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形容詞関連(2)
日本語教育の世界では、形容詞をイ形容詞、形容動詞をナ形容詞と呼びます。
ここでは、日本語教育の現場で使う言葉も使います。 |
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「私の部屋は大きいです。しかし、あまり(きれい)ではありません。」
「きれい」という言葉には「美しい」と「清潔」二つの意味がありますが、
この文の中の[きれい」ってどういう意味? |
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これだけでは分かりません。いろいろなケースが考えられます。
「わたしの部屋は、きれいではありません。ゴキブリがいます。」
「わたしの部屋は、きれいではありません。壁紙が痛んでいます。」
「わたしの部屋は、きれいではありません。すごく散らかっています。」等 |
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「同じ」という単語の品詞なんですが、形容詞でいいんで
すか?
形容詞ならば「い形容詞」と「な形容詞」どちらにあたるんでしょうか?
それ ともどちらにも属さない形容詞の例外ですか?
もしこれが形容詞の例外なら、
他にも このような例外が他にあるのでしょうか? |
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元々は、イ形容詞で『同じい』だったと聞いたことがありますが、
現代ではナ形容詞として扱うか副詞として扱うかだと思います。
どっちにしても、変形の用法を当てなければならないので、
困りますね。
教えるときは、「諸説あるけれど私はこう思う。」と
いうしかないように思います。
『同じ』は、品詞が特定しにくいということで、
どこかの文法書に出ているのを、見たことがあるような気がします。
同類の例外用法を持つものは、今のところ思いつきません。
これから気にしていきますが、皆さまも発見されたら教えて下さい。 |
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おもしろい本を読む。 この本はおもしろい。
一つ目の文では「おもしろい」は「本」を修飾していて、
二つ目の方は「おもしろい」は「本」を修飾していないとおもいます。
もし私のこの考えがあっていたら、二つ目の「おもしろい」は
どういう働きをしているのでしょうか?
英語の文法のように「補語」といっていいんですか?
アメリカ人の他の日本語の教師はどちらの「おもしろい」も
「本」を修飾していると言い張って
私の意見を聞こうともしてくれませんでした。。。 |
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という動詞述語文の主語が抜けると、「おもしろい本を読む。」となりますが、
隠れてしまっている主語の存在を意識しなければなりませんね。
『おもしろい』は、『本』を修飾しています。
この文はイ形容詞文で、『おもしろい』は、このイ形容詞文の述語になっています。
名詞(述語)文、形容詞(述語)文、動詞(述語)文の3パターンは
日本語学習の基礎ですから、とても大切だと思います。 |
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ヨハン・シュトラウスの作品に
An der schonen, blauen Donauuという名曲がありますが、
日本語訳として「美しく青きドナウ」と「美しき青きドナウ」という
2種類があります。
大辞林や広辞林にも載っているので
「美しく青きドナウ」は文法として間違っていないように思いますが、
「美しく青きドナウ」の「美しく」は連用形になっており、
ドナウを直接修飾せず、文法的に誤りだという話もあります。
(「美しき青きドナウ」が文法的に正しい日本語という説)
この「美しく青きドナウ」は文法的に間違っているのでしょうか? |
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中学校の音楽の時間に『美しき青きドナウ』と習った記憶があって、
それが染み付いています。
『美しく青きドナウ』というのは、初耳です。
ちょっと考えてみて、これも良いのではないかと思いました。
『美しく(流れる)青きドナウ』の省略ではないかとーーー。
『美しき青きドナウ』は、静的な印象があり、
『美しく青きドナウ』は、動的な印象があります。
限られた字数の中で、美しさの中にも力強さが感じられて
私には『美しく青きドナウ』もなかなかの名訳に思えます。
しかし、文法的に間違いかどうかということになれば、
どういう文法論を採択するかで、意見は分かれるでしょうね。
荒海や 佐渡に横たふ 天の川
この俳句は、文法的に誤りだけれど、
誤りであってもこの表現が素晴らしい!ということもあります。
表現したいことに、より説得力を持たせるためには、
文法から外れることがあって良いと思います。
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直純 西村さんからご意見をいただきました。 |
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私見では、形容詞「美し」の連用形「美しく
」が、次に来る形容詞「青し」を修飾します。
ただ単に青いの でなく、美しく青いのです。
「青し」は連体形「青き」となっ て「ドナウ」にかかります。
問題は、形容詞にかかる副詞が、 「とても」「かすかに」といった程度副詞でなく
状態を示す状態副詞であり得るか、ということだと思っています。
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黒瀬さんからコメントをいただきました。 |
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私は趣味でクラシック音楽を弾いております。
「美しく青きドナウ」は(文法的には専門家でないのでわかりませんが)
「美しき」は音楽の世界では誤りです。
よく,(プロの音楽会でない)プログラムなどで
「美しき青きドナウ」と書いてあることがありますが,
記載した人の気持ちはわかりますし「美しき」では誤りではないかと
思われるのも理解できます。
しかし,「美しき」にすると演奏家にとっても非常に失礼になる誤り
(少なくとも音楽界の常識では)なのです。
恐らく,「美しく」そして「青い」ドナウ,という意味で,
その昔,最初にそのように訳されたのではないのでしょうか。
原語は独語:An der schonen, blauen Donauで(私はドイツ語はダメです),
歌の始めはDonau so blau, so schon und blauです。
今は歌われるより演奏される方が多いですが,
コンサートでも,CDなどでも,かならず「美しく」になっています。 |
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形容詞、形容動詞にはなぜ命令形がないのですか? |
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形容詞も形容動詞も状態等を表す言葉で、動作を表すものではありません。
命令形は、動作を表す言葉にあるものです。
もし形容詞と形容動詞を命令形にするならば、『する』『なる』『いる』等の助けが必要です。
明るい
優しい
大人しい |
→
→
→ |
明るくしろ
優しくなれ
大人しくしていろ |
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静か
親切
きれい |
→
→
→ |
静かにしろ
親切になれ
きれいでいろ |
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形容詞「気持ち悪い」と「気色悪い」の意味の違いについて
辞書で意味の確認してみたところ、
どの辞書にも「気持ち悪い」「気色悪い」での表記はされておらず、
「気持 ち」「気色」という名詞の形で載っていました。
私は「気持ち悪い」や「気色悪い」が1つの語だと思っていたので、
これらが名詞の形で辞書に載っていたことに驚きました。
しかし実際には、どちらも形容詞として使われている気がします。
そこで質問なのですが、「気持ち悪い」「気色悪い」という言葉は、
1語の形容詞という扱いをしてよいものなのでしょうか。
それとも、「気持ちが悪い」「気色が悪い」というふうに、
名詞+形容詞「悪い」という複合語としてとらえるべきなのでしょうか。
私としては、「実際に形容詞として1語で使っている」という理由から、
これらは形容詞として扱うべきであり、
辞書にも1語で掲載す べきだと考えています。 |
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職業柄、日本語を学ぶ学習者さんにとって理解しやすいようにと考えて、
『気持ち』+『悪い』で教えています。
でも、日本語の文法は学者の数だけ種類があると言われており、
『気持ち悪い』を一語の形容詞だと考えても良いと思います。
辞書というものは、著者あるいは著者のグループの個人的見解
も含まれています。
もちろん、辞書を編纂する人は、なるべく普遍的であろうと
努力はしているでしょうが、
でも個人的見解が入っています。
ですから、例えばの話、矢後さんが将来辞書をお作りになるようなことがあったとき、
『気持ち悪い』や『気色悪い』を形容詞として扱っても
かまわないと思います。
ただ、ここで問題になるのは、そういう扱いにすると語数がどんどん増えていくことです。
辞書の大きさにもよりますが、どの語を加えてどの語を外すかは
とても大切なことです。
そういうこともあって、こういう扱いになっているのではと思います。
『気持ち悪い』や『気色悪い』を形容詞にしたら
『気分悪い』や『機嫌悪い』はどうするかということになって
たいへんです。
形容詞の問題だけでなく、例えば漢語動詞を
全て辞書に載せるとすれば、たいへんな字数になりますね。 |
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私は小学校教師で、現在3年生を担任しています。
その、3年生の国語の中で修飾語の学習をし、テストを行いました。
その中に、 「( )犬が走っていった。」
という文で、
どんな犬かが分かるように修飾語を( )に書くという問題が出ました。
回答例には「小さな」と書いてありました。
しかし、子どもの回答を見ていくと、
「元気な犬が・・・」 「黒と白の模様の犬が・・・」
といった回答が幾つかあったのです。
私は授業の中で、形容詞、副詞で修飾することを指導したのですが、
子どもの多種多様な答えを見ている内に、修飾語ってなに?
という疑問が出てきたのです。
先にあ げた子どもの回答のうち、
「元気な」は修飾語、「黒と白の模様の」は修飾語ではないように思います。
でも、文章としておかしくはないので、
×にしてよいものか、 迷ってしまったのです。
修飾語の定義とはなにか、教えていただけたら幸いです。
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名詞を修飾する場合について、ご回答致します。
名詞を修飾するということは、その名詞を説明するということです。
名詞を修飾するのは、『形容詞』『形容動詞』『名詞』『連体詞』です。
動詞が名詞を修飾することもあります。
例 |
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形容詞
形容動詞
名詞
連体詞 |
大きい犬、赤い花
きれいな花、静かな町
ピンクのリボン、山の頂上
大きな犬、あらゆる文献 |
(『い』で繋ぎます)
(『な』で繋ぎます)
(『の』で繋ぎます) |
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動詞・連体形
動詞・た形
動詞・ている形 |
食べる前に、彼に会うとき
太った犬、彼に会ったとき
太っている犬、彼に会っているとき |
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日本語教育の現場では、
『形容詞』を『イ形容詞』、
『形容動詞』を『ナ形容詞』と呼んでいます。
国文法とは違った考え、どちらも形容詞だとして指導しています。
『大きい』と『大きな』の違いですが、
『大きい』は活用しますが、『大きな』は活用しません。
活用しないので『連体詞』と呼びます。
同じ『○○な』という形であっても、連体詞は活用しませんし、形容動詞は活用します。
「小さな犬」は連体詞を使ったもの。
「元気な犬」は形容動詞を使ったもの。
「黒と白の模様の犬」は名詞を使ったもの。
どれも正解だと思います。
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私は現在,大学のゼミで言語学の勉強をしています。この間、
ゼミで「『赤い鉛筆』と『赤鉛筆』、『長いズボン』と『長ズボン』などの違いを、
日本語を学んでいる外国人にもわかるように説明しなさい」
というレポート課題が出されました。
はっきり言って私にはさっぱりわかりません。是非教えてください。 |
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『赤鉛筆』と『長ズボン』は、それぞれその機能について、
『赤い鉛筆』と『長いズボン』は、それぞれその外観について
述べています。
『赤鉛筆』は、芯が赤い鉛筆ですが、
『赤い鉛筆』は、まわりは赤いけれど
芯も赤いかどうかは分かりません。
『ズボン』についても同様な説明ができると思います。
お考えになって下さい。 |
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白い洋服 白い色の洋服 白色の洋服
このちがいはなんなのでしょうか
わかりません。 |
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この3っつですが、意味には違いがないということでOKです。
どれも『洋服が白い』と言っています。
でも、『白い洋服』が一番普通に使われます。
『白い色の羊服』も使うことがあるかもしれません。
『白色の洋服』は、意味は分かっても使わない言葉です。
『白色』は、それだけではあまり使わない言葉ですが、
『白色レグホン』(ニワトリの種類)とか、『乳白色』とかで使います。 |
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”じゅうぶん”と”たっぷり”の使い分けについて
家から会社まで30分もあれば( )だ。
・・・”たっぷり”はどうしてだめなんですか? |
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『じゅうぶん』は、ある程度の余裕があるとき使われ、
『たっぷり』は、かなり余裕があるときに使われます。
つまり、余裕の程度が違います。
「家から会社まで30分もあればじゅうぶんだ。」
と聞くと、
ああ、所要時間は25分くらいかなと思います。
「家から会社まで30分あればたっぷりだ。」
と『も』を抜けば、文章としてOKになり、
所要時間は、20分くらいかなと思います。
文法書によれば、『も』は詠嘆の係助詞です。
かよさんの例文の場合、数量を際立たせる役目をしているように思います。
「家から会社まで30分もあればじゅうぶんだ。」と言うときは、分脈にもよりますが、
家から会社まで近いでしょう?ちょっとびっくりでしょう?という気持ちが入ったりします。
『たっぷり』を使うことで、『30分』という所要時間がボケてくるので、
『も』を使う意味がなくなってくるのでは、ないでしょうか。
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びんさんからご意見をいただきました。 |
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『じゅうぶん』は、『分を充たす』の文字通り、
「必要な分量があらかじめ決まっている」場合に、私は使います。
『たっぷり』は、より主観的な表現ではないでしょうか?
ですから、 「家から会社まで30分あればたっぷりだ。」とは、私は云いません。 |
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