「(私は)5年後も日本にいるでしょう。」という例文が
『みんなの日本語』の副読本にあるのですね。
でも、許容の範囲ではありますが、英文を訳した文のようで、私にはやや違和感があります。
『~でしょう』ですが、私は『断言する自信はないけれど、ある程度の確信
がある場合に使う表現』だと思っています。
その場合『専門的知識』の有る無しには、拘りません。
そして『自分自身のことには、あまり使わない』とも思っています。
「5年後も日本に住んでいるでしょうねぇ。」と自分自身に語り掛けている
ような場合だとすれば、違和感がありません。
言葉の表現には個人差(年齢とか、生まれ育った地域とか)が ありますし、
日本語の文法の『きまり』は、物理や化学の『きまり』のようにゆるぎないものではありません。
例外がたくさんある場合もあるのです。
おっしゃっている『きまり』について、実は考えてみたことがありません。
自分自身に『でしょう』を使っている例文をお集めになると、
見えてくるものがあるのではないかと思います。
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