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 形容詞関連(2)
日本語教育の世界では、形容詞をイ形容詞、形容動詞をナ形容詞と呼びます。
ここでは、日本語教育の現場で使う言葉も使います。
南 田
中 国
日本語歴:5年半
20
「私の部屋は大きいです。しかし、あまり(きれい)ではありません。」
「きれい」という言葉には「美しい」と「清潔」二つの意味がありますが、
この文の中の[きれい」ってどういう意味?
これだけでは分かりません。いろいろなケースが考えられます。
「わたしの部屋は、きれいではありません。ゴキブリがいます。」
「わたしの部屋は、きれいではありません。壁紙が痛んでいます。」
「わたしの部屋は、きれいではありません。すごく散らかっています。」等

ゆ う
日 本
19
「同じ」という単語の品詞なんですが、形容詞でいいんで すか?
形容詞ならば「い形容詞」と「な形容詞」どちらにあたるんでしょうか?
それ ともどちらにも属さない形容詞の例外ですか?
もしこれが形容詞の例外なら、
他にも このような例外が他にあるのでしょうか?
元々は、イ形容詞で『同じい』だったと聞いたことがありますが、
現代ではナ形容詞として扱うか副詞として扱うかだと思います。
どっちにしても、変形の用法を当てなければならないので、 困りますね。

教えるときは、「諸説あるけれど私はこう思う。」と いうしかないように思います。
『同じ』は、品詞が特定しにくいということで、
どこかの文法書に出ているのを、見たことがあるような気がします。
同類の例外用法を持つものは、今のところ思いつきません。
これから気にしていきますが、皆さまも発見されたら教えて下さい。

ゆ う
日 本
18
おもしろい本を読む。 この本はおもしろい。

一つ目の文では「おもしろい」は「本」を修飾していて、
二つ目の方は「おもしろい」は「本」を修飾していないとおもいます。
もし私のこの考えがあっていたら、二つ目の「おもしろい」は
どういう働きをしているのでしょうか?
英語の文法のように「補語」といっていいんですか?
アメリカ人の他の日本語の教師はどちらの「おもしろい」も
「本」を修飾していると言い張って
私の意見を聞こうともしてくれませんでした。。。
私は おもしろい本を 読む。
という動詞述語文の主語が抜けると、「おもしろい本を読む。」となりますが、
隠れてしまっている主語の存在を意識しなければなりませんね。
『おもしろい』は、『本』を修飾しています。
この本は おもしろい(です)。
この文はイ形容詞文で、『おもしろい』は、このイ形容詞文の述語になっています。

名詞(述語)文、形容詞(述語)文、動詞(述語)文の3パターンは
日本語学習の基礎ですから、とても大切だと思います。

そ ら
日 本
17
ヨハン・シュトラウスの作品に
An der schonen, blauen Donauuという名曲がありますが、
日本語訳として「美しく青きドナウ」と「美しき青きドナウ」という
2種類があります。

大辞林や広辞林にも載っているので
「美しく青きドナウ」は文法として間違っていないように思いますが、
「美しく青きドナウ」の「美しく」は連用形になっており、
ドナウを直接修飾せず、文法的に誤りだという話もあります。
(「美しき青きドナウ」が文法的に正しい日本語という説)
この「美しく青きドナウ」は文法的に間違っているのでしょうか?
中学校の音楽の時間に『美しき青きドナウ』と習った記憶があって、
それが染み付いています。
『美しく青きドナウ』というのは、初耳です。
ちょっと考えてみて、これも良いのではないかと思いました。
『美しく(流れる)青きドナウ』の省略ではないかとーーー。
『美しき青きドナウ』は、静的な印象があり、 『美しく青きドナウ』は、動的な印象があります。
限られた字数の中で、美しさの中にも力強さが感じられて
私には『美しく青きドナウ』もなかなかの名訳に思えます。

しかし、文法的に間違いかどうかということになれば、
どういう文法論を採択するかで、意見は分かれるでしょうね。

 荒海や 佐渡に横たふ 天の川
この俳句は、文法的に誤りだけれど、
誤りであってもこの表現が素晴らしい!ということもあります。
表現したいことに、より説得力を持たせるためには、
文法から外れることがあって良いと思います。

直純 西村さんからご意見をいただきました。
私見では、形容詞「美し」の連用形「美しく 」が、次に来る形容詞「青し」を修飾します。
ただ単に青いの でなく、美しく青いのです。
「青し」は連体形「青き」となっ て「ドナウ」にかかります。
問題は、形容詞にかかる副詞が、 「とても」「かすかに」といった程度副詞でなく
状態を示す状態副詞であり得るか、ということだと思っています

黒瀬さんからコメントをいただきました。
私は趣味でクラシック音楽を弾いております。

「美しく青きドナウ」は(文法的には専門家でないのでわかりませんが)
「美しき」は音楽の世界では誤りです。
よく,(プロの音楽会でない)プログラムなどで
「美しき青きドナウ」と書いてあることがありますが,
記載した人の気持ちはわかりますし「美しき」では誤りではないかと
思われるのも理解できます。

しかし,「美しき」にすると演奏家にとっても非常に失礼になる誤り
(少なくとも音楽界の常識では)なのです。
恐らく,「美しく」そして「青い」ドナウ,という意味で,
その昔,最初にそのように訳されたのではないのでしょうか。
原語は独語:An der schonen, blauen Donauで(私はドイツ語はダメです),
歌の始めはDonau so blau, so schon und blauです。
今は歌われるより演奏される方が多いですが,
コンサートでも,CDなどでも,かならず「美しく」になっています。

ポン太
日 本
16
形容詞、形容動詞にはなぜ命令形がないのですか?
形容詞も形容動詞も状態等を表す言葉で、動作を表すものではありません。
命令形は、動作を表す言葉にあるものです。
もし形容詞と形容動詞を命令形にするならば、『する』『なる』『いる』等の助けが必要です。
明るい
優しい
大人しい


明るくしろ
優しくなれ
大人しくしていろ
静か
親切
きれい


静かにしろ
親切になれ
きれいでいろ

矢 後
日 本
15
形容詞「気持ち悪い」と「気色悪い」の意味の違いについて
辞書で意味の確認してみたところ、
どの辞書にも「気持ち悪い」「気色悪い」での表記はされておらず、
「気持 ち」「気色」という名詞の形で載っていました。
私は「気持ち悪い」や「気色悪い」が1つの語だと思っていたので、
これらが名詞の形で辞書に載っていたことに驚きました。
しかし実際には、どちらも形容詞として使われている気がします。
そこで質問なのですが、「気持ち悪い」「気色悪い」という言葉は、
1語の形容詞という扱いをしてよいものなのでしょうか。
それとも、「気持ちが悪い」「気色が悪い」というふうに、
名詞+形容詞「悪い」という複合語としてとらえるべきなのでしょうか。
私としては、「実際に形容詞として1語で使っている」という理由から、
これらは形容詞として扱うべきであり、
辞書にも1語で掲載す べきだと考えています。
職業柄、日本語を学ぶ学習者さんにとって理解しやすいようにと考えて、
『気持ち』+『悪い』で教えています。
でも、日本語の文法は学者の数だけ種類があると言われており、
『気持ち悪い』を一語の形容詞だと考えても良いと思います。

辞書というものは、著者あるいは著者のグループの個人的見解 も含まれています。
もちろん、辞書を編纂する人は、なるべく普遍的であろうと 努力はしているでしょうが、
でも個人的見解が入っています。
ですから、例えばの話、矢後さんが将来辞書をお作りになるようなことがあったとき、
『気持ち悪い』や『気色悪い』を形容詞として扱っても かまわないと思います。

ただ、ここで問題になるのは、そういう扱いにすると語数がどんどん増えていくことです。
辞書の大きさにもよりますが、どの語を加えてどの語を外すかは とても大切なことです。
そういうこともあって、こういう扱いになっているのではと思います。
『気持ち悪い』や『気色悪い』を形容詞にしたら
『気分悪い』や『機嫌悪い』はどうするかということになって たいへんです。
形容詞の問題だけでなく、例えば漢語動詞を
全て辞書に載せるとすれば、たいへんな字数になりますね。

mako
日 本
14
私は小学校教師で、現在3年生を担任しています。
その、3年生の国語の中で修飾語の学習をし、テストを行いました。
その中に、 「(  )犬が走っていった。」 という文で、
どんな犬かが分かるように修飾語を(  )に書くという問題が出ました。
回答例には「小さな」と書いてありました。
しかし、子どもの回答を見ていくと、
「元気な犬が・・・」 「黒と白の模様の犬が・・・」
といった回答が幾つかあったのです。
私は授業の中で、形容詞、副詞で修飾することを指導したのですが、
子どもの多種多様な答えを見ている内に、修飾語ってなに?
という疑問が出てきたのです。
先にあ げた子どもの回答のうち、
「元気な」は修飾語、「黒と白の模様の」は修飾語ではないように思います。
でも、文章としておかしくはないので、
×にしてよいものか、 迷ってしまったのです。
修飾語の定義とはなにか、教えていただけたら幸いです。
名詞を修飾する場合について、ご回答致します。
名詞を修飾するということは、その名詞を説明するということです。
名詞を修飾するのは、『形容詞』『形容動詞』『名詞』『連体詞』です。
動詞が名詞を修飾することもあります。

形容詞
形容動詞
名詞
連体詞
大きい犬、赤い花
きれいな花、静かな町
ピンクのリボン、山の頂上
大きな犬、あらゆる文献
(『い』で繋ぎます)
(『な』で繋ぎます)
(『の』で繋ぎます)
動詞・連体形
動詞・た形
動詞・ている形
食べる前に、彼に会うとき
太った犬、彼に会ったとき
太っている犬、彼に会っているとき

日本語教育の現場では、
『形容詞』を『イ形容詞』、 『形容動詞』を『ナ形容詞』と呼んでいます。
国文法とは違った考え、どちらも形容詞だとして指導しています。
『大きい』と『大きな』の違いですが、
『大きい』は活用しますが、『大きな』は活用しません。
活用しないので『連体詞』と呼びます。
同じ『○○な』という形であっても、連体詞は活用しませんし、形容動詞は活用します。

「小さな犬」は連体詞を使ったもの。
「元気な犬」は形容動詞を使ったもの。
「黒と白の模様の犬」は名詞を使ったもの。
どれも正解だと思います。

みかん
日 本
13
私は現在,大学のゼミで言語学の勉強をしています。この間、
ゼミで「『赤い鉛筆』と『赤鉛筆』、『長いズボン』と『長ズボン』などの違いを、
日本語を学んでいる外国人にもわかるように説明しなさい」
というレポート課題が出されました。
はっきり言って私にはさっぱりわかりません。是非教えてください。
『赤鉛筆』と『長ズボン』は、それぞれその機能について、
『赤い鉛筆』と『長いズボン』は、それぞれその外観について 述べています。
『赤鉛筆』は、芯が赤い鉛筆ですが、
『赤い鉛筆』は、まわりは赤いけれど 芯も赤いかどうかは分かりません。
『ズボン』についても同様な説明ができると思います。
お考えになって下さい。

ペリアン
インドネシア
日本語歴:不明
12
白い洋服  白い色の洋服  白色の洋服
このちがいはなんなのでしょうか わかりません。
この3っつですが、意味には違いがないということでOKです。
どれも『洋服が白い』と言っています。
でも、『白い洋服』が一番普通に使われます。
『白い色の羊服』も使うことがあるかもしれません。
『白色の洋服』は、意味は分かっても使わない言葉です。

『白色』は、それだけではあまり使わない言葉ですが、
『白色レグホン』(ニワトリの種類)とか、『乳白色』とかで使います。

か よ
日 本
11
”じゅうぶん”と”たっぷり”の使い分けについて

家から会社まで30分もあれば(  )だ。
     ・・・”たっぷり”はどうしてだめなんですか?
『じゅうぶん』は、ある程度の余裕があるとき使われ、
『たっぷり』は、かなり余裕があるときに使われます。
つまり、余裕の程度が違います。
「家から会社まで30分もあればじゅうぶんだ。」 と聞くと、
ああ、所要時間は25分くらいかなと思います。
「家から会社まで30分あればたっぷりだ。」 と『も』を抜けば、文章としてOKになり、
所要時間は、20分くらいかなと思います。

文法書によれば、『も』は詠嘆の係助詞です。
かよさんの例文の場合、数量を際立たせる役目をしているように思います。
「家から会社まで30分もあればじゅうぶんだ。」と言うときは、分脈にもよりますが、
家から会社まで近いでしょう?ちょっとびっくりでしょう?という気持ちが入ったりします。
『たっぷり』を使うことで、『30分』という所要時間がボケてくるので、
『も』を使う意味がなくなってくるのでは、ないでしょうか。

びんさんからご意見をいただきました。
『じゅうぶん』は、『分を充たす』の文字通り、
「必要な分量があらかじめ決まっている」場合に、私は使います。
『たっぷり』は、より主観的な表現ではないでしょうか?
ですから、 「家から会社まで30分あればたっぷりだ。」とは、私は云いません。



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