の考えは、次のようになります。
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)
死体がある。
死んだ人がいる。
死んだ人がある。
死んだハエがいる。
死んだハエがある。
死んだ猫がいる。
死んだ猫がある。


×



×

「死体」は物体でそれ自体動かないから「ある」でぴったりくる。
「死んだ人」の場合は、「死んだ人」イコール動かないから
「ある」になるはずなのに、「いる」となるのはなぜか?
これが疑問だったのですが、「死んだ人」とひとくくりにしないで、
「人」に焦点をあてて動詞を考えると、
人は動くものだから「いる」になる。
「死んだハエ」「死んだ猫」も同じく、
「死んだ」というところを見ないで動詞を選ぶと「いる」になる。
「死んだ」のところは、
「歩いている」とか「歌っている」とか「飛んでいる」「お腹をすかせた」に
置き換えることができ、その場合も同様に「いる」になるから。

考え方、これで正しいでしょうか?
日本語で正しいとは何か?よく分からなくなります。
人にはそれぞれの考えがあると思っているのですが、以下、私の考えです。

裕美さんの○×△に、樹の○×△も加えます。
裕美
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
(6)
(7)
死体がある。
死んだ人がいる。
死んだ人がある。
死んだハエがいる。
死んだハエがある。
死んだ猫がいる。
死んだ猫がある。


×



×



×
×


Aについては、私も同意見です。

Bについては、少し意見が違います。
「部屋の中に死んだ人がいます。」より「部屋で人が死んでいます。」の方が自然です。
(2)も(3)も『死体の存在』というより、 『人が死んだ場合の事例の存在』について
述べているのではないでしょうか。

「蕎麦アレルギーで、死んだ人がいました。」
「蕎麦アレルギーで、死んだ人がありました。」

『いました』と『ありました』の違いですが、
@『ありました』の方が『いました』より、稀なケースに使う。
A『ありました』の方が『いました』より、事態の重要性を強調している。
ここらは、少し疑問に思っているのですが、今のところそんな気がしています。

(4)(5)は、
「コップの中に死んだハエがいるから、コップを替えて下さい。」は少し不自然で、
「コップの中に死んだハエが入っているから、コップを替えて下さい。」の方が
自然なように思えます。

猫の場合は、(2)と(3)に準じます。
「毒入りのパンを食べて、死んだ猫がいました。」
「毒入りのパンを食べて、死んだ猫がありました。」

愛猫家から叱られそうですが、
猫が死んだ場合人間の死ほど重大視しないだろうという安易な考えです。

熊 峰
中 国
日本語歴:10年
145
今私立の学校で日本語教師をしています。
次の文はどういう区別がありますか。

A1.
A2.
子供のころは体が弱くて、しょっちゅう風邪を引いたものだ。
子供のころは体が弱くて、しょっちゅう風邪を引いていたものだ。
B1.
B2.
一昔前までは皆みじめな生活をしたものだ。
一昔前までは皆みじめな生活をしていたものだ。

「動詞過去形+ものだ」は過去よく何をやったという意味です。
「動詞連用形ていた」も使えるようですが、
A1とA2、B1とB2はどういう区別がありますか。
A1とB1は、過去にできごとが起こった時間を点としてとらえており、
A2とB2は、時間の幅があるものとしてとらえています。

南十字星
日 本
144
「来独する」という表現は正しいでしょうか?
ドイツ在住のドイツ人が、
日本から来た日本人を第3者に語った場合の表現方法で
例)彼は在独大使館職員として今年の夏、来独しました。
と、表現するとおかしいでしょうか?

「渡独」を使うのでは? と、言う人もいます。
例)彼は在独大使館職員として今年の夏、渡独しました。
しかし、この場合だと日本在住の人間が
ドイツに渡った人間のことを第3者に語った表現になるように思います。
ご意見をお聞かせください。宜しくお願いします。
日本語教師というより、1個人としての意見なのですが・・・。

何をもって正しいとするか?ということもあり、回答が難しいのですが、
「彼は在独大使館職員として今年の夏、来独しました。」という文章は、
ドイツ在住のドイツ人が話しているのでしたら、私には違和感がありません。

「彼は在独大使館職員として今年の夏、渡独しました。」に関しては、
おっしゃる通りだと思います。
ドイツ在住のドイツ人が『渡独する』を使うのはNGだと思います。

ヤコピさんからご意見をいただきました。
来独する」は、おそらく 「来日」からの発想だと思いますが、
「来日」は外国人が日本に来る場合にのみ使える限定的な熟語で、
「来○」で、誰でもどの国にでも来ることを汎用的に表す用法は
日本語として認められてはおらず、私は「不可」だと思います。
「来独」のみならず、「来米」「来英」とも言わないですし。

マスコミや業界内、組織内などでは、漢字を結合させて
熟語のように使ったりする傾向もありますが、
話者の視点が気になるのなら、不自然に言葉を造るよりは、
「彼は在独大使館職員として今年の夏、渡独して来ました」 が自然だと思います。

杉 山
日 本
143
「連絡する」は自動詞か他動詞かについて、質問があります。
「連絡する」は自動詞ではないかという意見があるのですが・・・
その人が言うには、
対象語を「を」で示す用例が「連絡する」には思い浮かびません。
「に」が主で、「友達に連絡する」、「新幹線に連絡する」などは
よく使います。なので、連絡するは自動詞ではないでしょうか?

私の考えとしては、
「〜を連絡する」と使った場合は「他動詞」
「〜に連絡する」と使った場合は「自動詞」なのだろうかということです。

自分自身「結果を連絡する」というように「〜を連絡する」という
言い方をするのではないかと思うのですが、「連絡するは〜をで示す
用例がなく、〜にを使うのではないか」と言われると自信がありません。
『連絡する』が『伝える』という意味の場合、他動詞だと思います。
この場合、『○○に〜を連絡する』のように、『に格』と『を格』が必要になります。
しかし、言わなくても分かる場合は、『に格』と『を格』のうち、
どちらか(あるいは、両方とも)が省略されることもあるでしょう。

お示しの例文では、次のように『を格』が入っても、私には違和感がありません。
「友達に集合時間を連絡する。」
「新幹線に事故が発生したことを連絡する。」

「友達に集合時間について連絡する。」
「新幹線に事故が発生したことについて連絡する。」
という言い方も、実際には使っているように思います。
こういう言い方がOKであるなら、この場合は、自動詞だということになるのでしょう。

杉 山
日 本
142
私は、現在シンガポールに住む主婦です。
シンガポール人に頼まれて日本語を教えていますが、
質問を受け悩んでおります。

「この街に大きな自動車工場ができるので、
来年には 労働人口が大幅に変化すると思われる」
⇒なぜ「変化される」でないのか?

自動詞・他動詞の関係かなと思うのですが、
どういう時に 受身にしてはいけないのかなど説明ができずにいます。
アドバイス、よろしければお願い致します。
ご質問の主旨が、よく分かりません。
杉山さんが出された文が受身になるかどうかいうことでしょうか。
だとしたら、受身にはならないと思います。

日本語では、他動詞が受身になる方が一般的ですが、自動詞も受身になります。
しかし、自動詞で受身になる例は少なく、
その上、自動詞の受身は意味的に見ると、『迷惑の受身』となります。

自動詞:労働人口が変化する。
他動詞:労働人口を変化させる。
『する』には、ペアとなる他動詞がないので 他動詞が必要なときは、使役形を使います。
この文の意味を考えると、労働人口が変化することで、迷惑感があるようには思えません。
ですから、杉山さんが出された文は、受身にならないと言ってよいと思います。

ただ、同じ『変化する』でも、例えば、
「琴欧州は、2日連続で変化された。」 のように、迷惑の受身はありますので、
注意が必要です。

Mika
日 本
141
近所のとても上品な年配の女性の言葉遣いが気になっています。
いつだったか、「うちの主人は勝手こきなんですよ。」とおっしゃいました。
「勝手こき」というところが、ひっかかるのです。
「勝手こき」というのは、誰もが使う言葉なのでしょうか?
それとも、方言なのでしょうか?
どことなく下品な感じがするのですが、どうなんでしょうか?
方言かどうかは、よく分からないのですが、まぁ、下品だと思われるのは、分かる気がします。
『こき』は、動詞『こく』の名詞形で、『こく』がよく使われるのは、『屁をこく』です。

これから転じて、『嘘こくな。」「馬鹿こくな。」とかいった使われ方もするようになりました。
『勝手こき』も、同じ使われ方ですね。
だから下品な感じというのも、分かる気がします。
そして、誰もが使う言葉ではないように思います。

最近では、『必死こいて』という言い方もありますね。
『必死になって』より、ふざけた感じや人をからかっている感じがします。
でも、ちょっとユーモアがある場合もあり、
要は、使う人、使うTPOによって雰囲気は変わるのでしょう。



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