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待遇表現(3)
鳩派植留
日 本
30
私もいろいろな窓口の「お申し出ください」掲示に疑問。

殿様が家来に「切腹を申し渡す」と言ったり、「〜と申す坊主が」 などの
古文書の使用例を、謙譲の意味ではなく、ていねいないいかた、
だとする辞書解説にも疑問を感じていました。
「切腹」とは尊い自分の家来の命を抹殺するという残酷な指令です から、
規律を守るためには謙譲の心から、やおよろずの神々に謝罪と許しを乞い、
そして今度は突然部下へ向き直して「(神のお告げ じゃ)切腹を申し渡す」
のだから謙譲とも考えられます。

「〜」という名前の坊主がいたという例ですが、
身分制度が厳しか った当時ですから、
その坊主自身に何ら人権がなくても、名前は普遍的な共通認識のある
符号で、そういう普遍的なものに対して「申 す」を使ったと考えます。
ていねいですが、それは世間一般より高 いところにある
普遍的なものへの謙譲です。
「(私)奉行の申すのは」も、被告に対して言っていたとしても、
人とか身分を越えた普遍的な道理に基づいて裁く裁判官の意識が
あるように思え、謙譲です。
人間そのものを超えた、宇宙の法則など普遍的で反対のしようがない
ものへの畏れの処し方として、昔はやおよろづの神々の行為とみなし、
これらについて謙譲の「申す」を使った、
と解釈すれば「申す」は、ほとんどの場合謙譲語とするでいいと思うのです。

冒頭の「お申し出ください」は、
用のある人に対して対応方法を説明したものであり、
普遍的価値性とは縁遠く、高圧的な「何か用が あれば言え」発言で、
相手の動作に謙譲の「申す」を使い、頭に 「お」をつけてやわらかくする、
やはり誤用だと考えますが、どな たか反論してください。
びんさんから、コメントをいただきました。

私はこれまで、「お申し出ください」掲示に対して何の違和感も感じていませんでした。
云われてみると確かに誤用のような気がしてきました。
今後は気にすることになると思います。
鳩派植留さんに反論ではないのですけど、
今後この件で、どこかの窓口で誰かが気づいて掲示の表現を変える、
といったことは現実的に発生しなさそうですよね。
ですけど、私自身が今後万一、「お申し出ください」と掲示したい場 面に遭遇したら
どう表現すべきか、思いつきません。 どなたか、代替案などお持ちでしたらご教授ください。

『申す』を『言う』の丁寧語と考えて良いかどうかですが、
鳩派植留さんがおっしゃる考え方が私の頭の中にないというのでありません。
日本語の尊敬語・謙譲語は日本語学習者さんにとっては、とても難しいことです。
初級の終わりに尊敬語・謙譲語を学習することが多いのですが、
日本で生活していると、「お申し出下さい。」を目にすることもあります。
「お申し出下さい。」は、誰が誰に謙譲しているのかと質問されて、
立ち往生したことがあります。
学習者さんの母語を使わず日本語だけで指導しています。
限られた文型、限られた語彙でどう説明するのか?
そのとき本当に助かったのは、『申す』は『言う』の丁寧語として使われることもあるという事。
学習者さんを無用に混乱させることなく、しかも誤魔化しではないと思います。
この考え方もあって良いと思っています。 というか、結構重宝しています。
それでも、『申す』は謙譲語の意識が私の頭にありますので、
「お申し出下さい。」に関し、今まで特に意識していなかったのですが、
じっくり考えたら、やや違和感があるかなと思うようになりました。
「ご連絡下さい。」「お知らせ下さい。」の方が良いのかなぁ?
でも「お申し出下さい。」でも構いません。その程度です。

日本語調査結果(66)]もご覧下さい。

いけがや
日 本
29
「申す」は謙譲語ですが、「申す」という字を含む熟語にはどの程度、
「謙譲」の意味が残っているものでしょうか?  
具体的には「申告」「申し出」「申込」等の単語と「お客様」の組み合わせは
妥当でしょうか?
(私は、少なくとも「申し出」は妥当でなく、「申告」についても
言い換えるべきと思っていますが、そうでもないのでは?
という意見もあるので質問してみました。)
たとえば・・・
a「お客様から申告があったトラブルの件」という日本語は正しいでしょうか?
b「お客様からお申込のあった注文」は、いかがでしょう?
c「お客様から申し出があったトラブルの件」
d「お客様からお申し出があったトラブルの件」
e「お客様からお申し出いただいたトラブルの件」
f「お客様からお申込いただいた注文」
『申す』は謙譲語ですが、『言う』の丁寧語でもあります。
「切腹を申しわたす。」などは分かりやすい例だと思います。
本来謙譲語であったのが、誤用によって丁寧語としても認知されるようになったのだ思います。

『申告』という言葉ですが、 お上がエラクて威張っていた当時の名残の言葉で、
今も行政官庁に対して使われる言葉ではないでしょうか。
ですから、『お客様から申告があった』は本来は失礼なんでしょうね。
でも、現在では『自分の側から進んで話す』という部分の意味が 強くなったため、
『お客様』の多くは失礼だとは思わない気がします。

『申し出る』という言葉は、何となく消極的な雰囲気があって、
私の行動に対して相手側から言われたら、少しひっかかる ような気がします。

『申し込む』は、積極的は行動ですから、私には 引っかかりはないですね。

『申し出』『申し込み』は、もともとは『言う』側の人間が 謙譲していたのでしょうが、
だんだん『言われる』側が丁寧語として 使うようになったのではないでしょうか。

待遇表現は、正しい正しくないよりも、
その言葉を使われた人がどう感じるかのほうが重要ですね。
『お客様からご連絡いただいたトラブルの件』
『お客様からご注文いただいた品』 だと私には違和感がないかなぁと思います。
よく考えたらあえて『申す』を使わなくても良いですね。

Junko
日 本
28
日本人なのに、アメリカ生活の方長くなっている主婦です。
最近、日本語の勉強を始めました。小学校の時にこちらに来て
そのまま居ついてしまったので、正直言って特に「謙譲語、尊敬語」
よく理解できていません。
サテ、質問ですが「来て下さい」の意味の尊敬語は、 
テキストブックに「いらっしゃてください、おいでください」と
両方が書かれています。何か違いがあるのでしょうか?

そして「いらしてください、いらっしゃってください」どう違うのでしょうか?.

「それでは、明日こちらにいらしてください」
「何もお構い出来ませんがぜひいらしてください」、
よそのお宅におじゃました帰りに「又いらしてください」のような類の
会話を聞いた記憶があるのですが。
最初の2つは(居てください)という意味のような気もしますが
最後の分は(又来てください)といっているのではないかと、、、。
『いらっしゃる』は、『行く、来る、居る』の尊敬語で、
『おいで』は、『行くこと、来ること、居ること』の尊敬語です。
どちらを使っても違いはないと思いますが、どちらかのほうが敬意が高いかもしれません。
いつか、当サイトで行っている『日本語調査』で調査してみたいと思います。

『いらしてください』『いらっしゃってください』の違いですが、
人間は怠け者にできていて、口の筋肉も少しでも楽させたいものですが、
その結果、短縮されたものと考えてよいように思います。
『いらして』は、人を送り出すときの方言だという説もあるようですが、
今は、全国で使われているように思っています。

『いらしてください』の3例文ですが、
文章というものその前後関係が分からないと本当のところは分かりません。
しかし、ちょっと読んだ感じでは、3っつとも『来てください』のように思えます。
あっ、そうでもないかな?やはり前後関係ですね。

日本語調査結果(56)]もご覧下さい。

焼き杉
日 本
27
差別用語というか、使ってはいけない言葉ってありますよね。
いつも気にしているのですが、『アメリカ・インディアン』と呼ぶのは、
失礼なのでしょうか。
考え過ぎだと言ってしまうと抗議されそうなんですがーー。
難しい問題ですね。
アメリカの先住民をアメリカ・インディアンと呼ぶのは、失礼なんでしょうか。
実は私もよく分かりません。
ナバホ族の居留地に行ったとき、お土産物を売っているナバホの人から、
「アジアから入ってきたインディアン・グッズが値段が安くて、困っている。
インディアン・メイドと書いてあるものを買って欲しい。」と言われました。
『インディアン』という言葉が、お土産物のブランドになっているのだと感じました。
アメリカ先住民のどのくらいの人が、
インディアンと呼ばれることに不快感を持っておられるのか。
また聞きなのですが、どこかの本に、現地の人は『インディアン』と呼ばれることに
不快感は持っていないと書いてあったそうです。
でも、どれくらいの%の人がそう思っているのか。

それをいうなら、南米の先住民をインディオと呼ぶのも失礼ですよね。
エスキモーは、『生肉を食べる人』という意味で失礼だから、
『イヌイット』と最近はよぶそうですね。

私がとても気になったのは、モロッコの『ベルベル族』です。
ベルベルというのは、『野蛮人』という意味。
とっても失礼じゃないかと思うのですが、これが考え過ぎのようで、
『ベルベル族』の人は、「私はベルベル族です。」と
とても誇りに思っておられるようでした。(聞いたのはたった2人ですがーー。)
ガイドの人に、『野蛮人』と呼ばれることを彼らは不愉快に思っていないのかと
聞くと、「全然!」という答が返ってきました。

こういう呼称は、不愉快だと思う人が少数でもいれば、
気をつけなければならないのか、正直、私自身には答がありません。

日本語調査結果(55)]もご覧下さい。

Yvonne
台 湾
日本語歴:5年
26
敬語の謙譲語の「まいります」と「伺います」の使い分け
よく分からないんですが、おしえていだだけませんか。
『まいる』は、『行く』『来る』の謙譲語で、 『伺う』は、『訪問する』『訪ねる』の謙譲語です。
『伺う』は、他に『聞く』『問う』『尋ねる』の謙譲語でもあります。

焼き杉
日 本
25
お気の毒ですね。」という言葉をかけられると、
ほとんど例外なく不愉快になります。
もちろん、この言葉を発した人の態度や、会話の前後関係によっては、
多少違うでしょうけれど、それでも不愉快になります。
なぜ不愉快になるかを考えてみました。
結局、「お気の毒ですね。」と人に言う人は、
「あなたのような不幸は、私にはないのですよ。」と
言っているように聞こえるからじゃないかと思います。

でもそんな風に思うのは、私がひねくれているからかと思ったりします。
一般には、どうなんでしょうか。
親が亡くなったときはどうだったか、気が動転していて覚えていないのですが、
自分の努力ではどうにもならないことで、自分が辛く思っていることを、
「お気の毒ですね。」と言われて、不愉快になったことありますね。
そう言えば、何度もあったように思います。
自分も同じ辛さを持っていれば、人に「お気の毒ですね。」とは言わないでしょう。
ですから、私自身は『気の毒』という言葉を発しないように心がけています。
うっかり言ってしまうことあるかもしれませんけれど。

一般にどうかは、調査してみないと分かりません。

日本語調査結果(53)]もご覧下さい。

キャロ
アメリカ
日本語歴:6年
24
ここの掲示板を読んでいたら、
「日本語教師のはしくれ」ということばがありました。
これ、日本人の「けんそん」かと思いました。
いいですか。
いいです。これは日本人の『けんそん』でしょう。
『はしくれ』の元々の意味は、『木の端っこを切ったもの』で、『たいして役に立たないもの』です。
『あるグループに属してはいるが、実力的には十分でない』といった意味にも使われます。
日本人が自分のことを『〜のはしくれ』といった場合、多くの場合謙遜(けんそん)でしょう。
「日本語教師のはしくれです。」と聞いても、
ほとんどの人は、そう言った人が実力のない日本語教師だとは思いません。
それは、多分アメリカと日本の違うところでしょうね。
日本人にとって謙遜は、好ましいことなのです。

最近感動した映画に『たそがれ清兵衛』というのがあります。
英語のタイトルは、『The Twilight Samurai』です。
清兵衛は、剣術がとても強いのですが、
「戸田先生の道場の末席を汚しただけです。」と言っています。
この『末席を汚す』は、『〜のはしくれ』と同じ意味で使われています。
『末席を汚す』は文語的、『〜のはしくれ』は口語的という違いはあるかもしれませんがーー。
英語のサブタイトルがついたもの、あるいは英語版ができたら見て下さい。
古き良き日本人を理解して頂くのに、お役に立つかも知れません。
日本語版は、方言が入るので、聞き取りにくいかと思います。

you
日 本
23
待遇表現Q7の『会社で外からの電話を受け、伝言をたのまれたときに』
についてですが、私の会社では、この場合の受け手側の応対として、
「〜に申し伝えます。」を使っていました。
これって何か変ですか???
『申す』の本来の用法は、『言う』の謙譲語です。
1976年初版の『日本国語大辞典』全20巻(小学館)によれば、
「『申す』は『言う』の謙譲語で、言う対象を敬う。」とあります。
それが正しいとすれば、電話を受けた人がBに対して敬意をはらったことになります。
となると、この場合、『申す』を使うのは、間違いとなるでしょう。
ところが、言語に誤用・例外はつきものです。
誤用に多くの人が慣れれば、それは正しい言葉になります。
電話をかけた本人が、「〜に申し伝えます。」と言われて、
自分に敬意が払われたと感じるなら、それで良いわけです。
最近は、『申す』は謙譲語だけでなく、
『言う』の丁寧語としても認知されているという文献を、どこかで読んだ記憶があります。
だとすれば、「〜に申し伝えます。」は、 変ではないということになりますね。
言葉は日々変化しているので、とても難しいといつも思います。

日本語調査結果(46)]もご覧下さい。

ハリケーン
日 本
22
テレビで、神田正輝さんが西部警察のリメイク版の紹介をしていて
「ご期待して下さい。」と言っていました。
これは、違和感があります。
「期待して下さい。」「ご期待下さい。」だと違和感がないのに。
どうしてなんでしょうか。
「ご期待して下さい。」に違和感があるのは、
多分、尊敬語を使うところで謙譲語を使ってしまったからなんでしょうね。
相手に対する行動で、自分を相手より低めるのが謙譲語です。
例えば、「荷物をお持ちします。」「名所をご案内します。」
『期待』を使った謙譲語は、「ご期待します。」となります。
実際に、「ご期待します。」とか「ご期待しております。」とか言うか言わないかは、
意見が分かれるところでしょうが、いずれにしても
『ご期待して』は、謙譲的雰囲気になって、違和感があるのだと思います。
尊敬語を使うなら「ご期待なさって下さい。」となります。
しかし、「ご期待なさって下さい。」では敬語が過剰だと感じる人もあるかもしれません。
それで『なさって』を省略して、「ご期待下さい。」となったり、
『ご』を省略して「期待なさって下さい。」となったりするのではないでしょうか。
「期待して下さい。」は依頼の表現で、丁寧ではあっても尊敬語ではありません。

なんとかこじつけてみたのですが、どうでしょうか。

田中太郎
日 本
21
相談する人が相談される人に対して、「ご相談したい」ということも、
相談される人が相談する人に対して、「ご相談にお答えします」と答えることも
あるようですが、どの方向からでも「ご相談」といってよいのでしょうか。
同様に、依頼する人が依頼される人に対して、「ご依頼したい」といっても、
依頼される人が依頼する人に対して、
「ご依頼ありがとう」といってもよいのでしょうか。
また、「請求」も同様に、どちらからも「ご請求」といってよいのでしょうか。
相手にたいして自分がとる行動に、『ご』『お』をつけることで尊敬を表します。
また、相手がとった行動に、『ご』『お』をつけることでも尊敬を表します。
『ご』は漢語名詞に、『お』は和語につけるのが基本です。

双方向から例えば『ご相談』と『ご』をつけても良いと思います。
尊敬語は、目上の人に使うだけでなく、お互いをよく知らない間柄でも使います。
「ご相談したい。」「ご相談にお答えします。」 という会話は、
全く知らない、あるいは親しくない間柄で、あるいは商談で気を遣いあって、
お互い尊敬語で話しているんだと思えます。

『ご請求』も双方向で使って良いと思いますが、
請求された側が相手に尊敬語を使うかな?とちらっと思いました。
状況というものもあるでしょうから、
その都度状況に応じて考えてみた方が良いかもしれません。



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