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『無用』は『役に立たない』、『不要』は『必要ない』という意味合いが強いので、
やはり「不要なり。」の方が良いように思います。
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永井美材さんから、二度ご意見をいただきました。 |
(1) |
「その決意をもって二心なきことを毘沙門天にむかい誓うは不要なり。」
この台詞では、私も、『不要なり』が自然だと思います。
ただ、『無用』には『天地無用』のように『…してはいけない』という禁止の意味もありますね。
(集英社 国語辞典 第二版 無用のB)
最近、日本郵便や企業からの封書で『転送不要』をよく見かけます。
受取人の受取資格に宛先地での居住が条件付けられている封書なのにです。
(本人限定受取郵便など)
書くなら『転送無用』だと思うのですが。 |
(2) |
「その決意をもって二心なきことを毘沙門天にむかい誓うは不要なり。」
を再考いたしました。
話者が上杉謙信なので、やはり『無用』かと。
語感が与えるイメージも重視しなければなりませんね。
武将ですから威厳と強さといった点で『無用』が適切と判断いたしました。
『フ』より『ム』のほうが鋭さを孕んで聞こえますし。
『心配無用!』もそうだと思います。
『落ち着きが良い』とされた質問者の感性は素晴らしいです。
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ヤコピさんからご意見をいただきました。 |
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どちらが良いかという以前に、台詞が違っています。
「毘沙門天にむかい」ではなく「毘沙門堂にむかい」であり、
更にこの後に「我こそが、 我こそが毘沙門天なり」と続きます。
つまり、わざわざ毘沙門堂に誓う必要などはない、
なぜなら自分こそが毘沙門天だからだ、という檄になります。
もし質問者が、この台詞は神仏に頼る心を戒めたものであり
禁止の意味で「無用」が良いと考えたのなら、
解釈が違っていることになります。
但し、「不要」は明治以降の使われ方なので、
この時代であれば「不用」のほうが適切ですが。 |