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名詞関連(10)
りえこ
日 本
100
日本語教師をしております。
学生からの質問に困っていて、メールを送らせていただきます。

田中さんがロンドンに行ったのは、1997年のことです。
という強調構文の文が教材に出ています。
1年で一番忙しいのは12月です。(みんなの日本語初級2 参考書より)
のように、の文は
田中さんがロンドンに行ったのは、1997年です。
とも言えると思うのですが、①で「のこと」ですをつけるのはどうしてかと
学生に質問され、その場でこたえられず、持ち帰りました。


1) Nのこと」は、「Nに関する様々なこと」を表したいときに使える
④よく考えるのは、Aさんのことです。
⑤家族のことが心配だ。
⑥質問があるのは、昨日の授業のことです。
2) 文型「~というのはNのことだ/~とは<名詞句>のことだ」
⑦「就活」というのは就職活動のことだ。
⑧いいリーダーとは面倒見がよくて、いばらない人のことだ。
3) デジタル大辞泉 「こと【事】」㊁の㋕(「…のことだ」などの形で)
ある言葉の指し示す対象である意を表す。
「九郎判官とは源義経の事だ」
4) 田中さんがロンドンに行ったのは、
1997年[に起こったイベント:のこと]です。


これは自分で解釈を広げたものなのですが、
ここまで考えて分からなくなりました。
 
よろしくお願い致します。
いつも文の違いを述べるには文脈がほしいと思うのですが、
これも日本語教師の宿命、1行だけの文で違いを求められ、苦しいところですね。
でも、この文型で『のこと』が入るのは、強調構文だということで良いのではないでしょうか。

田中さんがロンドンに行ったのは、1997年のことです。
    
この文を読むと『ロンドンに行ったこと』が田中さんにとって
大きな出来事だったんだろうなぁ、とも感じられますし、
『1997年』が何か特別な年だったのかなぁ、とも感じられます。
田中さんがロンドンに行ったのは、1997年です。
  
こちらだと、ただ淡々とロンドンに行った年を語っているので
大きな出来事ではないのかな?と思いますし、
『1997年』が特別な年ではなかったんだろうとも思います。


阿佐美
日 本
99
私の友人が、トラブルに巻き込まれて、裁判沙汰になってしまいました。
困って弁護士さんを頼んだそうですが、私に事情を話してくれているとき、
「うちの弁護士は・・・・・・。」と言っていました。
私は、この『うちの』に引っ掛かってしまいました。

専属弁護士を契約しているうような会社等の場合は、
『うちの弁護士』でも違和感はないのですが、私の友人の場合は、違和感があります。
どうしてなんだろうか?と考えています。
日本語を教えておられたとき、『うちの』について質問されたことがおありですか?
わたしの違和感を説明していただけたら、と思います。
以前、誰かと、このことについて話した記憶がありますが、
日本語を教えていて、『うちの』について質問を受けてことはありません。

もうずっと前のことですが、私の知り合いで「うちの会社は、・・・・。」を何度も言う人がいました。
私は、長くその人のご主人が会社の経営者だと思い込んでいました。
でも、実際はそうではなく、その人のご主人は、ある企業に勤務しているサラリーマンでした。

また別の友人ですが、お子さんが通っている学習塾を「うちの塾は・・・・。」と話す人がいました。
こちらの場合、彼女もしくは彼女のご主人が塾経営者ではないことを知っていたので、
違和感はあるものの、思い違いはありませんでした。

『うちの』を使う場合、『弁護をお願いしている弁護士さん』『夫が勤めている会社』
『子供が通っている学習塾』に自分を一体化させているのでしょうね。
そして、多分多かれ少なかれプラスの気持ちがあるのではないでしょうか。
『うちの子』とかだと、一体化してもなんの不思議もありません。

どういう使い方が適当かは、個人差の問題であるとしか言いようがありません。

ただ、私はなるべく使いたくないと思っています。
どうしてか?うーーーん。
自分は自分であって、誰かもしくは何かと自分を一体化させたくないからでしょうか。

エ リ
台 湾
日本語歴:10年
98
昨日auのCMを見て、中の台詞「高杉君は水を飲まないらしいって、
白湯を飲む」について、白湯も水じゃないの?
あるいは、普通に言えば、水は氷入りの冷たい水で、白湯は熱い水ですか?

それに、auの主の業務は電信ですが、
CMに意識高すぎというスローガンはピンと来ないですが、樹さんは分かりますか?
ご希望の回答ではないかも知れませんが・・・・。

『白湯』は沸かしただけの飲むための湯です。
『水』は沸かしてない飲むための水です。
因みに、一度沸かしてその後ぬるくなったのは、『湯ざまし』と言います。

『意識高過ぎ高杉君』は、面白いCMだと思っています。
長く続いているので、日本人の感性にはピンと来るようです。
『宿題多過ぎ大杉先生』とからかわれている先生がいました。
その先生の名前は『大杉』先生ではありません。

日 本
97
『興味がない』と『無関心』の違いについて教えて頂きたいと思いメールさせて頂きました。
自分自身でも辞書を引いたりネットで調べてみたのですが、
中々納得できる回答が見当たらなかったので日本語としての違いが知りたいです。
辞書を引いてみても、分かりにくいですよね。

まず、『興味がある』と『関心がある』と肯定形で違いを考えてみましょう。
『心を惹かれる』『注意が向く』という点では、両者は同じですが、
心を惹かれたり、注意が向いたりする対象に違いがあるように思います。

『興味がある』の対象は、比較的軽い内容で、
* 私は、世界の民族衣装に興味があります。
* 妹は、将棋に興味があります。
『関心がある』の対象は、比較的重い内容で、
* 私は、アメリカの大統領選挙に関心があります。
* 母は、世界のコロナ感染状況に関心を持っています。

もちろん、『軽い』『重い』は、個人の考えによることですから、厳密に決められることではありません。

否定形の場合ですが、『興味がない』は、文字通りの意味ですが、
『関心がない』には、どことなく怠惰なイメージがありますね。
『無関心』となると、更に怠惰なイメージが強くなるように思います。

FUMI
日 本
96
ボランティアで日本語を教えています。
『みんなの日本語 初級Ⅰ』 18課 「趣味は~です」について質問があります。

趣味というと、非日常性や特殊性を含んでいるように感じます。
「趣味は寝ることです。食べることです」と学習者はよく言います。
ただ『寝ること』『食べること』は、人間が生きていくうえで、不可欠なことであり、
必要がなくても生死にはかかわらない趣味とは違うように思います。
『甘いものを食べること』等、少しspecialな感じがあれば、違和感はありませんが・・・・。

日本人からでも「趣味は食べることです。寝ることです。仕事です。」はよく耳にします。
でも、それは趣味という本来の意味をわかっていて、
趣味と必要不可欠な『食べる・寝る・仕事』などのギャップを
効果的に使っているように思います。

学習者に訂正する必要はないでしょうか。
そもそも誤用とはいえないのでしょうか。
「趣味は食べることです」「趣味は寝ることです」「趣味は働くことです」を、私は訂正しません。
私は、サンマを食べるとき、大根おろしが面倒でサンマだけ食べることがあります。
でも、「趣味は食べることです」と言う私の友達は、大根おろしは外しません。
より美味しく食べるために、努力を惜しまないということです。

休日、お天気が良ければ外出するのが私は好きですが、
「趣味は寝ることです」という人は、1日ごろごろ寝ているのが楽しいのかもしれません。

生活のために嫌々仕事に行っていたこともある私は、「趣味は仕事です」と言える人が羨ましいと思います。

長々書きましたが、日本語を学んでいる人の国によっては『趣味』の認識も違うかもしれないので、
「趣味は~です」という文型がうまく使えていれば、直さなくても良いのでは、と思います。
基本、初級の学習者を教えているときは、面倒なことにならないようにしています。

マ カ
日本語歴:4年
 チ リ
95
チリでは他の人の家族が亡くなった時に 'le doy mi pésame' と言っています。
日本語ではどう言うか探しました。 『哀悼』を見つけましたけど使い方がわかりません。
使い方を教えてください。
他の人やその家族が亡くなって、お葬式で挨拶するとき、
「謹んで哀悼の意を表します。」と言います。
でも、これは地位の高い人などが亡くなったときや大きなお葬式でのことで、
普通は、「謹んでお悔やみを申し上げます。」と言います。

 日 本
94
『物』と『品』とは、どう違うのでしょうか。
『物』は、液体、個体を全て含めています。
『品』は、その上に『価値』の要素が加わri
います。

 日 本
93
はじめまして。
今日、テレビを見ていたらナレーションで「寺社仏閣」という使い方をしていました。
私見では、こういう場合は「寺社」若しくは「神社仏閣」という表現が
正しいと思うのですが如何でしょうか?
私も『寺社仏閣』には違和感がありますが、最近耳にしました。
『JINJA』→『JISHA』と発音し易さの都合で、変化したのではないかと思います。
この言葉は『神社』と『仏閣』を対比させたいのですが、
言葉の誤用は、多くの人が使うようになると正しくなってしまいます。

私は『神社仏閣』を使いたいです。

 
 日 本
92
早速ですが質問させてください。
結婚式に、「出席する」「参加する」どちらが正解でしょうか?
私は「参加」と言われることにとても違和感があります。
意味はほとんど違わないと言われる方もいますが、私は全く違うと思っています。
招待されて「私参加します」なら、まあ意味は通じるから許せるかなとも思うのですが、
上司や身内に「ぜひ参加してください」と言うのは、間違いですよね…。
何かを一緒にするわけでもないし、
盛り上げてくださいって言っているような、失礼な気さえします。
「結婚式に出席する」の方が違和感がありません。
結婚式は、招く側と招かれる側がはっきりしているからです。

例えば合コンですと、『参加する』でしょうね。
合コンは、全員で盛り上げるものだからです。

『人の集まりに出る』という点では同じですが、
招く側と招かれる側があるかないかで違ってくるのかな?と思います。

オバサン
日 本
91
よくネットニュースのタイトルで、「○○号泣」というのを見かけます。
後でテレビで見ると、涙をホロホロこぼしている程度です。
号泣って、もっと激しく泣くことだと思うのですが、
どうなんでしょうか?
『号泣』というのは、声を出してなくことですよね。
でも、週刊誌やネットのタイトルでは、強烈なタイトルの方が人を引き付けるので、
こういう表現を使うのでしょう。
最近は、『号泣』ではインパクトが不足になって、『大号泣』というのを見かけます。
『激怒』も同じですよね。
少し怒っているだけなのに、どこが『激怒』なんだ!と思うことがあります。

こういうことが繰り返されていると、言葉の意味そのものが変化することもあるでしょう。



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