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助動詞関連
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助詞関連(12)
フルムーン
日 本
120
新米日本語教師です。
生徒からの質問で、
すみません。「おはようテレビ」ですが、今何がいちばん欲しいですか。
という文章にある「ですが」、
この「が」というのは、 英語でいう、「BUT」にあたるわけですが、
なぜ、この文で「が」が使われるのでしょうか。
すみません。「おはようテレビ」です。今何がいちばん欲しいですか。
というように、「が」をぬいた場合と
どう違うのかを説明することができずに私の宿題となりました。

私が思うに、
(あなたの知り合いでも友達でもありません)
「おはようテレビ」ですが、今何がいちばん欲しいですか。
(ということ をお聞きしてもよろしいでしょうか。)
という気持ちが含まれているからなのでしょうか。
それとも別の意味があるのでしょうか。
ご質問の『が』ですが、 お考えになっている『BUT』ではなくて、
『前置き』を表していると思います。

フルムーンさんの例ですと、全く知らない人への問いかけになっています。
でも、知らない人への問いかけとは限りません。
親しくしていただいている先生に、次のような言い方をすることもありますね。
先生、ちょっと教えていただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか。
先生、ちょっと教えていただきたいことがあります。よろしいでしょうか。
上記2文を比べてみて下さい。
下の言い方の方が、切り口上というか、ぶっきら棒だという感じがあると思います。
接続助詞『が』を使うことによって、全体が柔らかな雰囲気になると思うのですが、
どうでしょうか。

中 国
日本語歴:5年
119
副助詞の“さえ”、“すら”、”まで”についてお聞かせいただきます。
大学院の受験問題ですが、
「一番信頼していた部下(1、さえ、2、すら、3、まで)が彼を裏切った」
“さえ”、“すら”、”まで”はどれも極端的な例をあげて、
ほかのことを類推する働きを持っているようですが、
この問題のように、どう使い分けたらいいかしばしば混迷いたします。
私はいちおう 3番の「まで」にいたしましたが自信もないです。
(もしかしたら、そのあとの「が」がポイントではないでしょうか)。
おっしゃるお通りです。『が』がポイントです。
(1)「一番信頼していた部下でさえ、彼を裏切った。」
(2)「一番信頼していた部下ですら、彼を裏切った。」
(3)「一番信頼していた部下までが、彼を裏切った。」

(1)(2)では、『で』が省略されることもあります・

嶋 田
日 本
118
仮定の譲歩「たとえ〜ても」で
名詞のときは「〜でも」、イ形の形容詞は「〜ても」、
ナ形の形容詞は「〜でも」となるのはわかるのですが,
動詞になると,「降っても」,「勉強しても」,「飲んでも」などの
3通りが出てきます.
どのように見分ければよいのでしょうか?
イ形の形容詞、ナ形の形容詞という言葉をお使いなので
動詞の『て形』についてもお分かりだと思います。
『て形』の音便の発生の仕方を整理なさるのがよいと思います。
て形+も になっていますから。
.
chifumi
日 本
117
母国語である日本語をなるべく正しく使いたい、と思っています。
スポーツニュース等でよく聞くことができる
「松井のヤンキース」 という言葉が気になります。
「の」には、沢山の意味があります。
「ヤンキースの松井」であれば、所属を表すので、
正しい使い方だと思うのですが
これが逆になっているのは文法上、どういう事なのでしょうか。
TVでキャスターがこのような発言をするたびに、眉をひそめてしまいます。

所属を表すのであればヤンキースの松井、で済むと思います。
それをあえて、混乱を招くような表記をするのは
シンプルな日本語からは遠いように思います。
また、ヤンキース、というのは固有名詞であり、
固有名詞+「の」+固有名詞表現は、
多少問題ありだという気がしないでもありません。

どうしても、「の」は単純に所属を考えてしまうので
AのBが満たされる時(ex. A=巨人 B=松井) このときは、
単純な所属を意味するのに対し、
BのAとすると、数学的にもおかしくなるような気がするのですね。
Bの(所属する)A というふうに、「所属する」が省略されている、
と考えることもできますが
それならば、AのBと言った方が誤解が少ないように思うのです。
我々は、先の例でいうなら、Aは野球のチームであり、
Bは一人の選手ということを前提として知ってますが、
海外の人だと、固有名詞など知らない事も多々あると思いますし、
このような表現がニュースで通ってしまうことに
かなりの違和感を感じていたのです。

が、まぁ、感じ方、ですね。
まず、正しい日本語とは何か?という問題がありますがーーー。
よかったら、こちらをご覧下さい。

おっしゃる通り、助詞の中で『の』の用法が一番多岐に渡ります。
『の』を使った文で、意味が分からないことがあります。

『横田めぐみさんの双子の弟』と聞いて、『めぐみさんご自身が双子』なのか、
『弟さんが二人いる』のか、分かりませんでした。
弟さんがお二人おられるのだということは、テレビの画面で知りました。

「××に主人の会社(某有名企業)の保養所がある。」 と
友人がいうのを聞いて、びっくりしました。
その人のご主人が、その有名企業のオーナーであるように聞こえたのです。
つまり、 『主人の(所有している)会社の(所有している)保養所』 かと思えたのです。
でも実際は、 『主人の(所属している)会社の(所有している)保養所』 でした。

私は『松井の(所属している)ヤンキース』という表現も
おかしいと言えばおかしいのですが、
『松井の(所有している)ヤンキース』だとは、日本人なら誰も思わないので、
短く表現しなければならない場合、便利だなと思ったりします。
固有名詞+「の」+固有名詞表現もそれほど違和感がありません。

「松井のヤンキースが、日本にやってくる。」と言えば、やってくるのは『ヤンキースのチーム』。
「ヤンキースの松井が、日本にやってくる。」と言えば、やってくるのは『松井』一人。
という違いがありますね。

おっしゃる通り、人によって感じ方が違うんですね。

[日本語調査結果(136)]もご覧下さい。

PATA
日 本
116
「日本に5ヶ月過ごしました」→「日本で5ヶ月過ごしました」
だと思いますが、
継続動詞が状態、瞬間動詞が動作ですよね?
この辺りで混乱してしまったので、よろしければご説明ください。
「日本に5ヶ月すごしました。」は、なぜNGなのか、 ということなのですね。
元々継続動詞か瞬間動詞かという分類は、すっきりと分けられるものではありません。
とても便利な場合もあるのですが、 いつもうまく使えるとは限りません。
ですから、ここでは継続動詞か瞬間動詞かという話に持っていかないで、
「『過ごす』という動詞が必要とする『場所』は 『で』で示す。」
というふうに説明した方が良いように思います。
どうでしょうか?

ちさこ
日 本
115
日本語を勉強中の研修生と話をしているとき、
私の話に対して 「そうだの?」という返事をする人がいます。
「そうだ」=そういうこと、と疑問形の「の?」という意味で
言っているのだと思い ますが
日本人であれば、
「そうなの?」「そうなんだ?」返事をするところですよね。
おかしいということを伝えても、
文法的な説明がうまく出来ないため納得してもらえません。
どのように説明すれば良いでしょうか?
文法の説明はいろいろあるようですが、
今後間違いを繰り返さないことをポイントとして説明することが大切です。
終助詞『の』の接続ということで説明するのはどうでしょうか。
動詞につく場合
イ形容詞につく場合
ナ形容詞につく場合
名詞につく場合
例:
例:
例:
例:
明日図書館へ行く。
これは美味しい。
あの人は親切だ。
明日はお休みだ。




明日図書館へ行くの?
これ(は)美味しいの?
あの人親切なの?
明日はお休みなの?
『そう』は代名詞ですから、 そうだ。→そうなの?
これで説明してみて下さい。

終助詞『の』は、女性言葉だという雰囲気があります。
でも、最近は男性も使うようになってきました。

男性が終助詞『の』を使った場合、どのくらいの人がおかしいと思うのでしょうか。
それとも、既に男女共用の言葉になっているのでしょうか。

日本語調査結果(127)]もご覧下さい。

ぱんだ
日 本
114
先日、本格的に日本語を習い始めた韓国人の友達から
「料理が上手な友達___おいしいケーキを作ってもらいました。」
という問題があり、
私は“から”が正解だと思ったが、日本語問題集の正解は“に”だった。
そして後日、
日本語の先生に、どうして“から”では不正解か?と尋ねたら
「どちらでも正解だと思う」という答えが返ってきたそうです。
そして「あなたはどう思う?」と質問されました。
私も“に”のほうが響きが自然な気がするのですが、
何度も声に出して読んでいるうちに“から”でも
間違いではない気がしてきました。

どう思いますか? ご意見を伺えれば幸いです。
どちらも正解だと思います。
『に』も『から』も『出所(でどころ)』を表すと教えています。
Aさんに薔薇をあげました。
Bさんにお菓子をもらいました。
という構文で、『出所(でどころ)』も『着点』もおなじ『に』ですから混乱しやすいですね。
実際に教えるときは、先に『から』から教えると混乱が少ないように思います。
Bさんからお菓子をもらいました。

ま や
日 本
113
助詞「に」についての質問です。
“10月に旅行に行く”、とは言うのに
“明日に旅行 に行く”とは言わないのはなぜですか。
“10月にコンサートがある”とは言うのに
“今日にコンサートがある”とは言いませんよね?
今日、明日、あさって、今年、去 年…には「に」はつけませんよね?
それはどうしてですか?
それと“先週に”や“来 月に”や“来年に”、とは言いますか?
いつきさんはどうお考えでしょうか、お教え ください。
「2005年10月に旅行に行く。」という文で、 『2005年10月』は、
いつになっても『2005年10月』です。

『明日』というのは、明日になってしまえば『今日』、
明後日になってしまえば、『昨日』と呼び名が変わります。
この呼び名が変わるものには、『に』が付かないという原則があります。

しかし、規則の過剰一般化とでもいいましょうか。
本来『に』がつくべきでないところに『に』がついていることもあるようです。

案山子
日 本
112
先日、「相手をA君に選ぶ」という文は正しいのかどうかと聞かれました。
友人は「A君を相手に選ぶ」は正しいけど
「相手をA君に選ぶ」はおかしいと言います。
僕は「相手をA君に選ぶ」は正しいと思うのですが、
説明を求められて困ってしまいました。

Q&Aコーナーで、『NをNに』の『に』は
『として』に置き換えられる『に』だとのご意見を拝見しました。
そこで、『に』を『として』に置き換えて考えてみたのですが、
「相手をA君として選ぶ」はおかしな文のように感じます。
「相手をA君に選ぶ」はどのように考えればよいでしょうか?
私も「相手をA君に選ぶ。」はNGのように思います。
「A君を相手として選ぶ。」OK
「相手をA君として選ぶ。」NG
「相手をA君として選ぶ。」がNGとなるのは、
そもそも「相手をA君に選ぶ。」がNGだからです。

『〜を選ぶ』のように『選ぶ』が動詞として機能するためには 『〜を』が必要です。
そして『資格/立場/条件』等の説明のために『ーに』が きているのですから、
『〜』と『ー』を置き換えることはできません。

Y-SATO
日 本
111
「このコンパス(方位磁石)は
アンテナの方向を簡易に把握するためのツールです」
という文章がありました。
「容易に把握する」又は「簡便に把握する」は自然に感じますが
「簡易に把握する」 は少しぎごちなさを感じるのです。
むしろ「簡易なツールです」と「簡易な」とくれば不自然さは感じません。
体言の後に来るのは「な」か「の」か選択制限のような規則は
あるのでしょうか?
それとも私の感じ方がおかしいのでしょうか?

更問: 「アンテナの方向を把握する」とは
「把握」の用法として適切でしょうか?
私の母語話者としての直感(これがいい加減なのですが)で言いますと、
『容易に把握する』『簡便に把握する』は、OK、『「簡単に把握する』も、OK、
『簡易に把握する』は、NGです。

》 むしろ「簡易なツールです」と「簡易な」とくれば不自然さは感じません。
》 体言の後に来るのは「な」か「の」か選択制限のような規則はあるのでしょうか?

規則があるとすれば、 形容動詞の後には『な』、名詞の後には『の』なのですが、
必ずしもこの規則が当てはまるとは限りません。 例外がたくさんあります。
『容易』『簡便』『簡単』『簡易』は、私は形容動詞だと思います。
『簡便』『簡易』は、名詞の場合もあり、形容動詞の場合もあると書いてある辞書も
あったように記憶しています。

余談になりますが、『形容動詞』という文法用語を
日本語文法の世界では『ナ形容詞』と言います。
しかし、私は『形容名詞』とするのが、よいと思います。
それほど、名詞と形容動詞は似た動きをするのです。

》 それとも私の感じ方がおかしいのでしょうか?

私もいろいろなことで、自分の感じ方がおかしいのではないかと思うことがあります。
事実、当サイトの日本語調査では、私の感じ方が多数意見に入るとは限りません。
しかし、いつも「いろいろな感じ方があっても良いのではないか。」
と思うようにしています。

「アンテナの方向を把握する。」で『把握』という言葉を使うのは
少し大げさな感じがします。



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