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助詞関連(17)
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先日、友達とちょっとした行き違いがありました。
その友達が、京都に行くかも知れないと聞いていたので、
「京都に行ったら○○を買ってきてね。」と言うと、
「まだ行くと決めたわけじゃない。」と言われました。
「たら」は、仮定のときに使うのだから、
私は、「もし、京都に行ったら・・・・・。」のつもりでした。
そこのところが理解されていないようで、ほんの少しですけど、
違和感がありました。
「たら」は仮定を表すと思うんですけど、私は何か勘違いしていますか。 |
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『たら』は確かに仮定を表します。
でも、ある動作が将来起こることを前提にして、
その動作が完了したときに照準を当てる用法もあります。
そこのところが、お互い噛み合わなかったのでしょうね。
仮定の場合は、『もし』を入れれば誤解が生じるようなことはありません。 |
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日本語を勉強している友達と話していて、
思わず’ゆってないし’と使ったのですが、
’し’が何かと聞かれても何なのかがわからず、
ネットでも調べてみたのですがわからず、、、
こちらへメールさせていただきました。
私がしょうもないギャグをゆったと友達に思われたので、
そんなんゆってないし!という感じなのですが・・・・・ |
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助詞関連Q132でも、同じようなご質問をいただいています。
いただいた文面だけでは行間にあるお気持ちが読み取れないのですが、
相手の聞き違いを『非難』とまではいかないにしても、
ちょっと強く否定したいというお気持ちなのではないでしょうか。
いずれにしても、最近になって使われ始めた『し』の用法だと思うので、
今後ともアンテナを立ててきたいと思っています。 |
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「〜のため」と「〜のために」の違いについて、教えてください。
たとえば「子供たちのため」と「子供たちのために」の違いです。
私は「子供たちのため」だと押しつけがましい感じがします。
「子供たちのために」だと、
いろいろな可能性が広がる感じがします。
この場合の「に」は、助詞ですか? |
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私もTAMINさんと同意見です。
更に私の感じ方を加えると、
『子供たちのために(例えば:何かしましょう!)』と
何かが省略されているなと感じます。
でも、『子供たちのため』で終わっていると、落着きません。
えっ、なになに?という感じがします。
(ここで読み返してみて、書く必要もないな!という感じですが、一応残します。)
『ために』の『に』は助詞だと思います。 |
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いままで、「が」、「けれども」、「ものの」と「ながら」は勉強しました、
みなは逆説を表しています、
でも、その中の区別ははっきりわかっていません。教えてください。
例文 |
が |
: |
1.
2. |
部屋はきれいで広かったですが、
家賃はちょっと高かったです。
旅行は楽しかったですが、疲れました。 |
けれども |
: |
1. 2. |
部屋の番号を聞いたけれども、忘れてしまいました。
難しい仕事だったけれども、終わりまでやりました。 |
ものの |
: |
1. 2. |
一人でできるとは思うものの、時間がかかるだろう。
ここは静かだというものの、買い物には不便だ。 |
ながら |
: |
1. 2. |
狭いながら、やっと家を一軒手に入れた。
すぐ近くまで行きながら、母の家に寄らずに帰った。 |
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『が』と『けれども』は、『けれども』の方が多少丁寧だ
という意見もありますが、どちらを使っても違いはありません。
前件と後件が対比的なときに使います。
ほとんどの逆説に使えます。
『ものの』は、前件の内容を一応は認めているけれど、
それとは矛盾することが後件に出てくるときに使います。
多くの場合、『前件と後件が対比的』とも言えるので、
『が』『れども』を使ってもOKです。
『ながら』は、両立しにくい二つのことが平行して成立しているときに使います。
多くの場合、『前件と後件が対比的』とも言えるので、
『が』『れども』を使ってもOKです。 |
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私はよく「○○百貨店で安い肉が売っていた」とか、
「この道でよく検問がやってるんだよ」と言ってしまうのです。
主人に「肉を」だろう?「検問を」だろう?と直されています。
「百貨店が肉を売ってる」だからと。
確かに、「が」、は主語で売っているは述語。
よくよく読み返すと間違っていると思いますが・・・・
全く持って間違ってるのかな?といつも考えてしまうのです。
これは長年私が間違った使い方をしてきた事になれてしまっていて、
間違いに違和感を感じるだけなのでしょうか?
主語を抜いた会話が原因なのかなと感じています。
ついつい普段の会話ででてしまうので、
何か防止策があればアドヴァイスいただければと思います。 |
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Sonoeさんの場合、長年使ってきて、慣れてしまったのだと思います。
通じればそれで良いという考えもありますが、
日本語を勉強している外国の方には、この場合は間違いだと教えます。
『を』と『が』を使いわける例を挙げてみますね。
「○○百貨店で安い肉を売っている。」
「○○百貨店では安い肉がよく売れている。」 |
他動詞
自動詞 |
「この道でよく検問をやってるんだよ。」
「この道でよく検問が行われているんだよ。」 |
他動詞
自動詞(受身) |
学校では習わなかったのですが、日本語の動詞には自動詞と他動詞があります。
「ドアを開ける。」
「ドアが開く。」 |
他動詞
自動詞 |
のように他動詞には『を』、自動詞には『が』がきます。
全ての動詞が、他動詞と自動詞のペアになっているわけではありませんが・・・・。
もう少しいろいろあるのですが、説明が複雑になるので割愛します。
最近の辞書は、動詞を引くと自動詞か他動詞かが出ています。
たまに辞書を引いてみられるのも、いいんじゃないでしょうか。 |
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日本語指導中に出てきた疑問です。
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信号( )注意する。 |
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足元( )注意する。 |
という文での助詞の使い方ですが、 |
信号に注意する。○ 信号を注意する。× |
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足元に注意する。○
足元を注意する。△ |
となるように思います。
そこで質問ですが、「信号に注意する。」「足元に注意する。」
の『に』の用法はなんでしょうか。
それから、同じ『注意する』でも『信号』の場合は○×になり、
『足元』の場合は○△になるのは、どうしてでしょうか。 |
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『に』の用法は、分類し始めると限りなく細分化されますので、
典型的なもの以外、用法を断言するのはなかなか難しく、
また、分類の仕方にも諸説あるようです。
『に』の用法に、
『動作・作用の向けられる先を表す』といった表現を見たことがあり、
これだとしっくりするように思いますが、
私は簡単に『動作・作用の対象』とかでよいのでは?と思います。
日本語指導の場合、私は「信号を注意する。」「足元を注意する。」はNGにします。
状況によっては、「信号を注意する。」という場合もありますが、それはごく稀な例です。
また「足元を注意する。」は、やや違和感があっても「まぁ、使うかな?」とは思いますが、
本来『に』を使うべきところの誤用が、定着しかかっているものではないかという気がします。
日本語学習者さんには、『〜に注意する』と覚えてもらうのが、混乱が少ないように思います。 |
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私は、韓国で日本語を教えています。(講師歴3年)です。
先日学生から
「政府機関」「政府の機関」の2つは意味は同じなのに、
どうして「の」が入るときと入らないときがあるのですか。
という質問をもらいました。
例えば、
牛肉、豚肉、鶏肉・・・でも「馬の肉」や「犬の肉」
(韓国は犬の肉を食べるのでよく使います)
は、どちらかというと「の」を入れて使うことが多いように思います。
所属関係 所有格 |
:
: |
「学校の教室」 「学生の教科書」 |
や などは必ず「の」が必要だと思うのですが、 |
内容説明 同格 |
:
: |
「野菜のスープ」 「日本の首都の東京」 |
→ → |
「野菜スープ」 「日本の首都東京」 |
などは「の」をとっても大丈夫のようです。
文法的にはっきりした定義があれば教えていただきたいと思い
メールさせていただきました。
どうぞよろしくお願いします。 |
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「野菜のスープが好きです。」と「野菜スープが好きです。」を較べた場合、
『の』が入っている方が、野菜に対する拘りがやや強いかな?とも思います。
肉のスープは嫌いだけど、野菜のスープは好きだ!とか言うーーー。
うーーん、でもどうかな?
あと考えられることは、例えば『カツカレー』とかのように、
既に一語として認知されてい場合です。
『カツのカレー』とも言いません。
一語として認知されているかどうかの認知度が低い場合、
『の』が入ったり、入らなかったりするのでしょうね。
同格の場合ですが、
『偽物のダイヤ』を『偽物ダイヤ』にするとおかしいけれど、
『偽のダイヤ』を『偽ダイヤ』にしてもおかしくないですよね。
などと考えると、結局、規則とかではなくて、
一語として認知されているかどうかの問題のように思えます。 |
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163 |
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いろいろと考えて、
「タイミング」が「判断する」に係るなら
「○○のタイミングに○○を判断する」 △
「○○のタイミングで○○を判断する」 ○
というように「で」の方がいいように感じに思いました。
一方、タイミングを日本語の翻訳である「時機」にすると
「○○の時機に○○を判断する」 ○
「○○の時機で○○を判断する」 △〜×
というように「に」の方が言いように感じました。
外来語と日本語では、助詞の使い方が変わることはあるのでしょうか? |
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助詞の使い方が変わるというよりも、
外来語と日本語とでは ニュアンスが違い、意味も微妙に違うように思います。
例えば、日本人が母親を『ママ』と呼ぶときと
『お母さん』と呼ぶときとでは、
何となく想像する母親像が違います。
お示しの文例で『タイミング』を『時機』に置き換えるかな?とも思います。
例えば私が『時機』という言葉を使うときは、
『時機に遅れる』とか、『時機にかなう』とか、
『時機である/ない』とかです。
『タイミングに遅れる』 『タイミングにかなう』は、私は使いません。
『タイミングである/ない』は、使うこともあるような気がします。
つまり、私は『タイミング』と『時機』を使い分けているということです。
しかし、もし文例のように『タイミング』を『時機』に置き換えるとすれば、
おっしゃるように 、私も「○○の時機に○○を判断する。」にするでしょうね。
これは、『時期』という言葉の使い方の影響を、受けているからかもしれません。 |
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(1)「○○のタイミングに○○を判断する」
と書いていたところヘンだといわれました。
(2)「○○のタイミングで○○を判断する」
と書くべきだといわれました。
(3)「10時に○○を判断する」とは言いますが
(4)「10時で○○を判断する」とは普通言いません。
上の場合は「に」を使うとヘンなのでしょうか?
そうだとすると、下の例との違いはどこにあるのでしょうか?
所定のタイミングがどの語(句)を修飾するか(掛かる)により
タイミングに付く助詞が変わるように思いました。
(1)の場合、
「所定のタイミングに」が「所定の条件を満たすか否か」
を修飾するならOKで、
「所定のタイミングに」が「判断する」に掛かるならNG
(2)の場合、
「所定のタイミングで」が「所定の条件を満たすか否か」
を修飾するならNGで、
「所定のタイミングで」が「判断する」に掛かるならOK
のように考えればいいように思いました。
そうすると(1)、(2)はいずれでも良いことになるのでしょうか。
それとも(1)はヘンなのでしょうか? |
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『時刻』というものは、絶対的なものです。
絶対的なものというは、 つまり、例えば、2007年11月10日の午後10時とか
「毎朝6時に起きる。」の6時とかで、それは不動のものです。
『時刻』に使う助詞は『に』です。
それに反し、『タイミング』というのは流動的なもので、いつその状態になるか分かりません。
そういう点で『時刻』とは基本的には違うと思います。
助詞は、例えば、時刻の『に』や道具の『で』のように
接続する名詞によって決まっていると考えるものと、
後続の動詞によって決まってくると考えるものとがあります。
しかし、実際にはこの両方が混ざっているので、難しいのだと思います。
「抽選会は午後4時『に』終了します。」
接続する名詞のよって決まっています。
抽選会が終了する時刻をピンポイントで述べています。
「抽選会は午後4時『で』終了します。」
後続する動詞によって決まっています。
4時までは、抽選会が継続していることを述べています。
「所定のタイミングに所定の条件を満たす。」
「所定のタイミングで所定の条件を判断する。」は、どちらもOKだと思います。
つまり後続する動詞によって、助詞が決まってくる例です。
「○○のタイミングに○○を判断する。」は、私も違和感があります。
『に』でも『で』でも良いということではないと思います。 |
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日本語教師を目指して勉強中です。
助詞「に」は、「4時に始まる」「4時に終わる」ともいえるが、
助詞「で」は「4時で終わる」とはいえても、
「4時で始まる。」とはいえないのは何故か.
という質問です。
自分なりに考えました。
「に」という助詞は、時間を表す助詞で
英語で言うIn,at,from,on などを意味するから、
動詞が「始まる」であろうと、「終わる」であろうと使える。
「で」助詞は、継続していた動作が終わるときに使われる助詞なので、
終わるはよくても、始まるは、使えない。
でも、なんだか、ピンときません。 |
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おっしゃるとおりだと思いますが、
日本語を考えるとき、日本語以外の言語のフィルターを通して考えるのは、
私個人の考えですが、プラスにならないかもしれません。
私は、日本語は日本語だけを見つめて思考するようにしています。
ご質問の件は、私の言葉で言いますと、次のようになります。 「4時に終わる。」の『に』は、終わる『時』を、
「4時で終わる。」の『で』は、継続している限度を表します。
「4時に始まる。」の『に』は、始まる『時』を表しますが、
「4時で始まる。」の『で』は、『始まる』という動詞の性格上、
継続している限度を表せないのでNGとなります。 |
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