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表記関連


助詞関連(3)
へんり
中 国
日本語歴:8年
30
こんにちは!
1.冷凍食品は冷凍庫で長い期間保存することができます。
2.冷凍食品は短い時間で食事の支度ができますから、
  忙しい人にも人気があります。
1の中に「期間」と「保存する」の間には助詞が要りませんけど、
2の中に「短い時間」と「食事の支度」の間 に「で」があります。
なぜですか。教えてください。
助詞が入るかどうか、あるいはどんな助詞を使うかは、 動詞によって決まるものです。
『保存する』ですが、 「長い期間保存することができます。」 「長時間保存することができます。」
どちらもOKです。
助詞が入らないのは、『期間』と『時間』の違いによるものでなく、
『保存する』という動詞の性質によるものです。
他に『努力する』『勉強しつづける』のように動作を継続する場合には、
助詞を省いているように思います。
なぜ動作を継続する場合には助詞を省くのかは、分かりません。

「短い期間で食事の支度ができます。」とは 意味のうえから言いませんね。

Kina
日 本
29
私は、パソコン教室で新米PCインストラクターをしております。
パソコンの検定で、日本語文書処理技能という検定があるのですが、
その中の筆記科目で、日本語科目の問題で、
どうしても、分からない問題があるのです。
生徒さんに、ご指導しなくてはならないので、
できれば、明確な判断基準が欲しいのです。
問題 次の【 】の条件に合うものを一つ選び、その記号を答えよ。
  【一つだけ(文法的に)他と異なる「〜に」】



自由に出入りする。
率直に指摘する。
次第に増加する。
完璧に作り上げる。
一応、私の解答は、ウ ではないかと思います。
「に」を「な」に代えて、読んでみると、  
率直な指摘 自由な出入り 完璧な作り は、変ではない気がするので・・  
次第な増加 は何となく変な気がするんですが・・・どうでしょう?
答はウだと、私も思います。
理由もほとんどおっしゃる通りですが、 もう少し詳しくーーー。
『率直』『自由』『完璧』は形容動詞で、
『率直に』『自由に』『完璧に』は全体で形容動詞の連用形です。
(『自由』は名詞のときもありますが。)
ところが、『次第に』は『名詞+助詞』です。

因みに、形容動詞は『率直な』『自由な』『完璧な』と『な』を含めて指導する方法もあるようです。

み あ
日 本
28
日本語をボランティアで教えている者ですが
私自身専門知識がないので今回教えて欲しい事があります。
〜だと と 〜と の違いについて質問されたのですが
よく分からないので教えて ください。
なぜ取らぬたぬきの皮算用に終わるとの見方がありますか?
なぜ取らぬたぬきの皮算用に終わるだとの見方がありますか?
この二つ文の〜だとと〜とに ついて違いがあるのでしょうか?
それとどのような時に〜だとになったり〜にとになったりするのか
具体的に教えて欲しいです。
あの人はきれいと思っている/あの人は綺麗だと思っている
歩いている人は日本人という/歩いている人は日本人だという  等・・・
〜とと〜だとは前に付くもので変わるのですか?
例えば引用の『と』がある文『〜と思う』の『〜』の部分には、
名詞文、形容詞文、動詞文の普通形が来ます。
普通形というのは、丁寧形に対応する言葉で、
例:あの人は綺麗だ。(普通形)   あの人は綺麗です。(丁寧形)  となります。

普通形と言うと、 時制や肯定・否定が絡んできますが、
ここでは辞書形-肯定だけで考えましょうね。

名詞文 歩いているのは日本人
ナ形容詞文 あの人は綺麗
イ形容詞文 あの人は優しい。
動詞文 あの人はこの夏北海道へ行く。

名詞文とナ形容詞文が『〜』の部分に入ると、そのまま『だ』が入るということになります。
実際には日本人でも、名詞文、ナ形容詞文の場合で 『だ』が抜けることは多いです。
が、日本語指導する場合は、普通形と丁寧形の違いは きっちり指導した方が良いですし、
「日本人だと思う。」「綺麗だと思う。」と 『だ』を抜かさないよう指導した方が良いと思います。

》 なぜ取らぬたぬきの皮算用に終わるだとの見方がありますか?
これは『〜』部分が動詞文ですから、『だ』が入るのは間違いですね。
『おわるのだ』と形式名詞『の』が入れば、『だ』が必要になります。

日本語調査結果(60)]もご覧下さい。

立 川
日 本
27
『美人の湯』という温泉があるそうなのですが、
この『美人の湯』の意味は人によって捉え方が違うんです。
本来の意味は「美人になれる湯」なのですが、
「美人が入った湯」「美人が作った(掘った)湯」「美人が入る湯」だったり…。
『美人の湯』だけに限らず『ひまわりの湯』なども。(また温泉関係ですが)
「ひまわりが入ってる湯」「ひまわりの形をしたお風呂」
「とにかく明るいお風呂場」など…。

この「の」にはどんな意味があるのですか?
『の』は実に用法が多いです。
『の』の品詞は何かというと、その呼び方には諸説あるんです。
(助詞関連Q22をご覧下さい。)

例えば広辞苑には格助詞としての用法が13出ています。
『命名した人』『その名を読んだ人』によって、
それぞれが捉え方が違うのは致し方ないことでしょうね。

それぞれが自分の好みで、意味を考えるのも楽しいものかもしれません。

秋 野
日 本
26
先日オンライン小説で下記のような一文を読み、
「あれ?」と思ったのですがなにが「あれ?」なのかよく分からず……。
 > 私が懸命に動こうとしても動けず、
 > 声も小さな独り言のような声しか出なくなっていた。
という文なのですが、この「私が」は「私は」なのではないかと思ったのです。
「私が」を使うなら、「私が懸命に動こうとしているのに、
身体は全く動かず……」とかになるのではないか、と。
作者の方は、「私と身体は同じなので、
別に省いてもいいのではないかと思う」と仰ってます。
「あれ?」と思った私の方がおかしいのでしょうか?
ご質問は次の点ですね。
私は、ご飯を作って食べました。(作った人も食べた人も『私』)
私がご飯を作って、妹が食べました。(作った人と食べた人は別人)
『は』と『が』では、後に続く述部・解説部分の支配する範囲が違うということ。
(『は』と『が』は、状況設定を変えると、置き換えが可能なことがありますがーー。)

ということでしたら、私も『私は』を使うように思います。
私も読んだとき「あれ?」と思いました。
しかし、1文だけ切り出しても分かりませんね。
文脈の中で考えないとなんとも言えません。

神 代
日 本
25
「神隠し」や「角隠し」といった名詞は、「神が隠す」、「角を隠す」というように、
助詞が省略されていますよね?
何故両方共「〜隠し」と書くのに省略されている助詞が違うのでしょうか。
また同じような名詞で、「が」と「を」が省略されているものに
何か決まりのようなものがあるのですか?
『隠す』という動詞は、『〜が〜を隠す』となります。
つまり『神が子供を隠す』『お嫁さんが角を隠す』。 本来『が』も『を』もあるんです。
どちらの助詞を省力するかは、意味内容によるのだと思います。
どちらを省力したら、よりインパクトが強い言葉になるか だと思うんですけどね。

『男好き』という言葉があります。
これは、意味が二通りありますよね。
『男を好きな女』『男が好きになる色っぽい女』
「男好きがする。」とか言いますね。
要は、意味内容からきていることなんでしょうね。

ろんじ
中 国
日本語歴:5年
24
今日は、「ながら(も)」と「のに」の使い分けについて、
分からないところがあったので、 教えていただく、また書き込みました。
この両者は、「逆接」の意味を表す場合は置き換えられるようですが、
しかし、 その他の場合は置き換えられないように思われます。
両者は、それぞれ異なった意味特徴を 持っているようですが、
いったいどういう意味特徴でしょうか。
また、「ながら」と「ながらも」 の間に、どんな違いがありますか。
『のに』は常に逆説条件を表しますが、『ながら』にはその他の用法があります。
逆説条件の『ながら』と『のに』は、
自然の流れに反したときの驚きを表すときに使われるという点では同じです。
違う点としては、『ながら』は文語的、『のに』は口語的だと言えます。
普通の会話では、『のに』を使うことが多いです。
それと、『ながら』と『のに』では、『接続の仕方』が違います。

『ながら』と『ながらも』の違いは、 『ながら』は、『自然の流れに反したとき』に、
『ながらも』は、『悪い状況に反して良い結果がでた、あるいは予測されるとき』に使い、
『良い状況に反して悪い結果がでた、あるいは予測される』という場合、
私は『〜けれど(も)』『〜のに』を使うことが多いです。
例:山田さんは金持だったけれど(も)、寂しい人生を送りました。

もちろん、こういう規則には例外も誤用も個人差もあると思います。

日本語調査結果(57)]もご覧下さい。

不明
日本語歴:不明
23
〜になる と 〜となるの違いがよく分かりません。
どこがちがいますか? どんなときにどっちを使いますか?
おしえてください。
両方とも変化の結果を表しますが、
『〜となる』の方が、『〜になる』よりも文語的な感じを受けます。
普通の会話では 『〜になる』を、文書等では『〜となる』を使うことが多いようです。

多くの場合、『と』と『に』は置き換え可能ですが、
『と』が使えない場合があります。
(1)人間の成長や変化の結果を表す場合(疑問詞『何』)
「将来何になりたいですか。」
「将来何となりたいですか。」

×
「弁護士になりたいです。」
「弁護士となりたいです。」

×
「お子さん、何歳になりましたか。」
「お子さん、何歳となりましたか。」

×
「この春、12歳になりました。」
「この春、12歳となりました。」


(2)『〜のようになる』(疑問詞『どの』)
「やっとこの服が着られるようになりました。」
「やっとこの服が着られるようとなりました。」

×
「どのようになりましたか。」
「どのようとなりましたか。」

×
「山のようになりました。」
「山のようとなりました。」

×

(3)疑問詞『いつ』、『どこ』、『誰』、『何』(もの)を使う場合
「会議はいつになりましたか。」
「会議はいつとなりましたか。」

×
「6月20日になりました。」
「6月20日となりました。」

「集合場所はどこになりましたか。」
「集合場所はどことなりましたか。」

×
「新宿駅西口になりました。」
「新宿駅西口となりました。」

「会長は誰になりましたか。」
「会長は誰となりましたか。」

×
「山田さんになりました。」
「山田さんとなりました。」

「お弁当は何になりましたか。」
「お弁当は何となりましたか。」

×
「おすしになりました。」
「おすしとなりました。」


○△×については、私の考えを書きましたが、微妙で、意見が分かれるだろうと思います。

ガ ヤ
日 本
22
『の』についてお聞きしたいことがあります。
「雪の日」の『の』は格助詞で、
「長いのが欲しい」の『の』は準体助詞だと記憶しています。
さて、「私の名前」の『の』は並立の格助詞だと思うのですが、
「私の本」の『の』は何に分類されるのでしょうか?
どなたかに教えて頂ければ幸いです。
びんさんから、ご回答を頂きました。

私の思うとこも聞いてください。
「思う」といいますのは、解はひとつじゃないかもしれないと思うからです。
たとえば、
> 「長いのが欲しい」の『の』は準体助詞だと
助詞として分類しなくちゃならないならそのとおりだと思いますけど、
私の分野ではこの『の』は形式的名詞と呼ばれています。
処理的には指示詞扱いです。
で、本題ですが、
> 「私の本」の『の』
「私が所有する本」であれば所有の格助詞、
「私が書いた本」であれば所属の格助詞だと思います。

お尋ねの文法用語ですが、なんとお答えすればよいのやら。
『の』は、形式名詞、準体助詞  格助詞、並立助詞、連体助詞、副助詞等、
いろいろな学者が、いろいろな用法で自説を述べているようです。
どれを採用するかは、それぞれで良いと思います。
どれが正しくてどれが間違っているとかいうことではないですね。

まず格助詞ですが、私の考えはQ&A 助詞関連 Q8 に書いてあります。
「長いのが欲しい。」の『の』は、形式名詞 、『私の名前』の『の』は、所有を表す助詞。
「私の本」の『の』は、意味が一通りではありませんが、 とりあえず所有の助詞。
私は、『の』は格助詞であるときと、 格助詞でないときがあるという説を採用しています。
詳しくは、Q&A 助詞関連 Q9をご覧下さい。

『私の名前』の『の』は、 『所有の連体助詞』だという説も読んだことがありますが、
あえて『所有の助詞』だと書きました。
どんな文法用語を使うかは、あまり意味がないことで、
要はその助詞あるいは名詞等ががどんな働きをしているかを考えることでしょうね。

知 恵
韓 国
日本語歴:4年
21
「想像だにできないと考えているが、可能性があることは間違いない」
と述べた。(ロイター)

この文章で、想像だにできないの部分がすこしわかり難いですが、
説明をお願いしてよろしいですか。
これは、係助詞『だに』でしょう。
最小限のことを例示して、他のもっと重い意味を持つものを類推させます。



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