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表記関連


助詞関連(2)
ろんじ
中 国
日本語歴:5年
20
「なんて」は 否定的な例示につかわれますが、
もともと「なんて」というのは「などと(いうもの)」というように
引用の「と」あるいは「(っ)て」をふくむ かたち なので、
その まえに くる ことばには なんらかの引用の意味がついているのが
普通だと理解してもよろしいでしょうか。
私見ですが、普通だとは思いません。
『否定的な例示』というのが、よく分からないのですがーーー。
いずれにしても、いつも引用の意味がついているとは限らないように思います。

ろんじ
中 国
日本語歴:5年
19
私は日本語の類義表現に大変興味を持っている中国人です。
『なんか』と『なんて』の使い分けのニュアンスが
なかなか分かりませんので、教えていただけないでしょうか。
次の例1は『なんて』を使うと、ちょっと不自然に思われますが、
例2は違和感なく使えるようですが、それはなぜでしょうか。
教えていただければ有難いです。
1、刺身や天ぷらなんか食べた。(?なんて)
2、さしみや天ぷらなんか食べてみたい。(○なんて)
言葉の使いわけって、難しいですね。
それに、言葉の使い方で違和感を感じるか感じないかは、 かなり個人差があるものです。

なんか (1)
(2)
物事を例示または代表として示す。
物事を軽く見たり無視したりするときに使う。

なんて (1)
(2)
物事を軽く見たり無視したりするときに使う。
物事が基準を外れていたり、意外な感じがするときに使う。

これはあくまで基本的な考えであって、『なんか』と『なんて』がきちんと区別されて
使われているということではありません。
意味も形も似ている言葉に誤用が起こるのは当然のことです。
誤用をどこまで認めるかも個人差があります。
また、文章は前後関係が分からなければ、その文を書いた人の本当の意図は分かりません。

そうではありますが、私の考えを述べます。
お示しの2例文ですが、どちらも『例示または代表』だと思います。
ですから、『なんか』を使う方が自然のように思います。

もちろん、意見は割れると思います。

か よ
日 本
18
”丸い顔をしている人はリーさんです。”
ここで”を”を使うのはどうしてですか?
なにか文法上のきまりがあるのでしょうか?
きまりという程ではないと思いますが、
他動詞『する』の用法に、『ある様子・状態を表す』というのがあるのですが、
その場合格助詞『を』をとります。
例:

見て見ぬふりをする
心配そうな顔をする
これと同じ用法ではないかと思います。

okada
日 本
17
出発点をあらわす格助詞に『〜を』と『〜から』を使う時がありますが
どのように使い分ければよいのでしょう。
日本語教師養成校在学中に、講義の中で聞きました。
そのときの例文としては、「窓から飛び降りる。」はOKでも
「窓を飛び降りる。」は、なぜNGなのかだったと記憶しています。

結論からいいますと、
「〜からV。」というと、その時の動作だけが問題になっていて、
「〜をV。」というと、その後の動作にまで意識が及んでいるということです。
『を』はもちろん出発点ですが、 通過点の『を』の要素もあるのではないでしょうか?
だから「窓を飛び降りる。」はNG。
火事などで窓から飛び降りて、次にどうしようなんて考えませんものね。
「私は家を出ました。」は、いろいろな意味があります。
『出勤した』とか『夫婦が別居した』とか『家出した』等。
いずれにしても、 しばらくは家に入らなかった、あるいは戻らなかったんでしょう。
「私は家から出ました。」は、またすぐ家に入ったかもしれません。
『家から出た』こと以外、次の行動に関して情報がないのです。
「バスを降りました。」は、バスから降りてどこかに行った、
あるいは バス停で迎えを待ったなど、暗黙のうちに感じられますが、
「バスから降りました。」というと 出口が混んでいるので、一時的に降りたのかもしれません。

もちろん、実際の生活ではこれらがごちゃ混ぜで使われているとは思うのですがーーー。

Clear
韓 国
日本語歴:4年
16
私は韓国人です。
韓国語では、「−に似ている」という表現の場合、 助詞「と(with)」を使います。
ですから、韓国の 英語の本には、"A resembles B"を"A resembles with B"
のように使わないように注意しています。
そんなわけで、韓国人が日本語で言う場合も、
何の考えもなしに「−と似ている」言ってしまいます。
私はいままで、「−に似ている」が正しくて、
「−と似ている」は間違った表現だと思っていました。
ですが、最近、「−と似ている」という表現を 日本のゲームから読みました。
その後、Googleで 「−と似ている」を検索しますと、
たくさんの 結果がありました。
しかし、私の日韓辞書で「似る」 を調べてみますと、
例文には「−に似る」しかありませんでした。
よろしければ、「−と似る」と「−に似る」の 差異を教えて下さいませんか。
『−と似ている』は、間違った表現ではありません。
これは、助詞『と』と『に』の使い分けの問題ですね。 ちょっと考えてみましょう。

例1『−と相談する』『−に相談する』
『−と相談する』は、対等な立場で双方意見を出し合うときに使います。
『−に相談する』は、助言を得たいときに使います。
若い会社員が「部長と相談します。」と言えば、たいへん失礼になります。

例2『−と会う』『−に会う』
「昨日、山田さんと会いました。」という場合、 『私』と『山田さん』は会う約束があって会いました。
「昨日、山田さんに会いました。」という場合、 約束はなかったのに偶然出会いました。
例1と例2から言えることは、[A]動詞[B]。で、
『と』を使う場合、[A]と[B]双方が対等に行動します。
『に』を使う場合、[A]が行動することによって[B]が受身的に行動します。

『−と似ている』『−に似ている』ですが、『似ている』は、動作でなく状態です。
しかし、例1と同じようなニュアンスがあります。
「私は、山田さんと似ています。」と言えば、『私』と『山田さん』がお互い似ています。
「私は、母に似ています。」という場合、普通『に』を使います。
母の方がこの世に先に生を受けて、後に私が生まれました。
似ているのは私であって、母が私に似ているのではありません。

ricky
日 本
15
中学校用教材では、助詞の「は」は口語の場合副助詞として扱っています。
係助詞は文語にだけあるもので、
口語には係助詞がないという人もいます。
その点どうなんでしょうか。
この件に関し私自身があやふやなので、整理しておこうと思います。
以前見た(7年ぐらい前)学校文法の本の内容を思い出しました。
中学校では、副助詞と係助詞をまとめて副助詞として教える、
しかし、高校の授業では、副助詞と係助詞に分けるというような内容でした。
7年前に見たのですが、実際はもっと古い本だったかも知れません。

係助詞 口語 は・も・しか・こそ・さえ・でも・ほか
文語 は・も・ぞ・なむ・や・か・こそ
副助詞 口語 まで・ばかり・だけ・やら・か・ほど・くらい・など・きり
文語 だに・すら・さへ・のみ・ばかり・まで・など

副助詞は山田孝雄の命名によるもので、
係助詞か、副助詞かは、学説により出入りがあるそうです。

本屋さんに行って、大学受験の現代国語文法の本を見たのですが、
副助詞と係助詞に分けてあるものと、副助詞一本のものとありました。
係助詞と副助詞を一本化してありますという但し書きのあるものもありました。

円周率が、3になってしまうご時世です。
最近の傾向としては、一本化の方向にあるのかなと思いますが、分かりません。
文法は、いろいろな説があるようですがーーー。

momoko
日 本
14
今回、また助詞に関して質問させていただきたいのですが、
「(薬を)食事の前に or 食事の後に 飲んでください」 と言うと思いますが、
「食事の後で 飲んでください」も言えると思います。
「後に」と「後で」の違いは何でしょうか?
「に」は時間のある一点に注目していて、
「で」はその後の長い時間なのかなと考えましたが、どうでしょうか。
他に例として、「会議の前に/後に/後で コーヒーを飲みます。」なども
考えてみましたが、考えているうちになんだか分からなくなってしまいました。
そもそも「で」がよく分からなくて、
参考書を見てもこれと思える答えが 見つかりません。
掲示板に下記の様にお返事しました。
》 「食事のあとに、コーヒーを飲みます。」
》 「食事のあとで、コーヒーを飲みます。」 の違いですが、
》 『に』を使うときは、『食事のあと』に重点があり、
》 『で』を使うときは、『コーヒーを飲む』に重点がある ような気がします。
》 『その後の長い時間』というのもなるほど!と思いました。
》 でも、両者の間に明確な区別はないように思います。

あとで考えてもこれ以外思いつかないので、どうしてこの違いがあるのか考えてみました。
格助詞『で』は、格助詞『に』+接続助詞『て』が口語になったものです。
つまり『で』は、『にて』と同義なのですね。
この接続助詞『て』は、「朝起きて、歯を磨いて、ご飯を食べます。」
の順次動作を表す『て』ではないかとーーー。
だとすると、『に』はmomokoさんがおっしゃっている『時間のある一点に注目』で、
『で』は、ある一点の時間の後に起こる動作にまで、意識が及んでいると言えます。
『その後の長い時間』というのも、言いたいことは同じかと思います。

『あとで』は言えても、『まえで』とは言えない理由は、
『まえ』の場合は、順次同作にならず、時間的には逆行するから
ではないかと思うのです。

これ、どこかに書いてあったとかでなくて、自分で考えたんです。

》 でも、両者の間に明確な区別はないように思います。
これは、間違いでしたね。もし、この説が正しければーーー。

momoko
日 本
13
「よく 映画に いきますか。」という文の助詞「に」は、 目的でしょうか。
それとも「へ」と同類の働きでしょうか?
私が使っているテキストでは、
方向を示すものとして「へ」を使っていますので、
目的だろうと思いましたが、同じテキストの後半で、
「映画へ いきますか。」 も出てきて、混乱しています。
うーーーん。 教科書にあったのですか? 困りましたねぇ。
私は、「映画へ行きます。」とは言いません。 「映画館へ行きます。」とは言うんですけど。
『へ』は方向を表すもので、具体的な建物とか場所とかに向かうときに使います。
お尋ねの『に』は、『映画を見るために行く』のですから、 目的で良いのではないでしょうか。
格助詞の中で、『に』は本当によく使われますね。 用法もいろいろあるようです。

日本語調査(17)]をご覧下さい。

広 木
日 本
12
また格助詞に ついてなのですが、『に』と『から』の使い分けで
これはどっ ちだ?という事がたまにあるんです。
『もらう』『借りる』『 教える』といったような動詞を用いるときで、
『から』は文語 的で『に』は口語的な感じがするのですが、
これもどちらでも よいのでしょうか?
日本語の教科書ですが、
「妹は山田さん『に』花を貰いました。」 「妹は山田さん『から』花を貰いました。」
この両方があります。
結論から言いますと、どちらでも良いのですが、 格助詞『に』の用法の一つが『着点』です。
「山田さんは妹『に』花をくれました。」    この『に』は、『着点』ですね。
「妹は山田さん『に』花を貰いました。」    この『に』は、『出所(でどころ)』です。
『出所』も『着点』も『に』というのが理解されにくいので、
「妹は山田さん『から』花を貰いました。」と教えるという考え方があります。
最初『から』で教え、 学習が進んだ、あるいは日本語のシャワーを浴びた結果
「妹は山田さん『に』花を貰いました。」 と学習者さんがいうようになっても 特に訂正はしません。
する必要はないと思います。
文語的か口語的かはよく分からないのですが、 『から』の方が『出所』だとよりはっきりしますね。
『借りる』も同様です。
『教える』ではなくて『習う』だと同じケースになりますね。

広 木
日 本
11
助詞についての質問なのですが、方向性を表す「へ」と「に」 の違いが
いまだによくわかりません。
「〜へ行く」や「〜に行く」はどのように違うのでしょうか。
結論から言いますと、日本語を教えるときは、
どちらを使ってもOKだとしていることが多いようです。
元々は、『へ』は方向を示し、『に』は着点を示していました。
この『着点』の『に』は、『に』の用法の中でも、とても重要です。

しかし、最近は両者に区別がなくなってきて、 しかも『に』の方が多く使われるようになりました。
『へ』の発音は『え』ですから、間違いが起こりやすいので まず『へ』を導入、定着させます。
その後日本語のシャワーを浴びていると、 『へ』が『に』になることが多くなりますが、
この時点では、『へ』でも『に』でも構わないと教えます。



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