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 形容詞関連(3)
日本語教育の世界では、形容詞をイ形容詞、形容動詞をナ形容詞と呼びます。
ここでは、日本語教育の現場で使う言葉も使います。
古 川
日 本
30
私は、ある研究機関に勤めている研究者です。
海外の研究者が滞在するので、
しばしば日本語と他の言語の違いを話題にすること があります。

今日、"赤いです" という日本語は正しくないけれども、
実際に は使われている日本語ですよ、と教えたところ、
先生からはそのような言い 方は
(正しい日本語として)最初のころに習った、と言っていました。

樹さんの Page にも "太いです" などの言葉が、
特に断りなく出てくるようですが、
文法的には誤りだが、実用上は問題無いから、という解釈なのでしょうか。
それとも、"赤いです" はすでに日本語の文法のうちなのでしょうか。
その場合の "赤い" の活用はどのように解釈すればいいのでしょうか。
日本語を勉強している外国人に示す『正しい日本語』というものは、
それぞれの日本語教師の判断も含まれるものであって、
全ての日本語教師に、必ずしも一致する見解があるとは限りません。
むしろ、あらゆることに諸説あると考えた方が良いと思います。

日本人にとって正しい日本語とはどういうものなのでしょうか。
これに対する共通見解もなかなか見つからないものです。

日本人が学習する国文法(学校文法)と、
外国人が日本語を学習するときに学ぶ日本語文法とは、『似て非なるもの』です。
日本語文法は、日本語学習者の負担を軽減させる智恵と工夫がこめられていますが、
国文法に諸説あるように 日本語文法も諸説あります。

私は日本語指導するとき、 『形容詞述語文』というものを設定していて、
『(  )は(形容詞)です。』という文型をOKにしています。
これを、おかしいという意見もあると思います。
完全な統一見解はありませんので、 自分の判断で指導するしかありません。

既に日本語を学習してきた学習者さんにたいしては、
どのように学んできたかに注意を払って、混乱しないように指導します。
学習者さんによっては、私の説明が異なることもあります。

『赤い』の活用ですが、次のように指導しています。
丁寧形
普通形

赤いです
赤い
赤くないです
赤くない
赤かったです
赤かった
赤くなかったです
赤くなかった


あんず
日 本
29
中学生の弟の学力テストにおける問題より、疑問を持ったので、
ぜひ専門の 先生から納得のいくご意見をいただけたらと思います。

私は「非常だ」という形容動詞の存在はどうしても納得できないのですが、
「非常 だ」という形容動詞は存在するのでしょうか?
仮に存在するとしたら、「非常に」という場合、
これは副詞と考えるべきなのか、
形容動詞の連用形と考えるべきなのか、迷うところです。
そもそも、形容動詞がある場合は
その連用形の形で同時に副詞が存在することは無いのではないでしょうか?
実際、広辞苑その他の辞書をひいてみると、
『非常-に』は副詞という記載があります。
私も「非常に」が副詞であるのは間違いないと思います。
ところが、名詞『非常』の用法例として
「非常な暑さ」とか「非常な速さ」と記載されている本もありました。
この「非常な」はどう説明するのでしょうか?
考えられるのは(存在するのならば)形容動詞の連体形とする、
無理やり連体詞とする、
名詞 「非常」+断定の助動詞「だ」の(数少ない)連体形あたりでしょうか?
ただ、最後の説明は自分でも苦しいと思います。
私は、 『非常に』が副詞だということを前提とすると、
形容動詞の存在はほぼ不可能なので、
『非常な』は連体詞としたいところです。
以上、まとめると
 ☆『非常に』の品詞は何か。
 ☆『非常な』は文法的にどう説明するのか。
 ☆『非常だ』という形容動詞は存在するのか。
について、ご意見をいただければと思います。
まず最初にお断りしなければならないのは、
学校文法というもの、ある意味○×の規範として設定されているものであって、
日本語の文法とは立場が違うものだということです。
私は学校文法はあまり分からないので、お答えができません。
「学校文法は間違いだらけだ。」おっしゃる方もあるようですが、
専門の方に伺ってご覧になれば、
「学校文法では、このように決まっています。」というお答えがいただけるかと思います。

学校文法を離れた日本語文法の世界では、諸説あります。

私が日本語指導するとき、いつも同じ説明をするわけではありません。
既に日本語を習ってきた学習者さんから確認のための質問を受けたときは、
どのように習ってきたかで、そちらに合わせることもあります。
文法の勉強のための説明というより、使える日本語を学習して貰うためです。

しかし、基本的には次のように説明します。
☆『非常に』の品詞は副詞である。
☆『非常』はナ形容詞(形容動詞)のときと名詞のときとある。
☆『非常だ』という形は存在しない。

tate・yoko
日 本
28
京都は秋が一番美しい
この「美しい」は形容詞ですか?
実は、ドイツ語の教科書に
Kyoto ist im Herbst am schoensten. と書いてあって、
これの訳として「京都は秋が一番美しい」とありました。
でも、am schoenstenのようなam …stenという形の表現は、
教科書によれば「副詞の最上級形」なのです
(amはan という前置詞とdemという冠詞の融合形。
schoenは美しいの意味の単語です)。
ドイツ語では副詞はありますが、
形容詞も時に副詞として文中で用いられます。
日本語訳では「美しい」と形容詞と理解できそうなのですが、
ドイツ語では副詞の最上級形の例文として同じ単語が出てきます。
どうやって理解したらいいですか。どうか教えてください。
理解する一番の方法は、ドイツ語の文法と日本語の文法を
切り離して考えることではないでしょうか。
私たち日本語教師は、学校文法と日本語文法も切り離して考えることもあります。

今回のご質問ですが、日本語の形容詞には連用形というものがあって、
『美しく』とすれば副詞的になります。
「京都は秋が一番美しい。」の『美しい』は形容詞です。

田中さんからコメントをいただきました。
質問者の質問内容に誤りがあります。
ドイツ語文法を引用しつつ、
>am schoenstenのようなam …stenという形の表現は、
>教科書によれば「副詞の最上級形」
と書いてありますが、これは根本的な誤りです。
ドイツ語の形容詞の最上級には2とおりあり、これはそのうちの一方です。
「am …sten」はたしかに副詞の最上級としても用いますが、
少なくとも例文として挙げられています。
>Kyoto ist im Herbst am schoensten
は、形容詞の最上級としての用法です。
ドイツ語には、英語と同様「the + 最上級」に相当するものと、
この「am …sten」との2とおりの最上級形容詞があり、
後者は、あるものを別のものと比較する場合にではなく、
ひとつのものを、ことなる条件下で比較した場合に用いるものです。
例文は「京都は秋がいちばん美しい」(は・が文ですね)の意味になりますが、
これは「京都」というひとつのものを「四季」のなかで個別に比較した表現です。
「春の京都」と「夏の京都」と「秋の京都」と「冬の京都」とを比較したわけです。
京都と奈良と大阪を比較したのであれば、「the + 最上級」を用います。
いかにもドイツ語らしい、理屈っぽい区別です。

マノジ
日 本
27
日本の商社で発電設備の海外輸出をしている日本人です。
昨今の会社経営上のリスクマネージメント強化によって、
社内書類を書くこと(作成すること)が増えています。
そんな中で、契約上の責任の存在を言い表すときに
「一義的」という言葉を多用するのですが、
自分は今まで、 例えば「一義的な責任はA社にある」とすれば、
「後にも先にも責任はA社にしかない」と思っていたのですが、
社内管理部の方々は「順序的にまずはA社に責任はあるが、」と
使用しているように感じます。

【質問】 @
A
本来の正しい意味。
最近の日本語では
上記の例の後者のように使用することがあるのですか?
『一義的』の意味 (1)
(2)
1つの意義しかないこと
第1番の意義であること。一番重要な意義であること。

正直に申しまして、私は会社に勤めた経験がなくて 『一義的』という言葉を使うこともありません。
それで、お答えできるだけの知識がないのですが、 私見を述べさせていただきます。
「一義的な責任はA社にある。」の意味は、 『責任はA社にだけある』だと思います。
根拠はなく、直感的にそう思うということです。

もし、「順序的にまずはA社に責任はある。」 という意味で使うなら、
「第一義的な責任はA社にある。」という具合に 『第』をつけた方が良いかと思います。
しかし、こういう問題は、正しいか正しくないかではなくて 多くの人がどう思うかですね。
共通認識がなければ、言葉はその役割を果たせません。

日本語調査結果(107)]をご覧下さい。

TK
日本(中国)
日本語歴:20年
26
形容詞の名詞化というと、
「重さ」「楽しみ」のように「サ」「ミ」の話になりますが、
「多くの人々」「古くからの友人」「遠くの山」のように、
「ク」形の名詞化もある のではないかと、この頃思っています。
これについて話しを伺いたいです。 よろしくお願いします。
形容詞→ク形→副詞→名詞 と変化したのではないかと思います。
ほんの一握りの形容詞に起こったことですから、
一般には名詞化というより例外として扱われているのではないでしょうか。
古く、多く、遠く、近く
他にあるでしょうか。 お気づきの方は、ご連絡下さい。

JUNKO
日 本
25
今回は、『上手、得意、好き』 上級の生徒がよく混乱します。
明確な説明方法がありますか?

日本人は、謙虚なので、 自分自身の事を話すとき、
本当は得意だが、好きと表現する時が あるかと思うんですが。
私は、料理が好きです。 「謙虚な言い回し」
私は、料理が得意です。 「そのままズバリ!、
しかし自分で得意と言うのは、
おこがましいと言われて、育った私」
これ、私だけですかね?

言葉の意味、そして、話し手、聞き手(第3者) に絞って説明するのが、
良いのではないかと 思うのですが、いまいち上手く説明できません。

(1)話し手(自分自身)のことを話すとき(肯定文)
私は絵が上手です。
私は絵が得意です。

その行為をする事がcomfortable

(2)話し手(自分自身)のことを話すとき(否定文)
私は料理が上手じゃありません。
私は料理(を作るの)がうまくありません。
私は料理が得意じゃありません。


これは私が育った環境のせいかも知れません。
私は自分の事には”じょうず” と言う言葉を全く使わないことに、
今この場で気付きました。

(3)聞き手(第3者)のことを話すとき(肯定文でも否定文でも)
上手
得意

この場合、上手は技術、得意は技術+confidence  ということでしょうか?
これを書いていたら、整理できたのですが。
JUNKOさんのご意見は、ほとんど私と同じなのですが、
私なりにまとめたものを書いてみます。

『上手』と『得意』の主な違いは、
@
A
『上手』は客観的で、『得意』は主観的。
『上手』は純粋に技術の熟達について述べており、
『得意』は技術の熟達についても、頭脳による熟達についても述べる。

(T)話し手(自分自身)について話すとき
私は料理が上手です。
私は料理が得意です。
私は料理が好きです。
(ちょっと言えませんね。)
(人はどう思おうと自分に自信があれば、まぁ、言えるかな。)
(謙虚な言い方で、これだと気軽に言えます。)
まり『好き』を使うとき、私もJUNKOさんのおっしゃっている使い方をするということです。
私は料理が上手じゃないけれど好きです。
私は料理が得意じゃないけれど好きです。
しかし、私は上記のような使い方を1例として、『上手じゃない』『得意じゃない』を使います。
(以下、○×は私の主観です。)
私は数学が上手です。
私は数学が得意です。
私は数学が好きです。
×


(U)聞き手に聞き手のことについて聞いたり話したりするとき
「得意な科目は何ですか。」
「上手な科目は何ですか。」

×
「得意な楽器は何ですか。」
「上手な楽器は何ですか。」

×
「数学が得意ですね。」
「数学が上手ですね。」
×
×
「英会話が得意ですね。」
「英会話が上手ですね。」
×

(V)第3者のことを話すとき
 『上手』も『得意』も技術が高いという意味であまり区別なく使うように思います。
「林さんは数学が得意です。」
「林さんは数学が上手です。」

×
「林さんはピアノが得意です。」
「林さんはピアノが上手です。」


はなこ
アルゼンチン
日本語歴:30年
24



人に教えるのは嫌いではない
料理は苦手ではない
あなたの意見は悪くはない
最近はけいたい電話を持っている小学生も少なくない
というような表現は、
1、好き  2、とくい  3、よい  4、多い
という意味ではないと思うのですが、
実際はどうなのでしょうか。好きと嫌いの間ぐ らい?
苦手ととくいの間ぐらい?
他に同じような言いかたのものはありますか?
そうですねぇ。かなり個人差があるように思います。
でも、私は、好きと嫌いの中間よりは好きに近い、
苦手と得意の中間よりは得意に近い、という気がします。

程度を云々するよりも、
『日本人独特のはっきり物を言わない、ぼかした言い方をする』 ということなんだと思います。
この料理は拙くはない。
昔の日本人男性は、これで精一杯妻を誉めていたんです。
私の祖父はそうでした。

間 瀬
日 本
23
助詞の「の」と「な」の使い分けに関して。
例: 最適のアイデア/最適なアイデア どちらが適切か、
また使い分けの定義などありましたら、お教え願います。

上記例は、企業パンフレットでの一文。
「プロジェクトに最適の(な)アイデアをご提供いたします。」
使い分けは次のようになります。
(名詞)
(形容動詞)
+の+
+な+
(名詞)
(名詞)
雨の夜、山田さんの鞄、リンゴのお菓子
親切な人、きれいなお姉さん、元気な赤ちゃん
『最適』は名詞としても形容動詞としても使われます。
ですから『最適のアイデア』『最適なアイデア』の両方ともOKでしょう。

私見ですが、『最適』は、元々形容動詞であったものが、
名詞にも使われるようになったように思います。
その意味では、『最適なアイデア』の方が違和感を持つ人が 少ないかもしれません。

メィファ
中 国
日本語歴:1年半
22
「結構です」はOKの意味ですか?
または いらない、NO OK の意味ですか?
両方あります。
「このネクタイで結構です。」ーー満足している、問題ない
「コーヒーをもう一杯いかがですか。」 「いいえ、結構です。」ーーこれ以上は不要

沢 矢
日 本
21
私には、「上手」は属性形容詞なのでは?という感覚があるのですが、
でも、教科書(みんなの日本語を使っています)では
「好き」「上手」「わかる」などが同じ課で扱われているので、
やはり感情形容詞かしら?と思ったりします。

「上手」という形容詞の位置ずけについて
お考えを教えていただければとてもうれしく思います。
日本語の文法は諸説あるので、どれが正しくてどれが正しくないとは
なかなか言えないと思うのですが、
私は、属性形容詞/感情形容詞の分類は、イ形容詞だけに適用し、
ナ形容詞には適用していません。

イ形容詞の場合でも、感情形容詞か属性形容詞かという分類はなかなか難しいですね。
例えば、『怖い』ですが、『怖がる』と『〜がる』がつきますので
感情形容詞になると思うのですが、難しい面もあります。

例えば『蛇が怖い』という場合、もし、この蛇が青大将だとすれば、
怖いと思うかどうかは、個人的なもの。だから感情形容詞です。
ガラガラ蛇だとしたら、誰にとっても命にかかわる怖い存在ですから、属性形容詞になります。
青大将は、怖い蛇だ。(?)     ガラガラ蛇は、怖い蛇だ。(○)
つまり、状況によっては、どちらにもなりえるということ。

『上手』はナ形容詞ですが、これを属性形容詞か感情形容詞か仮に分類してみた場合、
どちらの場合もあると思うのです。
日本人の目から見れば(耳から聞けば?)英語の発音が上手な人も
ネイティヴの人の耳には、かなりおかしい、ということもありえます。
『上手』というのは、主観的な見方の場合と客観的な場合と
両方ありえるので、どちらかだと言い切るのは難しいと思います。

属性形容詞か感情形容詞かの議論は難しいので、
特に必要な状況にならないと日本語学習者さんに説明しないという
逃げの指導をしています。



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