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池崎さんが書かれた文章を読んだ人が、
池崎さんの言いたいことを きちんと理解できる助けとなる位置に、
あるいは、池崎さんの文章を読みやすくする位置に、
読点ををお付けになるということが、
唯一の『定義』ではないかと思います。
私たちは、小中学校のころ、厳しくあれこれ国語で教え込まれました。
しかし、そういうことにあまり縛られる必要はないと思っています。
読点の打ち方で、文章の表情が変わります。
どこに読点を打つかは、表現の自由だという考えもあります。
しかし、今述べたことは一般的なお話であって、公用文というと話は別かもしれません。
『公用文の書き表し方の基準―資料集』と言う本が文化庁から出ています。
私は見てないのですが、これがお役に立つかもしれません。 |
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