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 文の構成(17)
山 本
日 本
170
日本在住の外国人に日本語を教えています。
ご意見を伺いたくメールしました。

質問は、次のような文で、『だ』が抜けても問題ないか、ということです。
例文: 今度来る学生は、アメリカ人[だ]と聞きました。
保険に入っておけば、安心[だ]と思います。

導入するときは、〔だ〕を入れるように教えているのですが、
だんだん、『だ抜き』になってしまう人がいます。
そういうとき、注意しなくてもいいのか、いや正しい日本語を定着させた方が良いか、
迷ってしまいます。ご意見をお聞かせください。
日本人でも、『だ抜き』は結構ありますね。
民法のアナウンサーの方でも、『だ抜き』を耳にしました。
NHKのアナウンサーの方では、記憶にありません。
今後注意して聞いて見ようと思います。
そのうち、〔だ〕は入れなくても良い、という風に文法が変わるかもしれません。

私も知らず知らずのうちに、『だ抜き』になっているかもしれません。

私は、意味が正しく伝わるのですから、直さなくてもいいのでは、と思います。
ただ、それは学習者さんによることです。
学習者さんが、正しい日本語をきちんと学びたいと思っておられるか、
日本語の学習を負担に思っておられるか、などで違ってきます。

迷 子
日 本
169
私は、近所に住んでいる外国人に頼まれて日本語を教えていますが、
日本語の教え方を勉強したわけではありません。
今まで、特に問題なくやってきたのですが、
先日友人から「日本語の時制は『現在、過去、未来』ではない。」と言われ、
何のことか分からず、急に我流で教えていることが不安になりました。
『現在、過去、未来』ではないとはどういうことか?
また、日本語の教え方を勉強したことがない者が、我流で教えることに
問題があるのかどうか?ご意見をお聞かせ下さい。
このご質問を、どこに入れれば良いか分からなくて、エイヤッとここに入れました。

まず、「日本語の時制は『現在、過去、未来』ではない。」という件ですが、
私も日本語教師養成校と大学院でそう習いました。
考えたら、私が中学・高校の生徒だったころ、『日本語の時制』についてなど、
教わらなかったように思います。
『現在、過去、未来』という考え方は、英語で叩きこまれたのではなかったでしょうか?
もし、興味がおありでしたら、お友だちに詳しく聞いてみて下さい。

『日本語の教え方を勉強したことがない者が、我流で教えること』の是非ですが、
今まで問題なく教えてこられたのなら、問題ないと思います。
北朝鮮に拉致された方の中には、日本語を教えていた方があったと聞いています。
その方たちは、日本語の教え方を勉強なさってはいないでしょうから。
日本語の母語話者であることが、何よりの強みです。

ただ、長く経験を積まれても、日本語学校の先生に採用されることは難しいかも知れません。
日本語学校には、それぞれの教え方がありますが、日本語教師養成校で学んだことが
ベースになっているからです。

カエデ
日 本
168
167の質問回答を読ませていただいて、私も気になっていることを思い出しました。
テレビで耳にしたことですが、『今の現状』という言い回しです。
『今の現状』がこれで良いのなら、『3年前の現状』とか『5年後の現状』という
言い方も正しいのでしょうか?
それとも、そもそも『今の現状』が正しくないということでしょうか?
『文の構成』の中に、このご質問を入れるかどうか、結構迷いましたが、ここに入れることにします。

私は『今の現状』に違和感がありましたが、何度か聞いているうちに、慣れてきてはいます。
でも、私見ですが、『今の現状』よりは、『今の状態』あるいは単に『現状』の方がしっくりします。
そして『3年前の状態』『5年後の状態』の方が良いかとも思います。

いつも思うのですが、【みんなで間違えたら、それが正しい日本語になる。】
いつか、『3年前の現状』『5年後の現状』を普通に使っているときが来るかもしれませんね。


グループA
日 本
167
日本語教師を目指している仲間と勉強会をしています。
先日、『違和感を感じる』や『旅行に行く』は、正しい日本語ではないので、
『違和感がある』『旅行する』と教えるべきだという意見が出て、議論しました。
正しい日本語でなくても、よく日本人が使う表現だから、
直さなくてもいいんじゃないか、というメンバーもありました。

結論は出ませんでしたが、樹さんはどう思われるかお聞きしたいと思います。
中学生だった頃、国語の先生から「言葉を重ねて使うのはよくない。」と教わって、
その時の良くない例文に「源頼朝は、馬から落ちて落馬した。」もありました。
皆大笑いして記憶にしっかり刻まれました。

成人してから、さすがに『馬から落ちて落馬する』は言わないまでも、
私は、『違和感を感じる』『旅行に行く』を、自然と使っていたと思います。
日本語教師を目指していた頃、意識して『違和感がある』『旅行する』と言うように、心掛けていました。
でも、ある著名な日本語教科書に『旅行に行く』を見つけて、何となくホッとしたものです。

今は、『正しい日本語』にあまり拘らなくても良いのでは、と思うようになりました。
日本人が聞いて、正しく意味が伝わって、大きな違和感がなければ構わないということです。
テレビを見ていて、コメントを述べている人のお話の中にも「変だな。」と思うことは多多ありますが、
流石に訓練を受けたアナウンサーの方は、しっかり「違和感を覚えました。」
と話されているのを聞いたことがあります。

あれこれ書きましたが、導入するときは、『違和感がある』『旅行する』と教えて、
そのうち、もし『違和感を感じる』『旅行に行く』になっても、特に直さなくてもよいのでは?と思います。


システム
エンジニア
日 本
166

私は生命保険会社で社内システムを保守しているシステムエンジニアです。
この度不正競争防止法に関する教育を受けたのですが、
教育の中に出てきた条文を読み、日本語の違和感を感じました。
自分で調べても違和感を解消できるような答えがありません。

-----質問内容 ここから-----
不正競争防止法の第十八条に以下のような条文がございます。
「何人も、外国公務員等に対し、国際的な商取引に関して営業上の不正の
利益を得るために、その外国公務員等に、その職務に関する行為をさせ
若しくはさせないこと、又はその地位を利用して他の外国公務員等にその
職務に関する行為をさせ若しくはさせないようにあっせんをさせることを
目的として、金銭その他の利益を供与し、又はその申込み若しくは約束を
してはならない。」

上記条文で使われている「させ若しくはさせない」という表現は、私とし
ては日本語として違和感があります。

言いたいこととしては、「その外国公務員等に、その職務に関する行為を
させないこと」で意味が通じると思うのですが、
あえて「させ若しくは
させない」と記載しているのはどういった意図があると思われますか。

-----質問内容 ここまで-----

私は法律関係の仕事や日本語に関する仕事しているわけではございません
ので、
ご意見をお気軽に伺えればと考えております。

法律の条文は、一般人がサラッと読んだだけでは、分かりにくかったりします。
でも、この文のご指摘の箇所を読んで違和感はありません。
どうしてかと言いますと、これは、業界特有の言い回しではないか、と思うからです。
例えば、一般人が『ゆい言状』と言うのを、弁護士さんは『い言状』と言うような・・。
以前、知り合いの弁護士さんに、なぜ『い言状』と言うのか聞いたことがありますが、
明快な答えは得られず、それ以来、そんなものなのだ、と思うようになりました。

すみません。私には、こんなお答えしかできません。


台 湾
日本語歴:7年
165

下の文型の違いが、少しわかりにくいです。
1.この店は値段が安くて、味がいいから、よく食べに来ます。
2.この店は値段も安いし、味もいいし、よく食べに来ます。

よく使う文型は 1 でしょう?

お示しの2文ですが、両方ともよく使います。
では、どう違うかですが、あえて言うなら、
1は、よく食べる理由がはっきりしていて話しています。
2は、ちょっと考えながら話している、という感じがあります。

韓 国
日本語歴:10年
164
下記の文章の中の「各」について質問があります。
同じ質問をした1999年の調査と比べると、上位5項目の順位には変動はなかった。
ただ、「家庭」 「交友関係」は各16ポイント、11ポイントと大幅増を示し、
家族や友人との関係を重視する傾向が強まっていることが分かる。

私はこの文章を「家庭が16ポイント、交友関係が11ポイント」
こういう風にそれぞれ増加したとこの文章を理解しています。
しかし、友人の日本の方にこの文章は間違っていると言われました。
A,B100点」のように(A100点、B100)は使うけど
ああいう風には使わないと言われました。
強いて解釈をするならあの文章は「家庭16ポイント、交友関係も16ポイント」
だと言われました。
でも、あの文章は読売新聞から切りとったもので、
あの文章に間違いはないと思うのですが、どちらが正しいでしょうか?

私もペさんと同じ理解です。
でも、『各』を『各々』にした方が、間違いが少ないかもしれません。
とは言っても、新聞には新聞の書き方があって、そのことを私が知らないだけかもしれません。

りひと
日 本
163
私は翻訳(というほどかっちりしたものではありませんが)の
仕事を請け負っています。
今回の質問は、日本語をもっとしっかり理解したいと考え、
質問させていただきました。

例えば、食べ物が腐りはじめていたとします。
捨てる人も食べる人も自分だとして、
1. もし、捨てるなら、食べる。
2. 捨てるより、食べる。
となった場合、意味合いは同じになるのかと疑問になります。

英語だと、次のように訳すと思います。
1. If I must throw it away, I will eat it.
2. I will eat it rather than throw it.

物理的に結果は、食べる、と同じなのですが、心理上の違い等、ございますか?
曖昧な質問で申し分けございません。
よろしくお願いいたします。
結論から言いますと、私は次のように考えますので、申し訳ありませんが、お答えできません。
1. 捨てるなら、食べる。
文脈にもよりますが、『捨てる人』はあなた。『食べる人』は私。
この文で、『捨てる人』も『食べる人』も両方私だとすると、自然な日本語ではないように思います。
2. 捨てるより、食べる。
これは、自然な日本語だと思います。

英語を日本語に翻訳するとき、不自然な日本語が生まれることがあります。
そして、翻訳日本語が伝統的な日本語を壊すこともあると思うことがあります。

私は基本的に、意味が正確に伝わるなら、細かいことは言わない、という考えでいますが、
『なら』の用法について、お調べになってはいかがでしょうか。

mumumu
日 本
162

わたしは、海外で「みんなの日本語」を使って日本語を教えています。
「みんなの日本語Ⅱ」32課に推量を表す「~でしょう」の用法があります。

「~でしょう」は十分な根拠を基に予測する時に用い、
専門知識を持った人が使うことが多く
(専門知識に関係なく話し手が予測するときにも用いていますが)、
自分自身のことには用いないと認識しております。

が、副教材には「(私は)5年後も日本にいるでしょう。」とあります。
自分に用いる場合、「意思を表す動詞+でしょう」は使えないけれど、
「状態を表す動詞+でしょう」には使えると理解してよろしいのでしょうか?

「(私は)年後も日本にいるでしょう。」という例文が
『みんなの日本語』の副読本にあるのですね。
でも、許容の範囲ではありますが、英文を訳した文のようで、私にはやや違和感があります。

『~でしょう』ですが、私は『断言する自信はないけれど、ある程度の確信
がある場合に使う表現』だと思っています。
その場合『専門的知識』の有る無しには、拘りません。
そして『自分自身のことには、あまり使わない』とも思っています。

「5年後も日本に住んでいるでしょうねぇ。」と自分自身に語り掛けている
ような場合だとすれば、違和感がありません。
言葉の表現には個人差(年齢とか、生まれ育った地域とか)が ありますし、
日本語の文法の『きまり』は、物理や化学の『きまり』のようにゆるぎないものではありません。
例外がたくさんある場合もあるのです。

おっしゃっている『きまり』について、実は考えてみたことがありません。
自分自身に『でしょう』を使っている例文をお集めになると、
見えてくるものがあるのではないかと思います。

宮川悠
日 本
161
突然すみません。日本人ですが質問させてください。
添付の問題50番ですが中国人の友人になぜCじゃなくてDなんですか?
と聞かれ私もCだと思いました。
解説がついてないみたいなので理由もわかりません。
どのように思われますか?


それぞれの動詞の意味を考えると、私も『C』だと思います。



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